「ドングリと子どもたちと」増田 牧子(高31)

みなさま、初めまして。31回生のマスダマキコといいます。

漢字では増田牧子(旧姓)と書きますが、造形作家としての作家名というか活動名をカタカナで書いています。

子どもでも誰でも読めるようにと思い、芸大2年生の時に初めて展覧会らしきものに出展する際に決めました。

思えばその時から子どもとの活動をすることを考えていたような気もします。

星陵高校では、美術部にどっぷりの日々でした。

中学3年の時の先生が、ポスター展などに入選する私に「美大に行ったらどうや?」と言って下さったのがきっかけでした。絵を描くことは好きだったけれど、それまで将来の選択肢として全くなかった美術の道をボンヤリと考え始め、高校に入ると迷わず美術部に入りました。お世辞にもきれいとは言えない美術室で先輩たちは石膏デッサンやら油絵をあたり前のように描いていました。「すごいなあ。2年も経ったら私にもできるようになるのかなあ。」と若干不安になりながらも、そんな先輩にあこがれも感じました。中学ではテニス部だったので、文化部ののんびりした空気感に拍子抜けもしながら、親切な先輩たちのおかげで、美術室が私の居場所になっていきました。夏休みにはイーゼル抱えて垂水漁港に写生に行ったり、電車の中でもクロッキーしたりと今で言うならちょっと痛い子だったかもしれないですね。

大学には、一年浪人して入学しました。浪人中に「マチスとその仲間たち」という展覧会を見て、絵画よりも立体的なものを作ることがおもしろいなあと感じ、大学では彫刻を専攻しました。当時は男の先輩ばかりの硬派な学科で、鉄を溶接したり、木を削ったりと汚いツナギで過ごす毎日でしたが、星陵の同級生と京都でシェアハウス(そんなおしゃれなものではないですが…)に住み、芸大には自由な空気がいっぱいでとても楽しく、毎日充実していました。

作品;”耳のナカとソト”

そんなこんなで、作品を作っては展覧会を開くというのが私のあたりまえになっていきました。

それを一変させたのが阪神大震災でした。

当時須磨寺の近くにダンナと借家に住んでいましたが、見事に全壊してしまいました。奇跡的にケガもせず無事でしたが、形あるものがことごとく壊れ、生活するのがやっとの状況で何か造形物を作る気には全くなれませんでした。さらに震災時には妊娠が分かっていたので、本当に自分の身を守るのが精一杯でした。そんな殺伐とした日々の中で、唯一心和んだのが植物でした。瓦礫の中でもしっかりと花が咲き、緑の葉が芽吹き出したのには心がほどけました。その頃たまたま避難していた弟の家のテレビで見た「どんぐり銀行」の活動になぜかとても心が動きました。当時は、香川県の林務課がされている活動で、子どもたちとドングリを集め苗木と交換するというものです。ごっこ遊びの延長がしっかり緑化活動につながっているんです。いても立ってもいられず連絡を取り、民間レベルでもできるかもしれないと背中を押され、神戸で始めることにしたのです。今から考えると震災から3ヶ月程しか経ってない時に、ずいぶん無茶な計画を立てたもんだと思いますが、私なりに「神戸の将来のためにできることはないかな?」と思ってのことでした。

早速芸大の頃の友だちや新聞報道を見て参加してくれた人々と「ドングリネット神戸」という小さなボランティア団体を立ち上げ、「ドングリ銀行神戸」の活動を始めました。当初はドングリにどれだけ種類があるのか、どうやって育てたらいいのかも全く分からず、すべてが手探りでしたが、困難ながらもとても張りのある楽しい時間でした。

震災の年の10月10日には初めてのドングリ銀行の窓口を開き、想像以上の人がドングリを持って来てくれました。その2日後には出産というめまぐるしい日々でした。

ドングリ銀行窓口

ドングリの芽生え

ドングリ銀行春の窓口

ドングリ銀行神戸の活動では、たくさんの今まで出会わなかった人々と話をし、一緒に作っているという感覚があります。例えば、苗木はすぐには育てられないので、「プラントマスター」という苗木を提供して下さる方を募れば、神戸以外の様々なところから助けの手を挙げてくれる方がいたり、地元の苗木生産者から土地やノウハウを提供してもらったりと、造形作家としての出会いとはまた違うつながりが次々とできていきました。そんな空気は震災後あちこちにあふれていた気がします。たくさんのものを失った中で唯一我々が得たものかも知れないですね。

苗木を交換するだけでは一番楽しい「育てる」部分が抜けていると気づき、「植樹ピクニック」の企画や学校出前授業にも出かけて行きました。子どもたちの素直な反応はとてもうれしく、笑顔にやる気がおこりました。

ドングリ植え付け

8年程が経ち、「ドングリ銀行神戸」の活動も軌道に乗り、震災復興というよりも緑を増やす環境活動としての意味合いが強くなってきました。その頃私の中にはまた沸々ともっと個人的に何か作ってみたいという欲求が湧き出てきました。

こどもたちと何かできることという思いはあって、造形ワークショップを始めました。

ひつじ銀行

青空カフェ

鳥の巣オルゴール

ワラの家

こども・自然・あそびを切り口にどこかのほほんとするようなモノづくりや体験ができるワークショップをいくつもしかけました。「六甲山牧場ひつじ会議」とか「青空カフェ」とか「ドキドキ基地計画」とか「ワラの家をつくろう」なんていうようなものです。今の子どもたちはゲームばかりしているようにも言われますが、心躍ることを見つけた時の反応は昔と変わりないと思います。そんな機会を少しでも多く、できれば自分自身の手で作ることにこだわってこれからも続けていきたいです。子どもが好きというよりも、自分自身の子ども性に気づくことが多いんです。「面白がり力」は子どもに負けないぞと思ってやっています。

詳しくは、マスダマキコHPでご覧下さい

http://masudamakiko.com

●「ドングリ銀行神戸」の活動は、2015年春をもって終了します
今後はもりづくり活動にシフトして行きます

ドングリ銀行神戸窓口
2014年4月29日 神戸総合運動公園 花のフェスタ

もりの手入れ活動に参加したい方は、
毎月第1日曜日9:30~11:00 みなとのもり公園(神戸震災復興記念公園)へどうぞ