「青春の光と影 ー懐かしき星陵の思い出ー」小林 亮介(高25)

星陵高校での3年間を思い起こすとき、まず眼に浮かぶのは明石海峡の美しい海と空だ。瞳を閉じると、今でも様々に色と形を変えながら飛んでくる雲が目に浮かぶ。

なぜ、そんなにリアルに海と空の風景が目に浮かぶのか!?
それは、しょっちゅう(時には授業中も)眺めていたからなのだ。

高校時代、私は決して真面目な生徒ではなかった。だが、いわゆる不良でもなかった。ただ、あまりちゃんと授業に出ず、屋上や舞子墓園などで明石海峡の景色を眺め、あれこれ思索に耽っていたのだ。

私が美術部に入部したのは高校2年生の時だった。1年生の時に何も考えずに入った柔道部のきつい練習から逃げるためと、密かに憧れている女の子が居たからだ。

ただ、絵を描くことは元々好きで、中学生のころから油絵を描いていた。だから、決して不純な動機ばかりではなく、三番目くらいに「絵を描きたいから」という純粋な動機はあった。

美術部には青木という、幼稚園からずっと一緒だった友人が居て、お互い意識し合い、ライバル関係にあった。そんな若干の緊張感と、入部してみたら憧れの子が滅多に来ないという落胆の中で、私は悶々としながら毎日暗くなるまで絵を描いていた。

青木と私(卒業アルバムより)

その青木は三年前に帰らぬ人となってしまった。誠に残念だ。

美術部の顧問は、赴任していらっしゃったばかりの西沢好博先生で、当時はまだ30代前半だったと思う。タバコと絵の具の匂いの美術準備室から窓の外の風景を描いていらっしゃった。西沢先生はいつもガムを噛んでいて、今で言う「ちょいワル」っぽい雰囲気を漂わせていた。

星陵美術部(手前は西沢好博先生)

夕方になると、美術室の窓から美しい夕景が見えた。ラジカセも無い当時、私は姉からもらった語学学習用のカセットレコーダーにイヤフォンを突っ込んで、クラシック音楽を聴きながら暗くなるまで飽きずに眺めていた。

モーツァルト、ベートーヴェン、ブルックナー、マーラー。友人とレコードを貸し借りしながら毎日何時間も聴き、そして、絵を描き続けた。

授業にもあまり真面目に出ずに、屋上で景色を眺めながら音楽を聴き、放課後は暗くなるまで美術室で絵を描いていたので、当然のように成績は下降の一途を辿り、欠席日数も危険水域に入った。

周囲には似たような連中が何人か居て、時の経つのも忘れて、音楽や芸術について語り合った。学校の帰りには、県商前のお好み焼き屋や「たるせん」の珉珉でお腹を膨らませ、ブラジル、思いつき、ジャパンなどの喫茶店を時には遅くまでハシゴした。

高校も3年生になると、ノンビリしていた私もさすがに将来のことを考えざるを得なくなった。今さら勉強に力を入れて一般の大学を受験する気にもなれず、美術の道を選ぶことにした。その頃の私は、将来への不安に押し潰されそうになりながらもますます絵に没頭し、救いを求めていたように思う。

修学旅行(桜島をバックにスクラッチブックを持って)

高校3年生の3月に愛知県立芸大を受験したが、残念ながら3次試験で落ちた。ただ、それなりの手応えを得たので、私は東京に出て浪人生活を送ることに決めた。

その後、長い浪人生活と長い長い学生生活、そして四年間のドイツ留学生活を終え、現在は愛知県にある名古屋造形大学の教員として在職し、2012年度からは学長を務めている。

名古屋造形大学

私は学生時代からインスタレーションなど、現代アートといわれる範疇の表現活動を行ってきたが、ここ数年は写真をコンピュータ処理した作品を制作している。よく考えてみると、そこには高校、浪人時代を通じて描いてきた油絵や素描の流れが明らかにあるように思う。つまり、対象を凝視しながら如何にリアルに捉えようかと躍起になっていたことが、少し俯瞰して「対象を正確に二次元に表現することの不可能性」をパラドキシカルに表現する、という今の作品につながっているように思うのだ。

ここ数年、私は数百から千ショット近い写真をコンピュータ上でつなぎ、幅が5m~6mある写真作品を制作している。その結果、出来上がる作品は一見普通の写真のように見えながらも、写真とは全く異なった、むしろ絵画的パースペクティブを持つ写真となる。そして、その作品は「全体と部分を同時に捉えることができない」構造を持っており、我々が視覚的に世界を捉える仕方と同じ構造を持っている。

対象を凝視し、正確に把握することに腐心した受験生時代だったが、世界とは何か、自分とは何かを考え続ける日々がここから始まった。

人生の残り時間を考える時期に入り、答えを求めて悶々と過ごしたあの頃と同じところに戻ってきたように思う。ただ、違うのは「答えなど出ない」ということが分かっていることと、少しばかり人生経験を積んできたことの精神的余裕があることだ。

星陵高校の3年間はたったの3年間とは思えないほどの意味があった。不安や怖れに苛まれながらも、美術に救われ、音楽に癒され、そして友を得た。明らかにあの3年間が今の私の出発点だ。

生物の課題を”絵”で許してくれた高野先生。何度もガッカリさせたのに信頼してくれた音楽の田村先生。そして、美術に携わる先輩として親身のアドバイスをくださった西沢先生など、素晴らしい先生方にも恵まれた。

修学旅行(田村嘉崇先生と)

悩み多き星陵時代だったが、胸にキュンとくる夕焼けの色とともに、今でも鮮やかに思い起こされる。