「走るー成長する自分を追い求めて」神田 哲也(高33)

2時間56分27秒。2013年12月23日。加古川マラソン。50歳11ヶ月。2年ぶりに、フルマラソンの自己ベストを更新した。
フルマラソンで3時間を切る日が再び訪れるとは思いもしなかった。

2007年秋、大阪発の新快速電車での、きのりん(33回生 放送部 木下依久子さん 通称きのこ)との他愛ない会話から始まった。

「六甲アイランドで開催される神戸シティマラソンに子供が出場してたんだけど、観ていたら、自分でも走りたくなったわ」
「私、10kmに出場したよ」
「えっ、ほんま! で、どうやった?」
「53分で完走したよ」
「10km、すごいなぁ。そんな長い距離、走ったことないわ。放送部の女子で53分、ラグビー部の自分だったら何分やろ。完走出来るかな、走ってみたいな」
「今からなら、来年の1月の大会にエントリー出来るよ」

そして、2008年1月、初めて10kmのレースに出場した。緊張感いっぱいでスタートを待ち、号砲と共に、周囲のランナーたちに引きずられつつ、無我夢中で走った。3kmで苦しくなり、一生続くのかと思うくらいの苦しさに耐えながらゴールした。
タイムは、46分48秒、ゴール後の安堵感、達成感は、今まで感じたことのない、何物にも代えがたいものだった。

このときの達成感を忘れることが出来ず、2008年3月に名谷を中心に活動しているランニングクラブに参加した。
練習メニューは、毎週土曜日の朝に六甲の山々や瀬戸内海の海岸線をゆっくりと20〜30km、ゴール後のお風呂とビールを楽しむというもので、本格的な陸上の練習とほど遠いものだった。それでも、ランニング経験のない私には10kmを走るのもきつく、練習に慣れるまでの数ヶ月間は、ゴール後に動けなくなるほどであった。その分、ゴール後の達成感、ビールのおいしさもひとしおで、毎週の練習会に虜になってしまった。土曜日を中心に回る生活が始まった。
そんな、ある日、ランニングクラブの先輩から「今のように毎週の練習会に参加して、月間300kmの練習量をこなしていたら、1年内にフルマラソン3時間30分、ハーフマラソン1時間30分、10km40分を切れるようになるよ」と言われた。
フルマラソンを走りたいなんて思ったこともなかったが、半信半疑ながらも2008年5月から月間300kmの練習を開始した。走らない人からすれば月間300kmというのは、とてつもない距離に思えるが、1ヶ月に30時間強を走るために割けるかどうかということであり、習慣にしてしまえば辛い思いや苦しい思いをすることもなく達成できることがわかった。そして、半年後の2008年11月、福知山での初フルマラソンに出場し、3時間16分でゴール出来た。
その後、1年も経たない内に、でハーフマラソンも、10kmのレースにおいても、言われた以上のタイムで走れるようになった。

学生時代でも努力して脚が速くなるということを実感したことはなく、ましてや、45歳にもなって脚が速くなるとは想像したこともなかった。それが、必死にならなくとも継続していれば成長出来る、やれば出来る自分を発見できた喜びは、非常に大きなものであった。
そのような中、ランニングクラブに新メンバーが入会してきた。たけちゃん(43回生 硬式テニス部 竹本準一さん)との出会いである。たけちゃんとは、名谷から六甲山頂を経て有馬温泉や宝塚、名谷から垂水経由で加古川というようなロングコースでも、小学生のように競争をしながら走ったり、さまざまなランニングイベントに一緒に参加したりしながら、楽しみつつ、切磋琢磨しあった。
その結果、たけちゃんはフルマラソンのタイムが伸びると共に、100kmのウルトラマラソンの完走も果たし、飲めなかったお酒も人並み以上に飲めるようになった。

たけちゃん@丹後100kmウルトラマラソン

私も、同様に2010年11月の福知山マラソンでサブスリー(3時間切り)を達成することが出来た。それから、2011年3月の篠山マラソン、11月の神戸マラソンでも、相次いでサブスリーを達成し、将来の夢がいっぱいに広がっていった。
ところが、順風満帆に思えた日々も、簡単に暗転する。
神戸マラソン後、仕事で火消し役として参画したプロジェクト、火を消すどころか、一気に火だるまになってしまった。十分な睡眠も取れない日が続き、練習会にも参加出来ず、走る習慣も消滅してしまった。1年数ヶ月後にプロジェクトは終了したが、走るという気にもなれなくなってしまった。
レースにだけはエントリーしていたが、練習をせずに大会に出場する→悪い結果が出る→やる気が失せる→練習量が減る→悪い結果が出る→やる気が失せる・・・
どんどん悪循環にはまっていった。その頃、たけちゃんの高松への転勤が決まった。ランニングクラブの練習会にも参加しなくなった。
「なぜ、あんなに練習出来ていたのだろう、前のように走れることは、もう二度とないだろう」、そんな気持ちが心を支配していた。

たけちゃん@高松

一方、その頃、きのりんはフルマラソンの記録をどんどん更新、ウルトラマラソンへも挑戦し、私とは逆のスパイラル、頑張る→結果が出る→やる気が出る→頑張る・・・という私と正反対の状況だった。

きのりん@名古屋ウィメンズマラソン

2013年秋、きのりんから紹介を受けたモコさん(32回生 鈴木朋子さん 通称でこちゃん)から練習会に誘われた。毎週土曜日の早朝に、タルケン(垂水健康公園)で1時間半ほど走っているという。
なんとなく、練習会に参加し、他愛もない雑談をするという状況が続いた。そのうち、練習会に参加している仲間に刺激を受け、走るという習慣が復活してきた。「もう一度頑張ろう」という気持ちも芽生えてきた。月間の練習量も400kmまでに復活してきた。

モコさん@大阪マラソン

モコさんとの練習会に参加し始めて3ヶ月後、2013年シーズンに初めて出場したのが、加古川マラソンだった。練習量は戻していたが、レース前から「どうせダメだろう」と諦めの気持ちが支配していた。そのため、レース前の調整は全く行わず、前々日には32km、前日には25km走るという、無茶苦茶な状態でレースに臨んだ。
しかし、2年ぶりの自己ベスト更新、何事も諦めずにチャレンジすれば、結果が出ることもある。「『チャレンジしてもダメなこともある、チャレンジしなければ結果は出ない』と誰かが言っていたな」「練習前の調整が無茶苦茶でこのタイム、ちゃんとやればどんなに素晴らしい結果が出るだろう」「『結果が出る→頑張る→・・・』新しいスパイラルに突入できそうだ」などと考えを巡らしていた。
シーズン、最初のレースの好記録に気分を良くして臨んだ2014年のレース、甘くはなかった。2月の別府大分毎日マラソンでは何とかサブスリーを達成したものの、3月の篠山では3時間10分、大本命の4月の長野では自己ワースト記録を更新して3時間28分、急遽エントリーした5月の長居の大会では連続して自己ワースト記録を更新、3時間40分。故障もなく、体調も悪くないのに今までにないくらいタイムが落ちていった。
2大会連続の自己ワースト記録更新でレースシーズンを終えてしまった。レース直後の「もう走るのは止めよう」という考えはなくなったが、気持ちは沈んでいる。

スポーツには不確実性がある。「これだけやれば大丈夫」というのがない、万全の態勢で臨んでも結果が出ずに苦しむことがある。それだからこそ、結果が出せた時の喜びは大きい。
来シーズンには、再び成長できている自分と巡り合えると信じて、しばらく足が遠のいているタルケンにも顔を出してみようと思う。