「花の癒しの力を信じて ~人の思いが作る花、そして人と人をつなぐ花~」田所 裕子(高34)

34回生の田所(旧姓森田)裕子と申します。 現在、仙台市在住の、今時珍しい?専業主婦です。自宅の小さな庭で、宮崎県の個人育種家の川越ROKAさん、鹿児島県霧島市の「香り草のシンフォニー」片山清美さん(庭人さん)の支援を受けながら、Mottaという名前で(高校時代のニックネームです)パンジー、ビオラの個人育種をしております。パンジーより小さい花のビオラが特に大好きです。 2005年に神戸から仙台に引っ越ししまして、小さいながらも自分の庭を持ったことがきっかけで、それまでも好きだった園芸にさらに力を入れるようになりました。薔薇や紫陽花、そして、冬から春の庭を彩ってくれるパンジー・ビオラたちを育てていました。種を採って育てているうちに、半年近く元気に咲いてくれるパンジー・ビオラのとりこになりました。 趣味で始めたパンジー・ビオラの育種ですが、2011年秋からいくつかのお花屋さんで販売していただくようになりました。

育種、というとあまり馴染みのない言葉ですが、植物の新しい品種を創る作業です。 人工交配したり、選抜を重ねたりして新しい花を創ります。 それぞれの育種家さんによって何を重点に置いて育種するのかは違ってきますが、私の場合、寒い仙台でも丈夫に育つ花、野の花のような風情のある花、花茎がしっかりしてちょっとした瓶などに挿し身近に飾れるような花、香りのある花、を創ろうと心がけ選抜しています。一般市販品種と違って横張りで茎が長く跳ねているような草姿も私の品種の特徴です。寄せ植えなどに使うと映えます。自分の花たちは自分の子供のように愛おしくかわいく感じます。


今、私が育てているビオラたちは2011年3月11日のあの大震災の時に咲いていたビオラから採った種で育った子供たちです。震災の三日前に鹿児島県の霧島から届いた苗もありました。 震災によるライフラインの欠如、そして、福島第一原子力発電所の事故、停電で事故の情報すらニュースも見ることが出来なくてわからない、不安でいっぱいのなか、神戸の実家に行くことになりました。
避難も何日にわたるかわからない、原子力発電所にさらなる悪いことが起これば、しばらく帰宅できないかもしれない。ビオラたちを持って行くことも出来ず、後ろ髪を引かれる思いで交通機関を乗り継ぎながら神戸に行きました。 そんな時、近所に住む友人がビオラの苗の様子を見に来て、水やりをしたり世話をしたりしてくださいました。ライフラインも復旧し始めたばかりの、何もかもが大変なときに愛情を持って世話をし、私が苗のことを心配しているのを気遣って、ビオラたちの様子をTwitterで知らせてくださいました。
宮崎県の育種家の川越さんも鹿児島県の片山さんも、私の庭の苗に何かあっても、私の品種は、九州にある苗の種でつないでいけるから、と励ましてくださいました。 皆さんの協力で2011年も例年通り今までの品種の保持ができ、そして新しい品種が生まれたのです。


東日本大震災の日、交通手段が断たれ私は家に帰れず、避難所も人でいっぱいだったので、公園で一晩野宿しました。心細い気持ちで夜を明かし、その気持ちを引きずったまま翌朝帰宅したら、庭のビオラの花が寒空に輝き、にっこり笑って「おかえり!」と迎えてくれたように感じました。それを見たとき、花の癒しの力に魅力を感じました。


このたびの大震災、我が家は車流失という物的被害だけで済みましたが、沿岸部の甚大な被害、そしてそこにお住まいの方々の深い悲しみを思うと心が痛みました。 私に何か出来ることはないか、ずっと自分に問いかけていました。しかしなかなか答えは見いだせませんでした。 避難する途中通りかかった、東京のどこかの駅の小さな花屋さんの色とりどりの花たちを見て、自分とは違う次元の別世界にある手の届かない物のように見えたあのさびしい気持ち。被災地で花を楽しむことが本当に戻ってくるのか。戻ってこなかったらどうしよう。花を見る余裕のある日常がいつやってくるのか、そういう思いが頭の中をぐるぐるしました。 でも、きっと徐々に普通の生活が戻りつつある時期になると、花の癒しの力で元気になってくださる方もいらっしゃるに違いない。そう信じることにしました。


震災から8ヶ月後、花の力で誰かを元気づけられないかと、先輩育種家さんのパンジー・ビオラと私の品種を展示販売するイベントを企画しました。そんなイベントなど企画するようなタイプの人間ではなかったのですが、何かに背中を押されるように。 震災時に私のビオラたちをお世話してくださった友人の協力でイベントが実現しました。


震災でたいせつなペットをなくされてずっと辛い思いをされていた方が展示イベントに来てくださいました。イベントで気に入ったビオラを購入し、毎日眺めているうちに、気持ちが癒されて、気持ちの整理がつき、前に進めるようになった、と後日お話してくださいました。悲しくてずっと片付けられなかった犬小屋の跡にたくさんビオラを植えたそうです。 こんな小さな花、そしてこんな私でも、自分が作り出した花を通じて、誰かを癒し、元気づけることが出来るのではないか、とそう信じています。


イベントを開催して感じたことは、私が育てたビオラたちは、ビオラのカタチはしているけれどもそこに詰まっているのは人の気持ちだということです。そのことを忘れずに、と知らされたような気がします。 私が播いた一粒の種が人と人をつないでくれて、また可愛い花が出来る。そしてその花がまた人と人をつないでくれる。花による幸せと元気の連鎖が続いていく、素敵なことだと思います。


おもしろいことに、育種を始めるきっかけとなった川越さん(ROKAさん)、片山さん(庭人さん)と知り合ったのは、実は、ブログです。
ブログでのつながりで生まれたビオラたち。 ある意味「現代っ子」といえるかもしれません。 とてもアナログな人工交配による花作りとブログなどの媒体のコラボ、この点もなんだかおもしろいと思います。お世話になっているお二方にもまだお会いしたことが無いのですよ。 私が播いた一粒の種から広がったブログを通じての人と人のつながり。実際に会ったことが無くインターネット上のつながりから始まった空間を超えたご縁。そのご縁の成果として、カタチとして可愛いビオラたちが生まれ続けています。人の縁はこの上なく大事だと思います。今までの人生を振り返ると、同窓生とのつながりも同じように大事だと感じています。私にとって宝物です。離れていてもフェイスブックなどで空間を超えて同窓生とつながることができとても嬉しく思っています。


私のビオラたちも日本各地に羽ばたき始めました。どこかで東北発のMotta’s Violaを見かけたらこんな思いが詰まった花だと思い出して応援していただけたらビオラたちもわたしもうれしいです。 (4月に札幌市の滝野すずらん公園のパンジー・ビオラ展で展示予定です。2月に宮崎市のお花屋さん「アナーセン」、鳥取県のとっとり花回廊で、展示が行われました。) 新しい花は自分だけで作るわけではない、人の気持ちや思いを預かって育てている、という初心を忘れることなく、私をサポートしてくださる方と、お花を見て可愛いといってくださる方、そしてビオラたちとの共同作業。 みんなで協力し合いながら可愛く、みんなを元気に出来るビオラたちを作っていきたいと思います。


ブログにてパンジー・ビオラの情報を発信中
http://ameblo.jp/kleingartenmotta/