「59歳にして、念願の日本一」吉本 保(高26)

2014年9月19日~23日
岩手県北上市で第18回アジア・第35回全日本マスターズ陸上競技選手権が
国内から1944人、海外から16カ国937人の計2881人がエントリー、開催されました。

私は、この大会でM55クラス(55歳~59歳の部)の3000m障害で全日本1位を獲得しました
(アジアでも1位)。

中学から陸上を始め、星陵高校でも陸上部に所属、
1500mと1500m障害を専門として、部活を楽しんでおりました。
スポーツ性貧血に悩まされ、目立った成績は残せず、卒業後は競技を断念しようと思っていました。

関西大学に進学し、同級の島本佳行君(星陵時陸上部主将)に強く誘われもう一度走ることに。
依然、貧血に悩まされましたが監督や医師の指導で競技を続けることが出来ました。
専門種目は1500m・3000m障害・5000mです。

個人的では、大阪インカレで1500m4位入賞。団体では、関西地区代表として全日本大学駅伝(熱田神宮~伊勢神宮)に初出場。2区島本君から襷を受け、順位1つあげ4区に引き継ぐ成績が思い出として残っています。

しかし、中学から大学まで10年間、部活に励んだものの、やり残した感がありました。

大阪インカレで、ラスト300m勝負をかけスパート。
ラスト80mでかわされゴールでは1位と0.9秒差。
3着と同タイムの4着で表彰台に上がれなかった悔しさが、社会人になってもランニングと向き合うことになりました。

今人気の、公務員ランナー川内選手のように、勤務しながらの練習を続けましたが、 実業団選手や大学生には歯が立ちません。記録も大学時代に及ばず。

そして、競技会には背を向けましたが、マラソンブームに乗って各種の市民マラソン大会には参加。今日まで、ランニングを続けてきました。

49歳の時、同窓会の話があり、26回生が幹事ということで世話役として1年間協力させていただきました。

その時のスローガンが「集えば心は18歳」
同窓と接している間に私自身、18歳の心で競技場をまた走りたい気持ちになりました。

50歳になる年、大阪で開催される全日本マスターズ陸上に参加を決意。

果たせなかった表彰台の目標を同窓や走友に公言。練習に励みました。

そしてM50クラス(50~54歳の部)800mで5位入賞。
1500mで学生時代と同じ1位と0.9秒差。
順位は4位ではなく3位。
4分38秒38で銅メダルを獲得、表彰台に立てました。
(自身の中学時代の記録より良い)

目標達成した満足感から、翌年からマスターズには参加せず、市民マラソンを楽しみました。

5年後、55歳のとき全日本マスターズが東京国立競技場で開催と聞き血が騒ぎました。

東京五輪が開催された憧れの競技場、大学時代1度走った経験がありました。

もう一度国立で走りたい。

M55クラス(50~59)の1500m・3000m障害にエントリー。
1500mは4位入賞。
32年ぶりに走った3000m障害で2位銀メダルと獲得。
表彰台に上がれました。

50歳、銅。55歳、銀。
ときたので、”金”が欲しくなりました。

日本一になりたい気持ちが強くなりマスターズ挑戦を続けました。

56歳(和歌山大会)1500m 銅。
57歳(岡山大会)3000m障害 銀。
58歳(佐賀大会)3000m障害 銀。

どうしても日本一に届かない。

2014年岩手大会は、M55クラスで一番不利な59歳。

2015年、60歳で迎えるM60クラス(60~64)で年齢の有利さで日本一を狙おうと今年は走力維持を目標にしていました。

ところが2月ぎっくり腰になり、2週間、杖をつきながらの歩行しかできませんでした。

来年に間に合うだろうか不安な気持ちでリハビリに励みました。

4月から試合に参加しましたが前年の走力からは程遠い。日本一が遠ざかる焦りを感じ始めました。

それでも、来年のためにと懸命に練習を続け夏場になって9割がた走力が戻ってきました。

そして9月、迎えた岩手では来年に繋がるレースをと、順位にこだわらず走ろう臨みました。

当日は、早朝8時スタート。
濃霧で視界200~300mという気象のため湿気で障害のハードルが濡れて滑りやすく転倒者続出というアクシデントが発生。

私は、記録が落ちること覚悟で、慎重に、慎重に転倒しないようハードルを飛び越え、無事7台の水濠28台のハードルをクリアし、ゴールにたどり着きました。

私の走った組はM50クラス(50~54歳)とM55クラス(55~59歳)が一緒だったので私の前に数名のランナーがいたためM55で何着でゴールしたか判りませんでした。

私の後でゴールしたスリランカの選手に、「貴方が一番ですね、おめでとう。」と握手を求められました。記録も悪かったし、信じられず、場内アナウンスがあるまで喜ぶことができませんでした。

そして20分後
場内アナウンスがあり全日本1位。アジア1位と結果確定し、思わずガッツポーズ。

表彰台で、南部鉄で作られた重い金メダルをかけられたときは、感無量でした。
念願の日本一を59歳にして達成したのです。

帰神戸後は、同窓や走友仲間の祝福の電話やメールで 、日本一の喜びは増幅するばかり。

祝賀会でのビールは、最高に美味しかったです。

「次は世界一やね。」
という同窓や走友の言葉に
そうか。
日本一、アジア1位ときたら世界一しかないよねと思い始めました。

66歳の年、世界大会が関西で行われるとこが決定しています。

地の有利さも味方にして、M65クラス(65~69才)で世界一を狙っていこうと闘志が湧いてきました。

66歳になっても心は18歳。
同窓と美味いビールが飲めるよう、精進していきたいと思っています。