「世代をこえた私の“LINK星陵”」藤崎 結衣(高64)

はじめまして、64回生の藤崎結衣です。星陵高校を昨年の2月に卒業し、現在立命館大学の衣笠キャンパスで大学生活2年目の中盤を迎えています。

今回コラム執筆依頼を受け、とても嬉しく、また同じぐらい緊張もしています。以前からこのコラムを読んでは偉大な先輩方の様々な思い出や経験に感動していたので、私のような若輩者が参加してよいものかと…。笑 しかしせっかくの貴重な機会、20年にも満たない人生ですが、私の世代だからこそ書けるようなコラムを残させていただこうと思います。

まずは、私が星陵高校に入学するまでのいきさつを。
井吹西小学校、井吹台中学校と、幼い時代を温かで大好きな井吹の町(神戸市西区)で過ごしました。実は私の父は星陵高校出身、ちょうど30年あけて34回生の先輩なのです。そのため、高校受験というものを意識し始める少し前から、父の星陵での話を何度か聞いていました。また、仕事の関係で父が星陵を訪れる際に中学生の私も付き添い、初めてその校舎を目にしたときのことも覚えています。自分の学力や成績はそっちのけで「わたしもここに通いたい。」と、志望校を心に決めました。

自分はもう星陵高校に行くものだと直感的に思っていたので、心の中での決意は最後まで変わりませんでした。そして、無事に合格し念願の星陵高校入学です。

星陵での思い出。
きっとこの3年間のことを書き連ねるととんでもない量になります。それほど星陵で過ごした高校時代は濃く、私自身にとって本当に大切な時間です。

最近の星陵は一体どんな様子なのか、おそらくみなさん気になってらっしゃると思います。ご心配なく、ちゃんと「星陵温泉」という校風を受け継いでいますよ。笑
みんな入学したてのころは、中学校とは一転した自由な環境にとまどうものの、慣れてしまえばそんな環境を思う存分楽しんでいました。

さて、私は放送部に3年間所属していました。観劇好きな母の影響で中学時代では演劇部に所属していたのですが、高校でも似たようなものを、と興味を持ったのがきっかけです。歌ったり話したりするのが好きだった私にとって、向いているだろうと思ったのです。

高校時代、よく周りから「放送部って普段は何してるん?」と聞かれました。たしかにいつも放送室にいて、学校行事などの司会をするときしか生徒の前には現れません。笑

実際、放送部には様々な活動がありました。人前に立って学校行事を司会進行する表の仕事と、マイクなどの音響機材を準備、操作する裏方の仕事。この2つの側面を持っていて、学校行事ではバタバタと走り回っていたことも。また、年に数回放送部の大会もあります。朗読やアナウンスといった個人の技術を競う個人部門、テレビやラジオといった番組を制作する作品部門など。あまり知られていませんが、とても奥深い世界なのです。大会の時期は毎日みんなで練習に励んだり作業に没頭したり、夜遅くまでどっぷり活動していました。

そして2年生から3年生にかけては、放送委員長として生徒会に携わりました。他の役職と違って、生徒会と放送部を連携させて学校行事を運営していくという少し変わったポジションだったのですが、今度は学校全体の裏方として働けることにとても喜びとやりがいを感じていました。先生にはほとんど頼らず生徒の力だけで学校行事を動かしていく、「星陵生ってすごいなぁ…」と思いながらいつも生徒会会議に参加していました。笑

星陵3年間の中で1番の思い出は、という問いに答えるならばやはり毎年の星陵祭です。裏方として年に1度の文化祭に携わる一方で、2年生と3年生の時“KiKi”というバンドでステージに立ちました。

このコラムでも、星陵祭にバンドで出演したという先輩方が何人もいらっしゃって、勝手ながら嬉しく思っていました。私の父も30年前、ギターを抱えてステージに立っていたようです。偶然にも私はヴォーカルとして同じ経験をすることとなりました。

年に1度のステージのために、休日スタジオに集まって練習をする。みんな部活も目指す進路も様々なメンバーでしたが、本当に楽しい日々でした。このバンド活動がなければ、私の星陵生活はこれほどまで充実していなかったと思います。

ここまで書かせていただいたように、学校行事などの何か1つの出来事に表と裏の両方から関わったということが、私が星陵で得た最も大きな経験です。この経験からたくさんのことを学びました。

そして現在。
大学では国際文化、中でも文化芸術について学んでいます。昔から大好きな舞台芸術について、国や芸術ジャンルをこえた様々な視点から研究したいと思ったのがきっかけです。自分の興味関心のあることを思う存分、追究できる環境にとても満足しています。

つい先日には実際に自分で体感しようと、ニューヨークのブロードウェイで毎日のように観劇するという旅行も実現させました。

また、学業以外ではアカペラサークルに所属しています。歌うことを続けたくて、また、新しいことにも挑戦したくて、アカペラを始めました。特別歌が得意だというわけでは決してないのですが、流れている音楽のメロディーのハモりパートを口ずさむのが昔からの癖で、合唱やバンドヴォーカルとはまた違ったアカペラというジャンルに興味を抱いたのです。

父の友人の前澤弘明さん(34回生)が所属していらっしゃる、チキンガーリックステーキさんのCDを小さいころよく聞いていたので、まさか自分がアカペラを始めるとは、なんだか不思議な縁を感じます。そしてさらにつながることに現在私は、KAZZさん(43回生)がリーダーを務めるPermanent Fishさんの楽曲を勝手ながらカバーさせていただいたりもしています。

学生アカペラ―の1人にしかすぎない私ではありますが、こうやって世代をこえた星陵の縁、つながりを感じずにはいられません。

今年の8月4日星陵高校同窓会。
私は64回生唯一のスタッフとして働かせていただきました。その仕事はというと、ゲストとして出演されたPermanent Fishさんのアテンド。お仕事の都合上、当日参加できなかった前澤さんの代わりを務めることになったのです。まさかこのような機会に恵まれるとは思いもしませんでした。

懇親会でのアカペラステージの盛り上がり、すごかったです。世代関係なく、同窓生のみなさんがアカペラを楽しんでいた姿が印象的でした。アカペラを始めて1年半ほどですが、このときの感動は忘れられません。アカペラという音楽の魅力は、こんなに大勢で共有しあえるんだ、と。

スタッフとして働きながら、幹事学年である34回生のみなさんの働きっぷりも目の当たりにしました。父もその一員として何度も会議に参加していたので、その忙しさ大変さを少しばかり知っているつもりでいたのですが、当日のみなさんのエネルギーというか、熱意は本当にすごいものでした。

高校時代の学校行事に燃える星陵生の姿は、何年経っても変わらないものですね。このような素敵な同窓会に少しでも関われたこと、とても光栄に思います。私たちの学年が幹事を任されたときには、一体どんな同窓会になるんでしょう。今から楽しみです。

もうすぐ大学の夏休みが終わろうとしているのですが、この夏休みの間に星陵の同級生とのクラス会や集まりが数回ありました。この文章を書いている2日後にも、仲の良かった当時の友人たちと会う予定です。笑 予定さえ合えばみんな神戸で集まっては近況報告をしあうのですが必ずといっていいほど、「星陵楽しかったな、なつかしいな、戻りたいな」という話題になります。おそらくこれは、どの世代の星陵生も変わらないことと思います。

星陵での思い出、そして「LINK星陵」というテーマに沿って私が実感した星陵の縁、つながりを長々と書かせていただきました。つたない文章で申し訳ないのですが、お付き合いいただきありがとうございました。これからも色んなところで大好きな星陵のつながりを感じられたらなと思います。どこかでお会いすることがありましたら、そのときはよろしくお願いしますね。