「私と音楽 ~今までとこれから~」新田 佳子(高34)

34回生の新田佳子と申します。この度ご推薦頂き、コラムに投稿することになりました。投稿内容のリクエストが、携わっている仕事であるジャズ(Jazz), サンバ(Samba)およびその一種であるボサノバ(Bossa Nova)、ポップス(Pops)についてでしたので、まだまだ勉強中の身ですがその活動について書かせて頂きました。
ジャズとは・・・アメリカで黒人の音楽から発達した軽快な舞踏音楽
サンバとは・・・ブラジルに始まった4分の2拍子の速度の速いダンス音楽
ポップスとは・・・軽音楽のこと。クラシック音楽以外の音楽の総称
以上は小学館の新選国語辞典から引用しました。

ボサノバに関しては定義が難しく、ブラジルのボサノバは、サンバの進化系、或いは簡素化したもの、という表現が使われています。 黒人サンバの激しさと即興性を、リズムやメロディを和らげたり歌詞の内容に重要性を与えたりして新しい音楽演奏スタイルにしたもので、ボサノバというのは音楽の形式名ではありません。日本で一般的に好まれているサンバはボサノバを指している事が多いのでは、と思います。 ジャズやサンバは、コロンブスの大航海時代前後からヨーロッパ人がアメリカ大陸に移住し始め, 現地に既にあった音楽と,アフリカ大陸からの黒人音楽と,ヨーロッパの民族音楽やワルツ、ポルカなどが長い年月をかけて融合し, 北アメリカではジャズ, 南アメリカではサンバと変遷したといわれています。その北と南の違いは、移住してきた国の宗教(プロテスタントとカトリック)の違いが影響を及ぼしているひとつの理由だそうです。 1900年代に入ると、アメリカのポップスやフランスのシャンソンが世界的に流行し、ジャズやサンバの演奏者、作曲家、作詞家のそれぞれがポップスやシャンソンの影響を受け、音楽産業で巨大化し、更に変化を遂げていきました。 国語辞典にジャズやサンバが舞踏音楽やダンス音楽と書かれてあるように、リズムやテンポに関しては、音程、ハーモニー、フレージング、歌詞と同等かそれ以上にこだわらなければ演奏できないジャンルかもしれません。 日本人はものまねが上手い人種と聞いたことがありますが、雅楽の「静」に対して洋楽の「動」は、DNAレベルではインプットされていないところを、アメリカやブラジル的な「ノリ」を体に入れないと上手く表現できないところが、ひとつの大きなハードルかと思います。

大阪ブルーノート(現ビルボード)にブラジルの著名シンガーGal Costaを聴きに行った時、タイム感(音符の長さをコントロールする感覚)やグルーブ感(機械的正確さから少しずれた心地良さ)の違いにショックを受けた経験があります。ブラジルの演奏家は演奏技術が高く超絶技巧のミュージシャンも多いですが、それだけでなく、もっと根本から違う「ノリ」を感じ,ブラジル音楽が遠いものに感じて悩んでいたところ、ある演奏先のマスターが、「日本人は日本人らしくやったらいいんだよ!」と背中を押してくれた事もありました。

ジャズでは、よくスウィングという言葉が出てきますが、これは4分の4拍子の第2拍と第4拍にアクセントを置く(オフビート=アフタービート)ことによって生じるリズムのことで、更に演奏者は、1拍(4分音符)を3等分して8分音符の三連符に置き換え、その三番目に強拍を感じながら演奏します。関西では、トマトの「マ」にアクセントを置いてしゃべりますが、あとの「ト」にアクセントを置いて、トマト トマト、トマト、トマトと4回言ってもらうと少しグルーブを感じることが出来ると思います。これも人によって微妙にグルーブ感が違うため、一緒にアンサンブルしても、誰が間違っているわけでもなくても、どうも合わなかったりしっくりこなかったりする事があります。
ジャズもサンバと同じく、タイム感やグルーブ感が大切なので、自然と感覚の一致するメンバーとは頻繁にアンサンブルするようになったりします。 加えて即興演奏をするための創造力や理論、サウンドやフレージングを個性あるものにするための感性も求められます。デュークエリントンやジョージガーシュインなどの曲の中には、そのメロディーとコード進行から奏者が自由に発想していけるように、シンプルなテーマのみが書かれている曲も多いです。 ジャズやサンバを演奏するに当たっては、より一層研鑽に努め、タイム感やグルーブ感を意識し、コントロールできるようにしたいと思っています。

また、ヴォーカルに関しては、例えば4分の2(1小節に4分音符が2個→16分音符が8個)のサンバを歌う場合、原語のブラジル語を使わないとフレーズにはまらないためリズムも表現しにくくなります。 シャンソンはフランス語でないとしっくりこなかったりして、原語の壁も高いハードルですが、その曲を作った人が使っている言葉で歌うことは他の外国語で歌うより、絵を描きやすく、とても楽しい事に気づきます。

歌詞の内容は、非現実的でなくごくありふれた日常が描かれている事が多く、歌う時に普段の声の延長線上を意識して、取り繕ったり作為的にならずに、自然にオープンに表現していく方が、個性溢れた味わいのある歌になっていくのではないかと思っています。フロント、特にヴォーカルは音楽的な力と共に総合力が求められ、インストルメンタルの方とはまた違った研鑽も必要です。

エンドレスで芸を磨かねばならないし課題は山積みですが、私の好きなジャズピアニストのひとりレッド・ガーランドは、「ライヴは、まず自分が楽しむ、次にメンバー、次にマスターと店のスタッフ、そうしたらお客さんが楽しめる」と言っていて、私もその言葉を大切にしながらエンターテーメントを心がけています。 そして、大好きな音楽を通して、一緒に演奏するミュージシャン達や、共に過ごせるお店のスタッフ、そして何といっても、聴いてくださるお客さんを大切に、出来ればあと半世紀! 私も楽しみたいと思っています。

なぜこのジャンルなのか?という質問がありましたので、考えてみました。 私の祖父は、ジャズシンガーのジュリーロンドンの大ファン。父は、プレスリー、プラターズ、シナトラや南米音楽などの大ファン。母は、クラシックの大ファンで、子供の頃から邦楽が家で流れている時といえば紅白歌合戦をお餅つきしながら観ていたくらいで、ジャンル的には洋楽が故郷(ふるさと)のようで、自然な成り行きなのかなと思うのです。

平成10年から、あるホスピスからジャズの慰問演奏を依頼されて10年近く毎年演奏させていただきました。その機会をきっかけに、以前から興味があった音楽療法について学びました。サロンでの慰問演奏では、聴いてくださる患者さんやご家族との距離感を感じ、自分ひとりで簡易なエレピを持って訪室し、患者さんや家族と一緒に歌ったりリクエストに応えたりという機会を持つことができました。その時に忘れられない出来事があります。 定年を迎え、これからゆっくり第二の人生を楽しもうと思っていた矢先に肺がんがみつかり、余命僅かと宣告され積極的な治療を選ばずホスピスにいらっしゃった元高校教師の男性が、私に「翼をください」を演奏して欲しいとリクエストくださいました。 演奏している時、その方から「一緒に歌っていいですか?」と聞かれ、しばらく一緒に歌っていますと、男性は嗚咽の後、声を出して泣き出しました。私も辛抱できずに泣きながら歌っていましたが、男性は「歌い続けてください」と言って、首にかけていたタオルで顔を覆いながら大泣きされていました。 しばらくして男性は落ち着いてこられて、「退職前の担任だったクラスの合唱曲だったんですよ」と。そのあと、身内以外に病気の事を話していないことなど、穏やかに身辺の事を話して下さいました。 他の部屋の訪室が終わりホスピスから出る時、エレベーター前にその男性が立っていて、片手に点滴台、片手には、退室時に私が手渡した「翼をください」の歌詞を持っておられ、こちらを向いて手を振ってくださいました。 私はその時、音楽で人の役に立ちたいと心から思いました。

星陵高校3年間は、音大系に進学することを経済的な理由から親に反対され、暗中模索の日々でした。 中学生の時に、音楽で福祉や医療に役立つ仕事に就くことを漠然と夢見ていましたが、 50歳を迎える今年、これからがスタートと思っています。

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