「高校時代の一番鮮明な思い出」伊賀 美樹子(高57)

初めまして、57回生の伊賀美樹子です。現在は作・編曲家、ピアニスト、高校やカルチャーセンターの講師と様々な仕事を掛け持ちして、何とか音楽を生業としています。星陵の同窓生には活躍されている音楽家が多く、多くの先輩方の恩恵を受けて今まで何とか音楽を続けてこられました。

まず高校時代お世話になった音楽の寺師紀子先生。大学在学中も頻繁に相談に乗って頂き、仕事がなくて困っていた時期にはブライダルの事務所を紹介して頂きました。次にコラムにも登場した藤井快哉先生。大学時代からお世話になり続けています。私の専攻は作曲ですが、ピアニストとしても仕事が貰えるのは、先生のご指導のお陰です。そして、このコラムのお話を頂いた北井春花先輩は某大学合唱団の客演でご一緒しました。年も近く華やかで憧れのお姉さん的存在です。

高校時代に寺師先生と

他にも音楽関係の場で「私も星陵です」ということがきっかけで同窓生との交友が始まることもあり「中学生の私、星陵を選んでくれてありがとう」としみじみ思います。

そんな卒業してからも大好きな高校時代の1番の思い出を書きます。

高校時代の1番鮮明な思い出は1年生の体育祭の打ち上げです。

カラオケに始まり、ファミリーレストランで食事し、最後は舞子の海岸で遅くまで遊んでいた記憶があります。全員が集まれるよう日曜に集合して、部活がある人たちも途中から合流して、海辺に移動する頃にはほぼクラス全員揃っていました。

体育祭そのものは何の競技に出たのか、クラスの勝敗はどうだったのか全く思いだせませんが、打ち上げの高揚感と少しスリリングな気持ちは鮮明に思い出せます。

藤井先生と門下発表会後に

当時の私は部活には入らず授業が終わると即帰宅する日々を送っていました。
そして「せっかく他校と違って私服を着る権利があるのだから!」と私服で高校に通っていました。

そんな我が道を行く高校生でしたので、浮いていたと思います。それでもみんな上手く輪に入れてくれていたので、自分を偽ることなく伸びやかに過ごせました。今でも1-1メンバーとは頻繁に連絡を取り合い、2ヶ月に1度ほど会います。しがらみなく何でも話せる、日だまりのような存在です。

北井先輩と本番後に

思い返せば3年間、行事そのものよりも途中の少し余分な部分(星陵祭のクラスTシャツに絵を書き足す、校外学習解散後の寄り道の計画を立てるなど)や行事後の打ち上げを楽しみに日々過ごしていました。そのような無駄な部分が好きな気持ちは今も変わりません。極論を言うと音楽も生活に必要ないので、音楽で生きていこうとする気持ちは高校時代に培われた気がします。

57回生1年1組(2002年4月)

4月頭に星陵の友人たちと「大人の野(夜)外活動」と称して、天神橋にライトアップされた夜桜を見に行きました。酔った私たちは大人しく桜を観るだけでは満足せず、夜の公園でブランコを全力で漕ぐという寄行をしました。

何週間かたっても思い出すのは「ブランコ楽しかった!」ということで、友人に聞くとやはり同じで、似た感性を持つ友人に嬉しくなりました。同級生には様々な職種の人がいますが、いつか何らかの形で一緒に仕事ができたらいいなと思う今日このごろです。