「ウブドで心を洗う」新野 節子(高30)

Om swastiastu

どうしてバリに住んでいるの?
バリに住むようになったきっかけは何?

色んな方によく聞かれるのだが。。。理由は無い、きっかけも無い。
気が付いたらここに居た。
と言うのが一番正直なところかも知れない。

ニワトリとネコがアラーム4時起床

バリの朝は早い。

4時、遅くとも5時前には起きて朝市で買物をし、その日一日分の御飯を炊いて料理をし、お供えの準備をする。

日々のお供えはサイバン、バナナの葉を5cm四方に切ったものに御飯、塩、ウコンで染めたココナツフレークやその日のおかずを少量ずつ。

我が家ではこれを65個、大きなお宅だと100個以上!

それとチャナン、ココナツの若い葉で作った入れ物に色とりどりのお花を飾り上にパンダンハルムと言う香りのよい葉を刻んだものをのせてOK。これは40個。

お線香を添え、聖水をかけながら敷地のあちこちにお供えして回る。

新月や満月、カジャンクリウォンと言う15日に1回巡ってくる日などは少し豪華にバナナや果物お菓子お酒、ティパットと言う粽のようなものなどをお供えする。これらは20個ほど。

更にガルンガン、クニンガンと言った迎え盆のような日々や、家寺の創立記念日などは半端無い種類のお供えでざっと軽トラ1杯分!お下がりのバナナだけで200本!

他にも鉄モノ、草花、家畜、楽器や踊りの冠などにお供えする日もあって年の内30%くらいはこれらの行事のために時間を割いている気分だ。
しかもバリにはウク暦と言う1ヶ月35日X6ヶ月=1年210日と言う暦があり上記のセレモニーはほぼこのウク暦に沿っているのでどんどんやって来る、なんだかずっと追われている気分だ。
自宅以外にもご近所のセレモニーや町内のお寺のお祭り前にはお供え作りのお手伝い指令が飛んできて小刀を持ってはせ参じる。

2004年に住み始めた頃は右も左もわからず西と言われれば西へ、東と言われれば東へ行くだけのパシリだったのだが、今ではネコの手くらいには昇格しているらしい。

しょっちゅうお呼びがかかり仕事との時間のやりくりに悩むところだ。
ご近所さんの話では私はバリの神様にとっても愛されていて大事にされているそうで、そう言って貰えると木に登ってやるしかない。。。

数年前にバリの高僧にお会いする機会があり直接お話を頂いた。
人間のおでこにはその人の使命が書かれている、でも本人には見えない。
生きるということはその与えられた使命を探すことだと言う。
私は稀に人生の早い段階で自分の使命に気づきそれに沿った生き方している大変幸せな人らしい。
そして手を使うことをサボってはいけない、貴女が手を使うことで幸せになる人が数多く居るのだから・・とも。
言われて見れば調律師と言う仕事は手と耳を使う、道楽の料理やお供え作りもまた然り。
やっぱり全うするしかない。

こちらの大学に通っていた頃からするとバリでの生活も15年近くになり、日本の友人に言わせるとかなりバリ人化しているらしい。

バリにはルアビナダと言う二元的なモノの考え方が定着しており、左右、男女、善悪、生死etc
奇数は良くないとされ何でも偶数。
料理の時のにんにくや唐辛子の数、お財布に入れるお金の数、帰国してもついついお土産を4個渡してヒンシュク。危ない危ない。

場所を示すのに左右ではなく東西南北を使う。
しかも山がkaje(北) 海がklood(南)と言う独特の方角があり島の北と南では方角が逆だったりして~
右から3番目のこっち向いてる人が山側から3番目の西向いてる人~になったりして。

母校で音楽の授業をさせて頂いた折に生徒からこんな指摘を受けた、新野先生の”あのー”が”あにょー”になっててかわいい。ああ赤面。
バリ語には曖昧発音が多くnga、ngri、nye、grba、…
こういう発音を日常的にしていると”あにょー”になってしまうのである。

リアクションも然り、
親指小指を立てて中3本指を折り耳の横で振って、電話してね~
両手をぐーして目の下でぐりぐりして泣いてます~悲しい~
故郷はどんどん遠いのである。

星陵時代はコーラス部で指揮者などもさせていただき人生のうちであんなに楽しかった時期は二度と無いわと思うほど楽しかった。でもバリに住んで楽しいことがどんどんやって来るけど。
今では私の辞書に頑張るという言葉は無くて前向きに善処いたします、大阪弁の行けたら行くわーと言う人生を送っているのだが、コーラス部時代は頑張って頑張って、私もこれだけ頑張ってるんだから貴女も頑張って~と言うとってもお子様の論理で迷惑な人だったに違いない。みんなごめんね。

中学時代ブラバンだった私が何故コーラス部?
入学前に観たコーラス部コンサートに一目惚れだったのである、星陵コーラス部に入ってあんなコンサートがしたい!
頑張って頑張った甲斐ありコーラスは3年間で燃え尽きて卒業。

その後はヤマハピアノ技術研究所で調律の勉強をし卒業後は調律師として忙しい日々を送り約20年後のバリに道は続いていたのである。

道が続いていたと言えば調律師は仕事しながら背筋鍛えて、20代の頃ハマっていたウインドサーフィンでも背筋鍛えて、そしてバリ舞踊。
インドネシア国立芸大とウブドの踊りの先生宅でみっちり鍛えていただいたお陰で更に背筋鍛えてヒンズースクワット楽勝になってしまった。
優雅に見えるバリ舞踊、実はヒンズースクワットの連続技なのである。

バリでの生活はお世辞にも快適とは言いがたいが幸せ感満載である。
何も無い、引き算の幸せとでも言えば良いのか。
近所にはコワい頑固オヤジや世話焼きのおばちゃんが居て天真爛漫のガキンチョたちが走り回っている。
未だに予告無しに断水や停電があり気を抜けない。貯水しておかないと川に水浴びに行く羽目になってしまう。
お供え作りに追われて忙しい、機械モノが無いので手仕事で忙しい。
しかし時間に追われる忙しさではないのでストレスは溜まらない、年中身体、手を動かしていて忙しいように見えるけど心は大変穏やか。

何と言ってもjam karet、直訳するとゴムの時間。
時間は延び縮みするのである、自分の都合に合わせて!
約束の時間に遅れた言い訳が、雨が降った、途中で友人に会って話し込んだ。
こういうラフさ加減が私にピッタリだったのかもしれない、本来のズボラに益々磨きがかかり筋金入りの横着もんになったと思っていたのだが、やっぱりホンモノのバリ人には到底かなわない、奴らの足元にも及ばないのである。まだまだ修行の日々が続く。。。

Pintu bali selalu buka untuk anda.
バリの扉は貴方のために開けてありますからいつでもいらして下さいね

Om shanti shanti shanti om.
神 人間 自然 3つの世界が平和で穏やかでありますように