「美術の」岡中(加藤)克史(高36)

皆さん、こんにちは。36回生の岡中(加藤) 克史と申します。

大学を卒業した後、数年会社員をしていましたが、30歳になった1996年から三重県の伊賀地域で中学校の美術教諭の職に就かせていただき現在に至ります。伊賀は、松尾芭蕉さんの生まれた土地で、伊賀忍者、伊賀牛が有名です。また、昔は琵琶湖の湖底だったので古琵琶湖層という地層から良質の陶土が採れ、古くから伊賀焼きが発展しました。

私は、地域に出来たNPOの依頼を受け、2000年4月から土曜の午後と日曜終日に、障害のある人を対象とした美術制作のプログラムに携わるようになりました。このプログラムでは制作活動を通じて、豊かな生活を実現することを目標としていました。今まで体験していなかったことが出来る喜びは、次はこれをしてみたいという希望を参加者に生み出します。NPOのプログラムでは土日の午前・午後に移動しながら4会場で開催するため、移動に関わる画材の運搬などで制限があり、もっとやってみたいという参加してくださる皆さんの希望に寄り添うことができないもどかしさを感じていました。出逢ったみなさんの笑顔が生まれる取り組みを実現するためにも、あそこへ行けばやりたいことができるという拠点を作って、そこで皆さんの願いに向き合うことを次第に考えるようになりました。

当時勤務していた学校は「荒れた」学校と地域で言われてきました。下校時に道ばたで生徒が集まって話をしていると「中学生が何か悪さをしそうだから、すぐに見に来て欲しい」と学校に電話が入る、そんな日々でした。自分の暮らす地域の大人たちからどう見られているか、当然子どもたちはひしと感じながら生活をおくっていました。そんな毎日では、子どもたちは自分が生まれ育った土地で、自分のやりたいことへの望みや夢を考えることって難しくなってしまいます。子どもたちと日々過ごす中で、この子たちがしたいことを思い切り出来る場の実現やそれをサポートしてくれる人との出会いのある場がかなり必要であると強く考えるようになりました。

そして、2002年4月に「森のアトリエ」を三重県伊賀市で始めました。

アトリエでは、美術の作品制作や楽器のレッスンやバンド活動などの表現活動のサポートや、小さな図書館などすべての活動を無償で提供しています。

障害のあるなしに関わらず絵画の制作をしたいさまざまな年齢の人たち。楽器が上手になりたい人や、バンドの活動をしたい子どもや青年、大人たち。アルバイトしながら自分の生活をどうにかしたい性同一性障害の子どもたち。不登校の子ども、引きこもりの青年、虐待を受けた経験のある子ども。おしゃべりしたくて来る人や、お茶の時間が近づくとやって来る人。多様な生きにくさの中にいる人たちがアトリエで過ごして、そして生き直しをしていく場面におつきあいさせていただきました。現在も、バンドが練習に来ている時は別の建物から練習の音が聞こえて来る空間で、いろいろな思いや気持ちの人たちが、ごちゃ混ぜになって自分のしたいことをしたり、心地よい人との関係を味わう時間がアトリエに流れていきます。そしてこの時間があることが、自分の生活の次の一歩を考え、作っていくきっかけになっていたことを、アトリエにいらっしゃる皆さんの変化かから感じています。

こういった気持ちや生活の変化は、勤務している学校でも感じることがあります。不登校や登校しても別室で学ぶ子どもたちの、自分の教室に入っていくステップの一歩目に、「美術の授業は出る。」という子どもの発言と出逢うことがあります。また、学級で一本のアニメーションを制作する授業では、不登校の子どもに制作途中のその子の所属する学級の映像を紹介すると、「これやったら、自分もやってみたい。」と、突然描き始める子どもたちにも出会ってきました。子どもたちは互いに直接顔が向き合わない別の場で描かれた絵画を処理して出来上がった映像から、お互いの変容を確認し合い共有が進んでいきます。この積み重ねが、直接出逢わなくてもあの子がこう思っているんだって思いを巡らせる場となっていくことで、互いを受容しあう関係づくりの生まれるきっかけになっていきました。生き直しが必要な子どもたちにとって、その手の中から生まれ変容していく作品のようすの共有が、子どもに自己肯定感を生み出し、表現の持つ力によって他者との関係性を作り直し、そして生き直しをする場となっているのです。だからこそ不安や苦しみを抱えていきようとしている人間と向き合う時、その人には「生き直し」の権利があり、「生き直し」を可能にする場が保証されなければいけないと私は考えています。美術の持つ力を大事にして、今日お出逢いする人たちが良かったって思っていただけるような時間を、その人たちと一緒に作っていければと日々動いています。

ふと自分のこれまでを振り返った時に、いろいろな願いや思いをじっと受け止めて、個人の責任の中で大事に体験をさせてくれた星陵高校で過ごした時間が、今の私の芯になっていることを思います。星陵の美術室の風景は私の記憶の中にしっかり刻まれています。私のこれまでの勤務校の美術室が、あの風景を志向した部屋になっていくのに気づいた時、思わず心地よかったりします。また、第62次教育研究全国集会の美術教育の分科会で提案をさせていただいたとき、私たち36回生が卒業の春に明石高校へ転任された西澤先生の明石高校美術科での教え子が兵庫県のレポーターで、私たちは西澤先生からたくさんのこと学ばせていただいて来たんだなぁと、出身校の違う二人が夜遅くまで語り合う幸せな時間を過ごさせてもいただきました。

春のアトリエは、桜並木の中にあります

毎年冬になると、数回こんな風景になります

子どもの手も入っている最近の私の作品たち
会議で出逢った方へ名刺の代わりに贈っています