「昆虫とウイルスの研究」仲井 まどか(高34)

星陵高校34回生の仲井まどかです。私は、東京農工大学 大学院農学研究院で教えながら「昆虫病理学」という分野の研究をしています。今年の2月に神戸で同期会がありましたが、そのときに同期の藤浪哲也くん(兵庫県農林水産技術総合センター)に「星陵の同期で農業や生物の分野に行った人は少ない」と聞いたので、安全な農業生産や私の専門分野の昆虫のウイルス等について紹介することにしました。少々おつきあいください。

【安全な農業生産について】
都会で生活していると野菜等の農作物をスーパーマーケットなどで購入することが多いと思います。最近は、植物工場などで管理されて栽培されているものも増えていますが、それを除くと「有機栽培」や「農薬無使用」といった表示がない限りほぼすべての作物に化学合成農薬(以下農薬といいます)が使用されています。では、農薬を使って栽培された農作物は安全なのか?と気になりますね。日本国内で販売されている農作物についてはすべて残留農薬の「安全基準」が定められており、法律的には基準値を超える農薬を使用することは禁止されています。食品衛生法が改正され、2006年よりポジティブリスト制度という厳しい制度が導入されました。現在、日本の食品における農薬の残留基準は、世界的にも最も厳しい欧米と同等のレベルになっています。 しかし、農薬をまったく使わないと生産者にとっては大損害(30〜100%の減収になると言われている)が出てしまいます。つまり、作物を食害する「害虫」、病気を起こす「病原微生物」、「雑草」の駆除など何らかの手段を講じなければ農業経営は成り立ちません。 一方、消費者の安全な食品を求める傾向は年々高まっています。つまり、日本の生産者(農家の人達)は、消費者からは高い品質の農作物を求められ、 国から特別な保護もなく厳しい基準での生産を迫られているわけです。また、そんな農業を子供達に継がせたいか?ということになり、後継者も非常に育ちにくいのが現状です。そんな事情で日本の食料自給率は、40%前後に低迷しています。先進7カ国の中では最下位です(米国の自給率は約130%、仏国は約120%)。

図1.農薬の正しい使用や害虫について学ぶための「絵本」を作りました。JICAのプロジェクトでベトナム語訳を作って配布しました。農薬や害虫について誤った知識を持った農家が世界中に多いと思います。この絵本のストーリーは、害虫退治に明け暮れる2匹のオバケの成長物語です。農家の人達は、子供達と一緒にこの絵本を読んでもらい、正しい知識を身に付けてもらいたいと思います

【害虫の問題を考える】
残留農薬の問題以外に農薬の過剰使用が引き起こす問題があります。たとえば同じ農薬を繰り返して使用し続けることにより農薬が効かない病害虫が出て来ます。農薬に対する抵抗性が発達したためです。また、農薬を撒くことにより逆に害虫増えてしまうという現象もあります。この原因の一つとして、農薬により「天敵」が致死してしまい、本来はその害虫の大発生を押えていた天敵がいなくなるために害虫が増えてしまう、という事があるのです。昆虫の天敵には、クモやカマキリなどの捕食者の他にも昆虫に病気を引き起こす微生物も含まれます。そこでこのような天敵をうまく利用すれば害虫を防げるだろうと考えて登場したのが「生物的防除」という技術です。害虫の天敵を利用して害虫を防ぐのです。生物的防除 は、古くて新しい技術です。たとえば東南アジアの樹上に巣を作る「ツムギアリ」という体色が赤くて噛まれると痛い蟻の仲間がいますが、この蟻を果樹園に放飼して果樹を害虫から守る方法があります(図2)。

図2.ツムギアリの巣は樹上に作られます(左)。巣のある樹を巣のない樹と線で結びます(右)。アリが樹間を自由に行き来できるため果樹園全体の樹が害虫から守られます。

ツムギアリが営巣している樹には、害虫がつきません。ツムギアリが果実の害虫を全部殺して食べてしまうからですが、ツムギアリ自身は果物を食べないのできれいな実が収穫できるというわけです。中国では、4世紀頃にこの技術に関する記録が残っているそうです。 

【昆虫の天敵について】
生物的防除が実践されているのは、害虫の問題に限った訳ではありません。たとえば、アメリカのイエローストーン国立公園では、オオカミが絶滅してしまったため草食獣が増えすぎて植生を破壊してしまいました。そこに野生のオオカミをカナダから導入して草食獣の個体群を減少させる、というプロジェクトが行われています。つまり、食物連鎖の上位にある生物(ここではオオカミ)が、いなくなってしまったので下位の生物(たとえばシカなど)が増えてしまい植生が破壊されたため、上位の生物を導入してこの不均衡を修正しよう、という考え方です。上位の生物が減った理由としては、環境破壊や環境汚染など様々な問題が関与しています。
害虫防除の分野では、たとえば、外国から侵入してきた害虫には、その害虫が本来生息していた地域からその天敵を集めて導入するという方法が使われています。それ以外にも、害虫の天敵の生態を調べてその天敵を増殖させて撒く、という方法も使われています。Bacillus thuringiensisという細菌は、世界で最も使用されている生物的防除資材ですが、この細菌は、昆虫の腸管を破壊する毒素を生産します。この毒素は、特定の昆虫の腸の細胞にだけ結合して致死させるため、人畜に影響なく虫だけを殺してくれるのです。この細菌を工場で大量培養して製剤化したものが防除資材として販売されており日本や世界中で使用されています。
日本では、お茶の害虫に対するウイルス剤が使用されています。一般的に、日本では茶の栽培に大量の化学肥料や農薬が使われており、大きな産地の茶畑に行くと常にどこかで農薬散布の光景が見られます。一年に7〜10回以上農薬が散布されているのです(図3)。

図3.埼玉県入間市の茶畑。慣行のお茶栽培では農薬散布頻度が高いので、お茶畑では常にどこかで農薬散布作業が見られます。散布作業は、農家にとっても重労働です。

しかし、農薬の過剰使用により害虫に抵抗性が発達したことや安全性への懸念から関心が高まり、茶害虫に感染するウイルス剤が開発され、鹿児島県を中心に普及しました。一番茶を収穫したあとに一度ウイルス剤を散布すれば、このウイルスが害虫に感染して増殖し、それがまた次世代に伝播するため年間を通して効果が持続します。この害虫は一年に4回発生するため、これまで4回行っていた散布作業が一回ですむという利点もあり利用が進みました。
海外では、例えばブラジルのダイズ害虫の防除に昆虫ウイルスが使用されています。ブラジルは、2008年に移民100周年となりましたが、日本から移住した就農者の移民達は、味噌や醤油を作るためのダイズの栽培を始めました。その後、ブラジルの国家プロジェクトも支援して栽培面積がどんどん広がり、いまやブラジルは世界第2位のダイズ生産国となりました。しかし、ブラジルでは新しい作物としてダイズが植えられたため新しい害虫が出現して問題になりました。この害虫は、気持ちが悪いから写真は載せませんが、これまでダイズが植えられるまでは全く害虫でも何でもありませんでした。しかし、ダイズが大量に植えられたことから害虫になってしまったのです。ブラジルの研究者達は、この害虫の天敵を探索したのですが、特異的にこの害虫にだけ感染するウイルスを発見し、その後、このウイルスの生産方法を開発して大量増殖させました。現在は100万ヘクタールの規模でウイルスによる防除が行われています。図4は、ブラジルにおけるダイズの主要生産地であるパラナ州での写真です。ブラジルでは、行政と民間のウイルス生産会社が非常に良い連携で大きなプロジェクトを成功させていました。日本も見習いたいところです。

図4.ブラジルのダイズプロジェクトを訪問しました。生産者と卒業生(ブラジルからの元留学生)と害虫の研究者と。地元の新聞社が取材に来て撮ってくれた写真。記者さんに「口角上げて笑え!」と笑顔の指導をされました。

【星陵高校の思い出】
ここですこし脱線したいと思います。自分の仕事と星陵高校との接点について書きます。私は、もともと子供の頃から生き物が好きで、動物図鑑ばかり見て喜んでいる子供でした。産まれたのは灘の王子動物園のすぐ近くで、垂水区に引っ越したのですが、小学生の頃にまた引っ越しして山口県下関市の自然がたくさんある環境で育ちました。中学の頃は、動物行動学や動物の飼育などに関心を持っていました。しかし、中学3年生で神戸に戻って来てからは、なぜか自然科学に対する興味を共有できる環境も友達もいませんでした。そして、興味は別の方向へ。星陵高校で仲良くなった友達は、美術や音楽や演劇が好きでした。それはそれは、個性的な人達が大勢集まっている高校だったのですが、当時はそんなことには気づいてなくて、後に高校を卒業してから振り返ると星陵生の多様性と面白さについてじわじわと気づかされたものです。星陵高校では、そんな友達の影響を受けて星陵祭でバンドを組んだりパントマイムをやったり好き勝手にいろいろ遊んでいました。本来ならば大学受験とか真剣に考えるべきだったのだと思いますが、それはさておき「いまやりたいことをいまやる」というのが周りの雰囲気でした。今思うと、星陵生のすごいところは「オリジナル」にこだわるところだったと思います。人の真似をしない、何か新しいことをやる、という気質がありました。高校時代は、同級生を見ているだけで面白くて退屈しませんでした。私は、これまで振り返ると「大多数がそっちに行くならば、私は別ルート」という発想が多かったのですが(それが星陵高校のお陰かどうかはわかりませんが)個性豊かな仲間に巡り会えたため、皆と同じでなければならない、という価値観を持たずに育つことができました。そのお陰で(か?)気がついたらニッチェな分野での研究を行っておりました。
34回生が、このコラムで大勢書いている御多分に漏れず、私も高校時代3年間はほとんど勉強せずに過ごしてしまいました。というのも、部活もやって、音楽もやって、バイトもやって、色々な事に関心が移っていくわけです。しかも、高校生なので見るもの聞くもの、なんでも興味を持ってしまって、勉強になかなか関心が向きませんでした。実は、星陵高校時代に教科で褒められたのは「美術」だけ。何故か美術の西沢先生が私の書く絵を大変ほめてくれました。そういう都合の良い事だけはよく覚えているもので、そんなわけでか今でも絵を描くのが大好きです。ベトナムの農村開発のプロジェクトに関わったときに「安全な野菜作りと農薬の正しい使い方」を学ぶお話をつくって絵本にしました(図1)。

このような絵本をポルトガル語やスワヒリ語など各国の言葉に翻訳して子供達に配りたいと思っています。実は、「絵本作家」いまの私の夢です。リタイアしたら「安全で平和な世界を作る絵本」を作れたらいいなと思っています(共著者を募集しております^^)。
思いおこせば部活のなかった高三の頃、毎日帰宅途中にまだ橋のかかっていない舞子の海岸で明石海峡に沈む夕日を眺めながら友達と語り合っておりました。その頃は、将来に不安だらけで、自分の職業についてもテンで何も考えられませんでした。しかし、子供の時から生き物が好きだったので農学部に行くことにしました。そして、私の場合には農学部に進んでヨカッタのでした。農学は、食料問題や環境問題を解決するための学問です。農学部の学生は、今も昔も「人の役に立ちたい」と思っている人が多いのですが、自分のやりたい事と社会のニーズが合致するほど幸せなことはないと思います(もちろん農学に限らずあらゆる学問が、社会に必要とされているのですが)。私は、進路に迷っているという高校生に会うと「人の役に立つ事を目標にする」事を薦めます。その気持があれば、社会に必要とされ結局は自分が活かされるポジティブな循環に入って行けると思います。また、最近は自分よりも一回り下の世代の研究者が頑張っているのですが、これからは自分がこれまで周囲に助けられた分、若い世代を応援する立場だな、と思っている次第です。

【昆虫とウイルスの共進化】
では、また研究の話に戻します。私が現在行っている研究は、ウイルスなどの病原微生物がどのように昆虫という生き物を乗っ取る進化戦略を発達させてきたか、をテーマにしています。昆虫ウイルスのゲノムには、宿主である昆虫の行動や生理状態を制御する遺伝子もコードされており、これらの遺伝子の働きで、ウイルスは宿主をより好ましい状態に操作することができるのです。そのしくみは大変巧妙です。たとえば、イモムシの仲間などは完全変態といって幼虫から蛹を経て成虫になりますが、昆虫に感染するウイルスの中には、この変態を阻止するしくみをもつものがあります。面白いことにウイルス側のゲノムに宿主のホルモンを操作する酵素の遺伝子が見つかりました(図5は、昆虫のホルモン分泌器官)。

図5.昆虫のホルモン分泌器官の一つである前胸腺。実体顕微鏡下でイモムシを解剖して、この1ミリくらいの器官を取り出しペトリ皿の中で培養します。

そのためウイルスに感染した宿主幼虫は、いくらがんばってホルモンを分泌しても、ウイルスが生産する酵素によって次から次へと失活し、いつまでたっても蛹になれないのです。私達は、ウイルス遺伝子の塩基配列を調べたり、ウイルスに感染した昆虫の血液を採取してその中に含まれるホルモンや酵素の量を測ったりしてウイルスによる内分泌制御のメカニズムを調べています。このような制御が、ウイルスにとってどんな進化的な意義を持つのか?そこも面白いところです!詳しくは省きますが、変態によって昆虫の生理状態や行動が大きく変わります。ウイルスは、宿主昆虫が変態する事により不利益を被るため、それを阻止する事によりウイルスの適応度が上がる等のメリットを受けるのでしょう。一方、虫側もやすやすと微生物にやられているわけにはいきません。微生物から自身を防御するしくみ(免疫など)を持っています。このように、ウイルスと昆虫は、共進化しており、くわしく調べれば調べるほど面白い事が分かってきます。
このような研究がどれほど「人の役にたつ」のか?ということですが、大学で私が行っている研究は、実は、直接的な「応用研究」というよりは応用を視野に入れた「基礎研究」です。 しかし、このような害虫の弱点を突くウイルスの戦略を解明することにより、そこから害虫防除の新しい発想が得られるかもしれない、と期待しています。

【おわりに】
ここまで天敵や生物的防除のお話をしましたが、実際に、天敵などの生物的防除資材のマーケットは、化学合成農薬を含めた全体の農薬市場の1%にも満たないのが現状です。日本の化学合成農薬の生産量が、世界的にもトップレベルということもあるのですが、一方で、天敵の利用が普及しない理由があります。たとえば、生きた天敵は扱いが難しかったり、天敵を生産するコストが高かったり、普及させるために克服すべき課題がたくさん残っているのです。また、天敵だけですべての作物の害虫問題が解決できるとも思っていません。最近は、化学合成農薬でも環境負荷の少ない新しい剤が開発されてきています。特に、選択性が高く害虫だけを殺す優れた農薬も開発されています。このような農薬を上手に使って、もともと農地にいる天敵(土着天敵といいます)を保護したり、天敵の生息場所する環境を整える事により農薬を多用せず効率よく防除する方法も普及し始めています(日本では高知県が有名です)。環境負荷の少ない農業生産を実現させるためには、まだまだ課題がいろいろあります。星陵高校同窓生の皆さんに少しでも興味を持っていただき、この分野の発展についてご助言を頂ければと思います。読んで頂きありがとうございました。

関連URL

大学のHPです
http://www.tuat.ac.jp/~bio/course/017/index.html

バイオロジカル・コントロール 朝倉書店 仲井まどか他 編
農学部の学生向けに編集した教科書です
https://www.asakura.co.jp/books/isbn/978-4-254-42034-0/