「ドラムスとの出逢い。星陵高校。吹奏楽部。星陵祭。。。」荒木 英朗(高35)

こんにちは35回生の荒木と申します。同級生の吉荒君経由で34回生前澤さんから本件投稿依頼を受け、初めて本コラムの存在を知りました。そして1回目から読ませて頂きましたが、皆さん錚々たる人たちばかりで、投稿内容もすばらしく、そして何より魂がこもっていて圧倒されました。安請け合いしたことを後悔しましたが後の祭りで締め切りが迫り。。。。

現在私は平日はお堅い某大手総合金融サービス企業グループでマネージャーをやっておりますが、休日はアマチュアドラマーとして複数のバンドに所属して、ライブ本番、バンドリハーサル、または個人練習に明け暮れております。

そもそもドラムという楽器を意識したのは小学校5年生の頃、母に神戸のジャズフェスティバルに連れて行ってもらったのがきっかけです。当時まだデビューしたばかりのギター渡辺香津美さんやピアノ小曽根真さんらのバンドで叩く、ジミー竹内さんのプレイに子供ごごろに目が釘付けになり、素人ながら「この世にこんなにカッコイイ楽器があるのか!」と感動し、いつかドラムをやりたいと決意。そして星陵高校入学を機に吹奏楽部に入部しドラムを始める事となりました。

しかし入部したものの吹奏楽部というところは、ドラムスの入るポップスやロック系の曲はあくまで学内文化祭などの余興用であり、本職のコンテストなどの曲では使いません。従って、通常の部活動時間は小太鼓やティンパニなどの打楽器練習がメインで、ドラムスを触ることも出来ませんでした。ですので早朝に登校し授業が始まるまでのわずかな時間や、早弁当を食べ、昼休み時間を全部使って叩くなどでカバーしてました。今考えれば毎日よくやってたなと思いますが、叩きたくてしょうがなかったので全く苦になりませんでした。

そんな高校生活でのドラムスにまつわる一番の思い出は2年生時1981年の星陵祭。たしかポートピアランド開園の年だったと思います。本コラムにも投稿されておられる34回生関谷さん(ベース)、伊藤さん(ギター)をはじめとした先輩方のバンド「蘭丸団」に参加させて頂き野外ステージ最終日のトリで演奏しました。今考えれば僕自体はずいぶん拙いプレイだったとは思うのですが、ドラムソロまがいの事もして、皆が非常に盛り上がってくれて、終わった後も皆が笑顔で次々と声をかけてくれました。その日は打ち上げで遅くまで垂水の町を徘徊し帰って家で倒れるように寝ましたが、翌朝とても幸せな気分で目覚めたのを覚えています。そしてこんなにすばらしい事はない。ドラムをずっと続けていこうと思いました。吹奏楽部の日々と同じく忘れられない思い出です。

そんなことで続けているドラムスですが、その魅力とは何だろうと改めて考えると、まずひとつ、ドラムはバンドの中心である点です。例えて、バッテリー、または、エンジンなどど表現されることもあり、バンドの演奏力はドラム次第と言えます。アマチュアの場合特にそうなんですが、初心者のバンドでもベテランドラマーが一人入るとバンド全体の演奏が格段にベテランっぽくなりますし、逆にベテラン集団に初心者ドラマーが入るとこれまた全体が素人っぽくなります。これはドラム以外のパートの人達が異口同音に言ってることで、バンドはドラマーのレベルの演奏までは出来る。言い換えればドラマーのレベルの演奏までしかできないということなんだと思います。正にバンドの中心です。ただしこれはあくまで演奏力だけの話ですし、ギタリストやピアニストがよく作る、作曲自体のすばらしさや最高の楽器と言われるヴォーカル、つまり人間の声、歌の魅力はまた別の話しだと個人的には思っていますが。ちなみに歌の話になりましたが人類最古の楽器ってやはり声かなと。そしてその次は太鼓だったのではないでしょうか。リズムに乗って歌ったり踊ったり。これはどうもドラムの魅力って人間の本能で解説不要のような気がして来ました。キリがないようです。

さて、こんな事ばかり書いていると、なんと呑気な人生を送っているのかと思われるかもしれませんが、49年の人生の中でやはり僕も皆さん同様に、愛する家族のこと、仕事のことなどで不測の事もあったりで山あり谷ありでした。またこれからも悲喜こもごもあるのでしょう。でも色々のことがあっても星陵での部活動の日々や、ドラムス、いや音楽を通した仲間たち(プレイヤーに限らず)との出会いや絆が基本となり、いつも僕を励ましてくれているのかと思います。

以上所詮は僕もアマチュアドラマーですが、どこかのライブハウスで星陵の皆様にお会いする機会があればと思います。最後になりましたが、星陵高校なければ今の僕はありません。本当に愛すべき母校です。どうもありがとうございました。