「陶芸は自分探しの旅」大原 千尋(高31)

皆様、こんにちは。31回生の大原千尋です。現在、私は複数の学校で陶芸を教える傍ら個展やグループ展に出品するという中途半端な陶芸作家を続けています。陶芸は、大学入学とともに始めたわけですから、30年以上続けていることになります。その割にはあまり上手くなってないなあ〜、と反省の意味を込めて綴ってみたいと思います。

そもそも、なぜ私が、陶芸に興味を持ったのか?そこから。

子供の頃は、家でじっとしている記憶はあまりなく、野山を駆けたり庭で草むしりをしてままごと遊びをして過ごしました。友達と遊んでいても、なんとなく一人で遊んでいるような感じでした。中学も高校も美術が好きで、美術部に入りましたが、根っからのアウトドア派が辛抱できず、バランスをとるような形で陸上部にも入っていました。今の高校生でも掛け持ちしてる子っているのかなあ?あまり聞かない感じですね。我ながらどうやっていたんでしょう?その頃から単なる欲張りだったんでしょうね。

星陵高校の美術室の油絵具と何かが混じったような匂いが思い出されます。

ある日の西沢先生との会話は今でも覚えています。進路について「君は、どないするんや?」と問われ、「え〜!?なんか、変な家に住みたい。電車みたいな家。」と、答えたのです。すると、西沢先生は「それやったら芸大に行かなアカンで」とおっしゃられたのです。西沢先生の目の奥がキラリと光っていました。絵を描くのは得意でしたから、背中を推すつもりで声をかけてくださったのでしょう。素直な私は、「ふーん、芸大に行かなアカンのや〜」と。軽い気持ちで進路を決めました。そこからは、大変だったんですが、星陵の同級生も芸大目指していた子が数人いましたし励まし合いながら頑張ることができました。いざ専攻を決める時に漠然と「油絵」とか「日本画」って煮詰まりそうだなあ、なんて考えていたわけです。

高校生の頃から何故だか骨董屋や百貨店の美術品のコーナーでぐい呑みなどを見ていたし、修学旅行のときのお土産に、工芸品のこけし(かなり高価だった)を買ったりするような渋い高校生だったので(笑)、自ずと工芸科の方へ心が傾きました。中でもやはり古伊万里の器の染め付け模様なんかをみるとうっとりしていました。「これは、どうやって作るのだろう?この色、この艶は、どうやったら出るのだろう?」そんなことを考えるようになっていました。そんな訳で、自然に工芸学科陶芸専攻に進んでしまいました。

大学生の頃は80年代。アートの世界にも「関西ニューウェーブ」だとかいって新しい動きがあり、少々バブリーな時代でもありました。バブルの余波は、陶芸の世界にも及んでいました。大学で師事していたのも「オブジェ焼き」を作る焼き物集団?走泥社を率いる 故・鈴木治先生でしたし、学校の空気も現代アートと伝統との狭間で揺れ動きながら、さらにまた新しいものが生まれるといったような感じでした。

窯を焚く日は、学校に泊まり込みで当番をするのですが、ゆっくり寝る学生は少なく、みんなで食事をしたり、一段落したらまた制作しながら当番をこなすといったものでした。やはり夜も更けてきますと同じ制作室の仲間や先輩との美術談義に熱が入ることも多々。(あ〜、懐かしいなあ)

4年間などあっと言う間。当然進路を選択する時が来ました。そのころの私は、(いや、今もですが)弱い自分を自覚していましたから、「ここで陶芸をやめて、普通に就職したりしたら、きっとやめてしまうだろうな」と予測しました。

「もっとやりたい」の一心で、そのまま大学院に。たかが2年間執行猶予をもらっただけですが。しかし、この選択が運命の分かれ道だったのでしょう。

勢いだけでやっていた80〜90年代、大きな作品が流行り、インスタレーションも花盛り。周りの風潮に流されていたのかもしれません。

少しずつ時代も変化し、2000年に入った頃。焼き物とは何ぞや?というところに立ち返り「手のひらに収まる愛おしい存在」あるいは「祈りの対象」「粘土って不思議。どんな形にもなる」みたいな事に気持ちが向いていくようになりました。

もう少し1点1点の作品に想いを込めようという風に変わりました。

絵を描くのも好きなので、立体に絵を描くことの楽しさを求めました。ここでもまた欲張りな私でした。

いろいろ考えを巡らせながら変化してきて最近のテーマは、「壺」です。

「壺」というものは、陶芸をかじった人なら誰もが一度は作るものでしょう。そしてかつての生活では必需品でした。しかし水道も完備し、冷蔵庫もある現代の便利な生活の中に「壺」は必需品ではなくなりました。しかし人は壺を作り続けます。粘土で壺を作ることは、理に叶っているし、少々大きなものはチャレンジし甲斐があるし、陶芸家にとっては技とセンスの見せ所になるものです。

「要らないのに作る」この矛盾が面白いなあ、と思い「壺」という形を選んでいます。一見わけのわからないオブジェよりも見てわかる形を借りています。

「今の自分」を投影するものとして「壺」でオブジェ作りをする一方で、私は普通の食器も好きです。しかも使いやすい器を心がけてしまいます。ここにも矛盾を感じます。(作家の中には、使いやすさを度外視して自分をだす食器で勝負する人も多いです)

30年以上土を触っていて、今こうやって自分を顧みると陶芸とは自分探しの旅であるという事。
常に「矛盾だらけ」
・孤独が好きで寂しがり
・ひきこもりで出たがり
・インドアでアウトドア
・優しくて冷たい
・遊び好きで勉強家
・明るくて暗い
・几帳面でずぼら・・・
列挙すればきりがない。皆さん、私もだ、と共感する方も多いのでは?土の作業は、自分の馬鹿さ加減を教えてくれます。結果が予想外に良かったり、その逆だったり。それが面白くてやめられないのかなあ。

大学の入学式で、当時学長だった梅原 猛先生の挨拶の中で、「芸術を志す者は、どこか心に傷がある」みたいなことをおっしゃいました。「えっ!?」とびっくりしたのを覚えています。「そうか、やっぱりなあ」と合点がいった記憶があります。やはりキズものか。粘土の作業は、何か傷を埋めるような作業に思えてならない時があります。

学校で教えることと自分の作品作りとのバランスをとることは、時間的にも精神的にも大変で辛いことも多いですが、とにかくここまで来たら引き返すことも出来ず、ただ走るだけ。今回、このような形で自分を振り返る機会を与えてくださりありがとうございました。長い話にお付き合いくださりありがとうございました。2014年は、珍しく2月と5月に個展を決めてしまい、現在、焦っているところです。また、どこかで作品をご覧くださることがあれば、ご指導くださいますようよろしくお願いします。

大原千尋作品展「ちひろ食堂」
日時;2月7日(金)〜2月15日(土) ※11日は休廊
時間;12:00〜19:00 ※土日・最終日は17:00まで
場所;MANIFESTO GALLERY
大阪市中央区大手通1-1-1
http://www.14thmoon.com/blog/m/manifesto.cgi?date=2014.02.07