「星陵高校は我が人生の原点」倉橋 孝(高20)

 私が星陵高校に入ったのは中学時代に受けた「いじめ」がきっかけでした。中2の3学期に今の中央区の生田中学から歌敷山中学に転校してきました。身長140センチの小学生に間違われるほどの小柄な私でしたが、転校生というのは目立つものなんですね。次の日に4~5人のグループに「顔かせや」と学校裏の五色山に連れ出され、「その頭なんや」と暴行を受けました。すぐに坊ちゃん刈りの頭を丸刈りにしましたが、それからは毎日のようにいじめを受け続けました。今考えると、よく登校拒否にならなかったなと感心します。当時そういう言葉もなかったし、学校は行くものと思い込んでいたのですね。でも私は地獄でした。殴られるのは決まって昼休み。顔だと証拠が残るのでいつも腹です。吐いてしまうので弁当は持参しませんでした。成長盛りなのに…。ここで生涯チビが決定したようです。中3になってボスとは別のクラスになりましたがいじめは続きました。先生や家族に何度相談しようと思ったことか。でももっとひどい目にあわされるのが嫌でできませんでした。

ひとつだけ希望がありました。「あいつらの行けない高校に入ろう!」。その希望の星が星陵高校です。噂では音楽に若き熱血教師がいるらしい。三者面談で星陵の名を出すと即座に「無理!」。成績は中の中でしたから…。でも引き下がれません。担任の猛烈な反対を押し切って星陵単願を決めました。それからの猛勉強は一生の思い出です。大好きなタイガースの優勝や東京オリンピックに目もくれずひたすら過去問を家庭学習。当時、塾というのはなかったか知らなかったか、孤独な勉強に不安を覚えるたびにいじめグループの顔を思い浮かべてがむしゃらに勉強しました。おかげでクラスメートや担任から「奇跡や!」と言われた合格をゲット!!! もうあいつらと顔を合わせることはない! 清々しい解放感で迎えた入学式の満開の桜とコーラス部の校歌合唱が忘れられません。でもまだ声変りが終わってなかったのでとりあえずブラバンに入部。夏休み前に晴れて大人の声になり即座にコーラス部へ。どちらの部も顧問は田村嘉崇先生でした。噂は本物! 音楽の授業は毎回が感動で身が震えました。この大恩ある田村先生と去年一昨年の東京支部総会で、また今年は東海支部総会で先生の歌の伴奏ができてこの上ない幸せです。田村先生は私よりちょうど10歳年上。失礼ながら兄貴のような親近感を持っていました。偉大なる田村先生の指導の下、私は星陵高校時代に将来の設計を明確に持つことができたのです。国立音大声楽科にターゲットを絞った私は、度胸試しにNHKのど自慢に出てみました。鐘連打で、思いがけず西日本大会・全国大会にも進むことができ、大学受験も勝ち進みました。

のど自慢大会テレビ出演

ここまでの4年少々は私の人生の十数分の一ですが、まさしく原点なのです。星陵がなければ、また田村先生がいなければ私の今はありません。いじめグループにも感謝しなければなりません、不本意ながら…。今にしてみれば、160に満たないチビの私が誰よりも豊かな声量を持てたのは、毎日のように殴られた腹が「体幹」を鍛える一因になっていたのかも知れません。何回か共演した日フィルの大河内コンサートマスターから「声だけなら世界に通用する」と言われたんですよ。(嬉)

高校一年生

大学卒業後、東京都の小学校音楽教諭になりました。授業をするとき、いつも田村先生の真似をしていました。相手は小学生ですが根が幼稚な私は常に児童に大人気でしたよ。バレンタインチョコを200個以上貰ったこともあります。教師傍ら、様々なコンサート活動やイベント活動を許される限りに行いました。国際活動としても、日ソ子どもの夢シンポジウムの日本代表講演や、愛知・上海万博での子どもの広場ミュージカルの作詞作曲も手がけました。55歳で独立し、倉橋音楽事務所主宰として主に幼稚園の園児や先生の音楽指導・講演・作曲活動を生業として今に至っております。

上海

上海の様子

去年嬉しいことがありました。星陵高校同窓会東京支部総会で同じ20回生コーラス部の浅田雅広君に45年ぶりにあったのです。彼は田村先生に会いたくて出席したそうです。なんと私が月に2~3回指導に行っている相模原の幼稚園のすぐそばで歯科医を開業していました。それからは指導日の度に彼と食事を共にして星陵の思い出話や音楽談義をしています。彼の発案で、同じく去年の総会に出席していた36回生の下司明美(旧姓立石)さんに協力いただいて、コーラス部OB会東京支部を立ち上げました。今年の8月30日の東京支部総会で校歌を共に歌おうと首都圏在住のコーラスOB部員に文書を発送しました。東京支部相談役の大先輩3回生の中野光倫作詞の星陵応援歌の作曲も6月1日に完成。総会席上みんなで朗々と歌いたいと思います。

「星陵高校」 この響きを耳にする度にバラ色の青春時代が蘇ります。同級生に支部総会のお誘いに電話をしたときに私の近況を話すと「夢が叶ったのね!!」 仕事にしていると、ややもすると音楽が苦痛に思うこともあるのですが、高校時代に夢見ていたことが現実になった幸せを感じることこそが星陵高校への恩返しだと思いました。応援歌の一節に{文武を目指し三年(みとせ)の集い}とあります。人生にとって たかが3年・されど3年