「愛する二人の娘たちのために・・・」田村 義邦(高44)

はじめまして、44回生の田村です。現在、たい焼き屋を営んでいます。

現在私には2歳になる双子の娘がいます。1人に障がいがあります。

脳室周囲白質軟化症(PVL)が原因の脳性麻痺です。肢体に不自由があります。

娘が『双子』で『障がい』があるおかげで、周りの方からは『大変ですね』とか『頑張っていますね』などと声を掛けて頂く事が多いのですが、私は二人の娘たちのおかげで昔からの夢であった起業を決意することが出来ました。本当に二人の娘のおかげだと感謝しています。

このコラムを依頼された時、「高校時代で一番鮮明に覚えてること」というお題を頂きました。しかし、締切ギリギリまで考えても何もでてこなかったような高校生活を過ごした私は、大学生活も何も考えずに過ぎていきました。サラリーマンになりたくないからと就職活動もまったくせずに30歳前までフリーターをして過ごしていました。

30歳で高校の同級生の妻と結婚し、某大手古本チェーンに中途入社しました。35歳で海外駐在のチャンスも訪れました。そんな私の人生は二人の娘が出来てさらに大きく変わりました。

アメリカ駐在中に妻が双子を妊娠し、予定通り駐在期間を終えて、出産準備の為に妻と一時帰国をしているちょうどその時に『3.11』が起きました。当時の雰囲気では小さな子供をつれて関東に住むという選択肢は考え難く、関西勤務の希望を出しましたが、全国チェーンの会社では希望は叶わず、関西での勤務を求めて転職をしました。

何とか神戸で仕事が見つかりましたが、経営陣との衝突があり1 年でクビになりました。

生まれたばかりの双子を抱え40歳前で無職になりました。楽天家の私もさすがにその日だけは落ち込みましたが、周りの方々の支えのおかげでどうにか前に進むことが出来ました。

転職活動中にある社長さんから神戸での勤務にこだわる理由を聞かれました。その時には娘の障がいの事を打ち明けることが出来ませんでした。当時はまだ、家族以外の誰にも娘の障がいのことは話すことは出来ませんでした。その事でよく妻とも喧嘩をしました。そんな自分が嫌になり、タイミングよく?無職にもなったので、思い切って自分で商売をはじめる決断が出来ました。今となっては、クビにしてくれた前職の経営陣にも感謝をしています。(笑)

たまたまネットで障がい者雇用を推進している、たい焼き屋がある事を知ったのが自分がはじめるきっかけになりました。『障がい者の自立を支援して社会に貢献する』と言う理念にも共感してすぐに動き出しました。いろいろなご縁があり、6月にクビになって、4ヵ月後の10月からたい焼き屋を2 店舗経営することになりました。

現在は
神戸市西区(http://www.facebook.com/sot001t)
明石市(http://www.facebook.com/ougontaiyaki015)
楽天市場(http://www.rakuten.ne.jp/gold/ohgon/) 

3店舗でたい焼き店を運営しています。12月には三木にも出店予定です。『障がい者の自立を支援して社会に貢献する』と言う理念はそのまま、私たちの経営理念にもなっています。まだ実際に障がい者雇用は出来ていませんが、今後は障がい児の支援、障がい者の生活支援も事業として計画をしています。

障がい児を持つ親は『自分が死んだ後の子供の将来』を心配します。私たち夫婦も同じ心配をしました、すごく悩みました、ひどく落ち込みました。しかし、自ら動き出し、自ら新しい出会いを求めることで、落ち込むことはなくなりました。悩みも大きく減りました。

心配は、、、どこの親でもあると思います。当然、私たちもまだまだ心配事は尽きません。いろいろと回り道をしてきた私ですが、やりたい事が決まり、守るべき者が決まると迷いは無くなりました。これからも腹を据えて自分の信じる道を歩んで行きます。