「ウエディングの仕事にかかわって〜縁〜(ジェットコースターのような人生)」石橋 仁美(高29)

みなさま、ご無沙汰しております。29回生、石橋仁美です。

50歳の記念の年に同窓会の司会をさせていただき
久しぶりに同窓生にお会いできましたこと感謝いたしております。

【高校時代】

高校時代の思い出・・・となると記憶のかなたです。
断片的な記憶ばかり、こんなにも記憶がないのかと思っております。

高校時代、父と

高校時代は、自分では結構まじめな生徒だったと記憶しています。
席替えがあると真ん中の席の子に代わってもらったり。
よく職員室にも質問に行きました。

どういうシュチエーションだったか、
自習の時間にクラスの生徒がみんなどこかへ行って、
ひとり真面目に教室に残り自習していたら、
「みんなどこへ行った?」と怒られ
「知りません。何故まじめに残っていた私が怒られないといけないのでしょうか。」と答えた記憶があります。

三年生時クラス写真

高校三年生の時、河野先生が大学進学の推薦のお話をくださり
親が宗教上の理由で反対し、家庭訪問までして親の説得にあたってくださいました。
まじめだけど本番に弱い性格を見越してくださったのでしょう。
残念ながら、その大学は諦め、別の大学に進みましたが
不思議なご縁で、その大学に娘はやはり推薦で進学いたしました。

高校時代は、男子バレー部のマネージャーをしておりました。
一つ上の学年の方はおられず
一つ下の学年の大谷(旧姓)清子さんと一緒に
冷たいレモン水作ったり、スコアをつけたり、がんばってまいりました。
笑ったり、恋愛や人生について語ったり、楽しかった思い出ばかりです。
負けた試合の時は声をかけるのが辛かったです。

修学旅行

なぜかラグビーが好きで、ラグビーの試合にも西村先生に連れていっていただきました。
松尾さんや大八木さんが活躍されていてラグビーがブームだったのかもしれません。

修学旅行

今の私が同窓会につながっていられるのは、
中学から一緒で1年生の時も一緒だった木幡(旧姓)敦子さんのおかげです。

記念の年の同窓会の司会も木幡さんが強く推薦してくれたおかげです。
本当に感謝しております。

なぜなら、これまでの30数年、なかなか変遷の多い時を過ごしてきたため
星陵の友人は数名しか連絡を取っていませんでした。
木幡さんが同窓会の幹事をしてくれていなかったら
このご縁はなかったかもしれません。

【振り返り】

大学卒業後、兵庫銀行に就職、秘書室に配属され、
順風満帆のスタートでしたが、
大学時代から付き合っていた彼が千葉勤務だったため
東京営業所への転勤を希望(ずいぶんずうずうしい新入社員ですね)
そして結婚、すぐに子供が出来、わずか3年で出産退職いたしました。
エスカレーターなどなく、総武線の地下3階から8か月の大きなおなかを抱えて
階段を押されないように早足で歩いて通勤したことは忘れられません。

それから2年くらいは穏やかな日々でしたが、そこからがジェットコースターです。
娘がおなかにいる時にわかった結婚を続けるのが困難な問題
何度もやり直そうとして、家も売り、引っ越しもして頑張りましたが、
改善されず、とうとう保育園児二人抱えて離婚を決意。

神戸に帰ってきた頃の両親と子供達

神戸へ帰り、県営住宅から三人の生活が始まりました。
昼は妹の会社の経理をやりながら、夜は赤ペン先生
土日にできることはないかと始めたのが結婚式の司会の仕事です。

これが今につながるウエディングの仕事のきっかけです。

その後、月~金は西神戸医療センターの医局受付
土日は結婚式の司会の仕事をして西神中央で子育てをしてまいりました。
舞子ビラ・六甲荘・ポートピアホテル・メリケンパークオリエンタルホテル・新神戸オリエンタルホテル・西神オリエンタルホテルなどなど、
特にオリエンタルという名前のホテルにはお世話になりました。

その後ワタベウエディングのマーチュアガーデン神戸の立ち上げを手伝う形で
ウエディングプランナーの仕事を始めました。

既成の施設にはない、自由な発想で新郎新婦の思いにこたえることができ、
本当に楽しかったです。
元片山総務大臣のお嬢さんも担当しました。
当日まで知らなかったので、テレビで聞くお名前のたくさんの電報。
大きな引き出物、バック2つに入りきらないほどで驚いたのを覚えています。

縁あって、メリケンパークオリエンタルホテルの婚礼の副支配人に招聘していただきました。
ホテル業界をしらないまま、社長が連れてきたわたしに周りも戸惑ったことでしょう。
まだまだ、ホテルウエディングが強く、婚礼件数も1000件以上していた時代です。
前年対比だとか、BLだとか、40歳過ぎて一から勉強でした。
また、携帯に縛られ、休みの日も何かあればジャッジしなくてはならず
精神的にはきつかったのです。
ただ、数字はよくその頃の婚礼件数の記録は今でも破られていません。

そのあと、またご縁があってウエスティンホテル大阪で婚礼の課長に就任。
同じホテル業界・ウエディング畑でも、まったく違う社風に、また勉強です。
ここでも他ホテルからGMが連れて来たというので、
風当たりはかなり厳しかったです。
が、二人の子供を人並みに育てるためと奥歯を噛みしめ、踏ん張りました。
逆に、二人の子供のサポートがあってこそ、やって来れました。

そんなこんなで、土曜日曜はまったく休めず、
残りの時間は、日ごろかまってやれない子供と過ごすため
同窓会や友達との食事会などはまったく行く時間が取れませんでした。
休みの日は子供と、近くの公園にお弁当持っていったり
動物園やバーベキュー・キャンプと楽しかったのですが
「約束は守る」ために時には頭痛薬を飲んでも出かけたしたものです。

子供との生活を守るため、仕事中心に生きてきましたが
さすがに離婚して以来ずっと見守ってくれた父が癌になり、
先生からの説明や手術などでも気を遣い生きづらい雰囲気と
仕事を優先する生活に区切りをつけ、いったん退職。
このころ下の子の大学の最後の授業料を支払ったので決意できました。

娘の成人式、両親と

2009年からは父の介護のお手伝いや介護している母のサポートをしつつ、
神戸ウエディング会議の事務局や西明石のホテルキャッスルプラザのアドバイザーなどをして
2011年に亡くなるまで、思い残すことなく介護することが出来ました。

晩年の父との家族写真

その後、独立を考え、あらためてさらに別のプランナーの資格取得とともに
プランナー講師の資格もとり、接遇やカラーセラピストの資格も取るなど準備を進めつつ
やはり、新郎新婦とお話して二人の想いを形にする楽しさは忘れられず、
丁度、ウエスティンホテル大阪に戻ってこないかというお話をいただき
私が起業することも理解していただき、契約社員として復帰
2013年3月3日亡き父の誕生日に、正式に起業致しました。

【ご縁】

ブラックと言われるブライダル業界の若いプランナーに
この仕事の「こころ」や考え方のヒントを与えたいとプランナーの講師を始めました。
これはワタベウエディングで自由にやらせていただいたお蔭です。

流通科学大学

2013年9月からは、流通科学大学でブライダルの特別講義のお話もいただき
前期のブライダルコーディネーションⅡでは、生徒たちと一緒に人前式を創り、
ブライダルの楽しさとたくさんの人とのかかわりで成り立っている事を伝えています。
流通科学大学は、20年以上前からお世話になったたくさんのホテルの
創始者である中内力氏とのご縁を感じています。

また今年に入って、病院での接遇研修のお話もいただきました。
これは神戸ウエディング会議で事務局をさせていただいたご縁です。

接遇研修

またこのリレーコラムも、たまたまFacebookに、娘の披露宴の写真をアップした際に
娘の高校の恩師が前澤先生でつながりました。ご縁ですね!

【今の仕事】

2012年には息子がポートピアホテル神戸で結婚式・披露宴を
2014年には娘が、沖縄でワタベウエディングのお世話で結婚式・ウエスティンホテル大阪で披露宴をしました。

息子の結婚式(留め袖着てます)

二人とも披露宴は私のプロデュースです。

長男は、六甲山と海の見える会場で、テーマカラーは「ブルー」
音楽はジャズの街神戸にふさわしく、新郎新婦の大好きなディズニーをジャズアレンジで、
ジャスの生演奏も入れて、「神戸」を感じてもらいました。
料理も大切なので、料理長が特別料理を作ってくださいました。

娘の結婚式披露宴

娘は、「おじいちゃんが亡くなって元気がないおばあちゃんに旅行をプレゼントしたい」
という思いで沖縄での家族だけの挙式&旅行。
披露宴は、ANAに勤務する二人のために、
沖縄から飛行機で会場に移動したようなオリジナルの映像を作成してもらい、
カラーコーディネイトはANAカラー。
キャンドルや装花には季節感にこだわりました。
もちろん、ウエスティンは料理がおいしいと評判ですがさらに特別メニュー。自慢のお料理です。
演出は、私のわがままでオペラ歌手に入ってもらい、ライティングにもこだわり、
歌と光と照明でドラマティックに構成しました。
もちろん、新郎の好きな曲も入れました。
好きなようにさせてもらい、それに応えてくださった
ウエスティンホテル大阪のスタッフのみなさまには本当に感謝です。

【メッセージ】

考えてみると、この30年間、
市川市・千葉市・横浜市、垂水区・西区・中央区2か所と
仕事を転々とするとともに状況にあわせて転居してきました。
仕事の上では決して楽なことばかりではなく、
時には不条理と思うことも飲み込み、土下座することもありました。
でも、まっすぐに生きていくことは愚直に続けたつもりです。

「人生いつでもやり直せる。」そのメッセージを送りたいと思っています。

特に女性は出産・介護そのほか自分のせいではないことで
せっかく創り上げたものを手放さなければならないこともあります。
男性にとっても難しい世の中です。
がんばっている方にこれ以上頑張れとは言えません。
踏ん張りましょう!底力を見せましょう!

【最後に】

中学・高校・大学の友人には、付き合いの悪い人だったと思います。
これからもまだしばらく仕事中心の生活になると思います。
なんとか年に一回ぐらいは参加したいと思っておりますので
懲りずにお誘いください。

嬉しことも悲しいことも共に生きてきてくれた二人の子供たちには
本当に感謝と申し訳ない気持ちでいっぱいです。
でもこの家族へぶつけていたエネルギーを仕事にぶつけたいと思っています。
流通科学大学の学生であり、プランナーの卵たちであり
いろんな職場でがんばる社員・職員の皆様への応援という仕事です。

接遇研修・新入社員研修・スキルアップ研修などあれば
お声掛けくださいね。

もちろん、ウエディングのご相談にものります。

結婚式はいいですよ!

コストをかけなくても、親への感謝と周りのみなさまへの感謝は伝わります。
コストをかけるなら、効率よくかける所とかけないところアドバイスします。
セカンドオピニオンにも使ってください。

長文お読みいただきありがとうございました。