「千夜一夜物語(6)」風穴 武志(高6)

隔離病棟の48時間

75年当時、ジェッダよりイエメン―ホデイダに短期出張の帰途、イエメンの国境近くのサウジ国集落でコレラ患者が発生、サウジ側の役人はこの原因はイエメン側の防疫態勢に不備があったと一方的に発表。私を含めホデイダからジェッダに到着した乗客全てを隔離病棟に収監された。

空港防疫役人は私に逃れる方法を親切に教えてくれた。
ノン・モスリムは私一人だけであったので、隔離病棟に収監されるのが嫌なら、ジェッダに到着後カイロかベイル-トに飛び、ワンナイトエンジョイしてジェッダに戻って来ればと空港役人は提案してくれたが、隔離病院はどんなに素晴らしいか経験したいとの好奇心が有った。
それと、日本人には人間らしい待遇が有るかもと甘い期待があった。

それは甘い期待でしかなかった。その病棟は町から約五キロ離れた砂漠の中にあり、お粗末極まりない建屋、捕虜収容所みたいであった。
有刺鉄条網で囲まれ、建屋は厚さ25センチのブロックを積まれた壁、空調設備は無く、吹きさらしの砂塵が部屋の隅々になだれ込み、マットレスの表面に付いた砂埃を払うのに小一時間要した。
同乗のイエメン商人曰く、こんなことは日常茶飯事、サウジ当局はイエメン側の防疫体制の不備とお上に報告すれば一件落着、一番早い解決法だよと打ち明けてくれた。

ただ収監された連中は全員北イエメン人、全員全て打ち解け砂の上にベッドマットを引きずり出し、砂上に敷き四グループに分かれカードに興じていた。
食事はお粗末でアルマイトのプレートを四・五箇所凹ませて作った食器兼トレイ
基果的に48時間拘留されたが英語の分かる担当官はゼロ。
コンクリートの荒壁にアラビヤ語で書かれた文字から、24時間経過したが何の進展もない、と殴り書きがあるだけ。

何が私の精神を落ち着かせたか?
聖書の小冊子だけ
クリスチャで無いから深層まで理解できなかったが不思議に落ち着いた事、覚えている。

王政専制国家であるから王国で行われる行政に間違いは絶対ない。
地元幹部が監督責任を問われ更迭、だから当局は必死で真相を隠す。
言論の自由がないからできる方法であった。

何故こんな行政がまかり通ったか? 

その頃、イエメンは南と北の二つの国であった。
南はソ連、北はアメリカ側が後ろ盾、北イエーメンには外貨獲得の資源もなく観光産業のみ、国家財政は毎年赤字続き、サウジ側が出稼ぎ労働者を殆ど、ノー・ビザで入国を受け入れ、かつ労働ビザも容易に与えていた。

普通独立国家間のトラブルがこんな処理方法はあり得なかった。

故に独立した二国間の間で十分に衛生局の調査もなく
でっち上げのこんな事がまかり通ったのであった。