「私の原点」杉本 一弘(高36)

36回生杉本一弘です。

現在、私はプロ野球球団の阪神タイガースでチーフトレーナーをしています。

野球が好きではない人にはご存知ない方も多いと思いますが、阪神タイガースの成績として、今年はリーグ戦2位からクライマックスシリーズ4連勝と勝ち上がってセリーグの代表になり、日本シリーズでソフトバンクホークスと対戦しました。残念でしたが、1勝4敗と敗れて、久しぶりの日本一を逃しました。毎年、勝つか負けるかという戦いの中での仕事をもう長いもので15年間しています。

プロ野球のトレーナーというのはどのような仕事かイメージできないと思いますが、スポーツの現場では色々な事が毎日起こります。試合中はボールが当たった、相手選手やフェンスとの衝突などアクシデントで怪我をしますが、その後のゲームに出場できるかどうかを判断する事や1年間を通じて選手のコンディショニングを整える為に、トレーニングの計画を立てる事、マッサージ、鍼などの治療を行って、疲労を回復させる事、故障した選手のリハビリを行い復帰させる事など、選手の身体に関わる仕事をしています。

阪神タイガースでは1軍、2軍、故障者担当という構成で12名のトレーナーが1軍選手28名、2軍選手40名と70名近くいるプロ野球選手の健康管理を行っています。

トレーナーも12名と多いので、トレーナーの方向性を決める事や、各トレーナーや選手からの報告を受け、日々の状態を会社や監督・コーチに報告する事がチーフトレーナーの主たる仕事になっています。本来、治療をする為にこの道に進んだので、選手を治療する時間が減って、寂しい事もありますが、選手が活躍してくれるのを励みに、日々の業務を行っています。

2月から1か月近いキャンプや7か月に渡るシーズン中は選手と共に各地を転戦しています。

Florida Lakelandのリハビリ施設にて 坪井選手・関本選手と

 

各地の美味しいものを食べられたり、史跡、名勝地を訪ねたりできる反面、1年の半分以上は家にいません。拘束時間も長く、休みも一般企業の方ほどありませんので、家族には負担をかけています。トレーナーも選手同様1年契約、いつまでできるか分かりませんが、ずっとスポーツが好きですし、好きな事で仕事をさせてもらって感謝しています。

今でも私の中でトレーナーとしての心構えの原点にあるのは、駆け出しの頃、ある選手の一言でした。私は有名で高額の給料をもらっている選手に対して「この治療で行く」とはっきりと言い切る自信がなかったのか、怪我の説明や治療のたびに「一応~」とか「〜だと思う」とか言う曖昧な言葉を発していた様です。

「杉本さん、僕たちプロですから、根拠のない治療はしないでください。一応なんて言葉は自信のない証拠。はっきりと言い切れないと駄目です…そんな人に身体を預ける選手はいませんよ。」

選手は感性が研ぎ澄まされており、相手の雰囲気を察知します。私自身がプロフェッショナルを目指さなければ、相手に失礼だと感じました。それまで本当の意味でプロではなかった私は、意識も行動もプロフェッショナルを目指しています。まだまだですが、その言葉のおかげでここまで続けて来られたように思います。

私がその言葉をもらった選手も今年で引退。他のチームにトレードへ出たり、海外へ行ったりといろんな経験をしましたが、どこへ行っても自分のスタイルを貫く、真のプロフェッショナルでした。来期からは他のチームですが、コーチに就任が決まりましたので応援したいと思っています。

阪神タイガースでの思い出は2003年、2005年のビールかけ、優勝旅行といくつかの楽しい思い出や、怪我と格闘して復活する選手との苦しい思い出、活躍する選手たちとの多くの出来事は私の宝物です。その話はまたお会いしたときにお話ししましょう。

そんな私の高校生活といえばギター、アメリカンフットボールにほとんどの時間を費やしていました。

星陵祭 Goldのレスポールで

中学2年生の時、たるせん(垂水駅の高架下)の楽器屋さんに置いていたギターを気に入って、親の猛反対と母親が相談した担任の先生にも「不良になるからやめさせた方が良い」という指導を受けましたが、粘りに粘って買って以来、ロックバンドの練習をしていました。

高校入学の前年度に近所のお兄さん(34回生のIさん)がギター上手らしいという話を聞いて、星陵祭を観に行きました。屋外での演奏を観て「この盛り上がりは何だ?」と感じたのが星陵高校の印象でした。(後に先輩になるアメリカンフットボール部のSさんがベースをしていたとは後に知りました。)

入学後、先生を交えた審査員のオーディションを合格しないと出演できない位、多くのバンドが出場を目指すハードルの高さがあると知り、1年生から出場を目指して真剣にメンバー集めから取り掛かったのを覚えています。

星陵祭 仲井戸さん風?

このコラムでも執筆していた36回生の安積君と1年生時から同じバンドで出演しました。肉体には自信があったので、RCサクセションの仲井戸麗市さんのまねをして上半身裸でステージに立っています。高校2年の時は星陵祭の校内祭でトリを務めるなど楽しい学校生活でした。ジャンルはロック・フュージョン・歌謡曲などジャンルを問わず演奏しました。

星陵祭では3年連続で出場し、一緒に組んだ仲間からプロへ進んだ仲間もいて、誇らしく思います。

アメリカンフットボールも良い先輩方や仲間に恵まれて、青春のエネルギーをぶつかる事で発散してしまったせいか、暗記した物も飛んでしまったのでしょう。試験前以外勉強をした記憶がありません。まさに脳みそまで筋肉になるくらい運動にも明け暮れ、足も速かったので、バンドとフォークダンスで星陵祭、体育祭でのクラス対抗のリレーやクラブ対抗リレーなど競走で目立てば満足して1年は終わりという、自分のやりたい事を満喫した高校生活でした。

VS関学高校

アメリカンフットボールは当時1部リーグに所属していた大阪体育大学でも続きました。

今思えば、体育館には「自主・協調・創造」という校訓が掲げてあった様に記憶しているのですが、私の中で、この言葉は頭に刷り込まれています。自主性を重んじ、創造力を働かせる余裕を与えてもらい、協調性は私自身としては・・・?ですが、考える力や感性を磨くというには素晴らしい環境でした。制服が無かったり、たまには自由な時間に登校したり、さぼって喫茶店に行ったりしていた記憶もあるのですが、先生方の寛大な心遣いに高校時代はさほど思いませんでしたが、大学時代は体育会系タテ社会に飛び込んで行ったので、高校生活が如何に自分の意志を尊重してもらい、自由に好きな事をやらせて貰っていたのだなと思ったものでした。

もちろん体育会系のトップダウンの社会というのは、高校時代の真逆で世の中の不条理を学ぶ良い機会でしたが・・・。

自分のこれまで進んできた道も分岐点ではどちらに向かって進むのか決める時にはいろんな助言を頂くのですが、いつも「これだ!」という答えや「それでええやん」という、どこからかの声が感じられるのです。私はこのような感覚を大事にしてきました。もちろん離婚など多くの勘違いもありましたが(笑)

星陵出身者に自由な発想やチャレンジ精神の旺盛な人が多いのはこういう環境から生まれているのではないかと感じています。

現在に至るまでを振り返ると大阪体育大学での生活、京都の老舗ホテルへ就職、会社を辞めて鍼灸専門学校に進んだ事、治療家としての修業の日々、など多くのことが思い出されますが、すべては高校生活での自由な発想が、型にはまらず新しいものへ突き進む私の原点になっていると思っています。