みなさん、こんにちは!38回生の吉丸です。よろしくお願いします。
まず私の経歴からお話ししたいと思います。
高校卒業後、柔道の平野先生の紹介で六甲真珠貿易という会社に就職しました。そして社会人になって2年半、20歳の時に結婚しました。その時にふと思いました。このまま一生サラリーマンで終わるのかなぁ…と。
いやいや、ムリムリムリと思い、そのタイミングで飲食の世界に転職しました。なかなかのチャレンジャーでしょ(笑)
そして、30歳の時に『元町日和』というお店をオープンしました。それから『もと街びよりハンズまえ』『もと街びより摂津本山店』『パスターナ三宮店』『パスターナ元町店』『もと街びより豊中店』と開店、閉店を繰り返し、莫大な借金を抱えつつ、昨年6月に地元板宿で一から出直すつもりで『もと街びより』をオープンし現在に至ります。
今、このような人生を歩んでいるのも、高校時代に影響を受けた多くの事が土台になっていると思います。
では、どんな高校生活だったかと言いますと…とにかくよく働いていました(笑)
3年間、アルバイトばっかりしていました。6時間目の授業が3時10分に終わると、チャイムと共にバス停までダッシュし3時14分のバスに乗り、4時から新長田で働くという毎日でした。もちろん部活もしてなかったですし、行事などもあまり参加した記憶がありません。
そんな高校生活だったので、ここに書けるような思い出があまりありません。ただひとつだけ、みなさんより思い出がたくさんあるとすれば、それは『食堂の思い出』でしょうか…いや食堂というより、食堂のおばちゃんとの思い出と言った方が良いでしょうか…。
どれだけ食堂に入り浸っていたかと言うと、誕生日におばちゃんからプレゼントを貰うぐらい。と言えば、だいたい想像してもらえるでしょうか(笑)
昼はもちろん、休み時間になると食堂に行き、おばちゃんとしゃべっていました。今思うと仕事の邪魔をしに行っていたようなものですね…。
とにかく食堂のおばちゃんが大好きでした。いや、尊敬していました。
僕は中学の頃から、兄の影響もありARBが大好きでした。石橋凌が歌うワークソングと呼ばれていた労働者を讃える曲が大好きでした。そして、いつしか僕もホワイトカラーよりもブルーカラーに憧れるようになりました。
厨房で、汗をかきながら寸胴鍋のカレーをかき混ぜるおばちゃんの姿をどれだけ見ていたでしょうか…。
その都度思ってた事がありました。おばちゃんは凄いなぁ…と。朝、家事を済まし、子ども達を送り出し、食堂に来て汗水垂らして一生懸命働く。なんて素晴らしいんだ!
今、自分がしたかった仕事を自由にさせてもらっている。幸せなことです。食堂のおばちゃん達のおかげです!と言っても過言ではないでしょう。
卒業してから、一度だけ食堂に行く機会がありました。ちょうど昼時だったので忙しそうにしていました。挨拶だけして帰ろうと思い、食券売り場にいたおばちゃんに、「久しぶり!」と声をかけると、「立派になったなぁ」と、スーツ姿の僕をまじまじと見て喜んでくれました。
仕事の邪魔をしてはいけない。と思った僕(ちょっと大人になっていました笑)は、「じゃあ行くわ」と帰ろうとした時、おばちゃんが青い小判型のプラスチックの食券を僕の左手に置きました。そして、おばちゃんが右手で上からやさしく握らしてくれました。おばちゃんは何も言わず微笑んでました…。
あの時に食べたカレーの味、忘れません。
「おばちゃん、ありがとう♪
今日も、朝から晩まで汗水垂らして一生懸命働いてるよ…。」