「正しい気象の知識の普及をめざして」三橋 功治(高31)

「ご無沙汰しています三橋です」と書き始めたいところですがよく考えてみますと、私が高校生活を送ったのは3年間だけです。星陵高校の全卒業生の人数から考えると、私はこのコラムを見ている人たちのほとんどを存じ上げてないことになります。ですから、「初めまして31回生の三橋と申します」とご挨拶するべきでしょうね。リレー連載コラムの原稿の依頼を受けた直後は、「高校時代の部活のことを思い出しながら書こう」とか、「私の歩んだ道を簡単にまとめようか」とかいろいろアイデアがわいてきました。しかし、実際に原稿を書き上げる時間がとれず、仕事の出張先で、この原稿と格闘しています。

さて、私は、高校を卒業した後、理科系の大学に進学しました。そして、大学時代をだらだらと過ごし、なんとなく気象関連の民間企業に就職しました。バブルの時代だったからかもしれませんが、気象に関わるいろいろな仕事を経験させていただきました。

就職直後から、テレビやラジオに出演し天気予報の解説業務に携わりました。メディアへの出演だけでなく、テレビ局の気象番組を自動的に放送(送出)するシステムの開発に20年以上関わってきました。サラリーマン時代は、このテレビ局の仕事に一番長く深く関わってきましたので、放送局での仕事のことがたいへん印象に残っています。東京の本社に勤務していたころ、JNN(TBS系列のネットワーク局)の気象システムや、日本テレビ放送網の新しい気象システムのプロジェクトに関わっていたことをよく覚えています。しかし、よく考えてみると、楽しかったことより、苦しかったことが多いような気がします(皆さんも同じ思いを持っていることでしょう)。気象システムのトラブル(放送事故と言いますが)防止のため、数か月間、毎朝5時頃から30分ほど、自宅のPCから数百キロも離れた某放送局のテレビマスターにある気象システムをモニターしたこともありました。

大きな公共事業にも関わりました。当時の道路公団、本州四国連絡橋や関西国際空港会社から委託を受け工事期間の気象予報を行うだけでなく、気象観測機器を設置し、工事がまわりの環境にどのように影響を与えているのかなどの調査をしました。特に気象観測機器の設置にはいろいろなことがありました。中国横断道の建設工事の事前調査の時は、冬期に雪山に一日中入り気象観測を行いました。気温がマイナス10度前後にもかかわらず、山スキーで数時間歩き続けると、とても暑くなり半袖で雪の平原をうろうろしていたことをよく覚えています。また、本州四国連絡橋の建設現場や橋の上に風速計を設置した時は橋の大きさに圧倒されました。関西空港の気象観測機器の保守にも関わりました。

現在、私は気象会社を退職し、気象会社を経営しております。コンサルタント業を行いながら、気象の講演活動を通して気象に関する知識の普及や啓発活動を行っています。私は講演へ行くたびに「講演を聞いてくださる一般の方々は気象についてあまり知らないんだな」と感じることが多くなりました。情報を提供する側と情報を受取る側が同じ認識で情報をやり取りしないといつか大きな問題が起こると思っています。

突然ですが、みなさんに質問があります。「テレビ・ラジオで気象キャスターは天気予報を解説していますが、気象予報士の資格を有していないと気象キャスターを務めることができないと思いますか?」

答えは、「気象予報士でなくても、テレビ・ラジオで気象解説を行うことができる」です。ほとんどの放送局は、気象予報士を気象キャスターに採用しています。しかし、気象業務法によりますと、その必要はありません。次の気象業務法をご覧ください。


【気象業務法の抜粋】

(気象予報士におこなわせなければならない業務)
第十九条の三
第十七条の規定により許可を受けた者は、当該予報業務のうち現象の予想については、気象予報士に行わせなければならない。


気象業務法には、予報の許可を受けた者が予報を行う場合、気象予報士が独自予報を行わなければならないと書かれています。テレビやラジオでは気象キャスターが予報を行っているのではなく、天気予報を説明しているだけなのです。

しかし、気象予報士の資格を有する気象キャスターの方が分かりやすく説明することができるので多くの放送局は気象予報士を気象キャスターに採用しています。

ここ最近、テレビやラジオなどで地球温暖化がよく話題になります。まず、ここでお断りしておきますが、私は決して地球温暖化の懐疑論者ではありません。ただ、私はテレビ・ラジオの報道だけを見て聞いて、「なにごとも地球温暖化が原因だ」とは思っていません。みなさんに少し考えてほしいのです。それは難しいことではないのです。

私は講演に出かけたとき、「子供のころの夏はいまより涼しかったですよね。やはり地球の温暖化が進んでいるのですか」とよく言われます。私は「そうかな?本当に子供のころの夏は涼しかったのかな。地球は温暖化しているのかな。」といつも思っています。先日、たまたまテレビでお昼の情報番組を見ていますと、司会者やコメンテーターが「今年の夏は、暑かったですかね?それとも、冷夏でしたかね?暑かったのは去年だったかな?」と言っているのを聞きました。意外と人間は暑さや寒さのことを覚えていないのです。子供のころ、なにか強い印象が残っている日がたまたま暑かった時は、「子供のころは暑かった」とかその逆の場合は「涼しかった」と思い込んでいるのではないでしょうか。私は「高校時代(1977年~1979年)の冬は寒かった」と印象に残っています。私の場合、「高校時代の冬=豊岡での試合(1977年1月ごろ)=御工に勝った」という強い思い出があります。「御工に勝ててうれしい」→「豊岡での試合は非常に寒かった」→「高校時代の冬は寒かった」という印象が残っています。実際の当時の記録を調べてみました。

表1 1977年1月の気温(神戸と豊岡)

当時、私たちは垂水区で生活をしていました。垂水区の気温=神戸(神戸海洋気象台)の気温ではありませんが、概ね同じ傾向と考えて問題ありません。一方、1977年1月に訪問した豊岡市の平均気温は表1に示すとおりです。試合のあった体育館での気温=豊岡測候所の気温ではありません。当時の体育館の様子を思い出すと、グラウンド一面に雪が積もり、体育館の屋根にも雪が残っていました。このため、冷蔵庫のように体育館は周りから冷やされ、試合会場はおそらく豊岡測候所に気温よりも低かったと考えられます。

私の体は、神戸の気温(日平均:5.1度)に慣れていたはずです。神戸から寒い豊岡(日平均:0.4度)へ移動し、さらに、体育館の中の寒さを感じ、私は普段よりも寒く感じたわけです。

気象の記録を見ると1977年1月の日平均気温は平年値の日平均気温と比べると0.7度低いものの、「高校時代(1977年)の冬は寒かった」と言えるほどではありません(表2のアンダーライン部分の比較)。

表2 1977年と平年値との気温の比較(神戸)

また、次のようなことも考えてみましょう。私は仕事の関係で、関東地方に住む人を新幹線ホームでお出迎えすることがよくあります。特に真夏にお出迎えすると新幹線を降りるなり「やはり神戸は東京より蒸し暑いですね」と言われます。確かに、図2に示しますように神戸は東京に比べて気温は高いです。この新幹線を降りた時に感じる「蒸し暑い」は地域的な温度差(その日の神戸と東京の温度差)ではないはずです。逆に、真夏、神戸から東京へ移動して、東京に降り立った時、「蒸し暑い!」と思います。新幹線の中にいますと冷房で温度や湿度が低く抑えられ体がある程度、新幹線の中の温度や湿度に慣れてしまっています。このため、東京に到着し新幹線から降りると、高温多湿の外気に体がさらされ「蒸し暑い!」と感じます。この感覚は、地域的な温度差(その日の神戸と東京の温度差)ではなく、数分前にいた環境との違いで「蒸し暑い!」と感じているものです。決して神戸と東京の温度の違いではありません。

また、同じ地域でも次のようなことがあります。神戸の3月の日平均気温は平年値で言いますと9.3度、一方、12月の日平均気温は8.7度です。気温的に見ますと3月も12月も概ね同じぐらいの温度ですが、3月の方が暖かく感じるのではないでしょうか。これは、「冬から春になるとき」、寒さに体が慣れししまい、少しでも気温が高くなると暖かく感じるのでしょう。逆に「秋から冬になるとき」は暑さに体が慣れて、春のころと同じ温度でも、一層寒く感じるものです。

これらの例で分かりますように、「人は絶対的な暑さ寒さを感じる」ことが難しいのです。どうしても直前の状況との比較(相対的に)で「暑い、寒い」を感じることが多いものです。

このような例で示されるように、直前の温度変化と数十年から数百年の温度変化というものを同じ尺度で比較すると本質を捕えることができなくなり、「地球温暖化」という言葉が一人歩きしているような気がします。

私は決して気象学者や地球物理学者ではありません。おそらく「地球は温暖化している」のかもしれませんが、偏った情報だけで、簡単に「地球温暖化」というのは乱暴なことだと私は思っています。

高校生の時、私は理科のある先生が次のようなことを話されてたこを覚えています。「私は雲が好きで、よく空を見ています。そのため、普段からボーと空を眺めているので、人から変わり者だとよく言われます」当時、笑って聞いていましたが、私もまさにその先生と同じようになっている気がします。このコラムで書いたようなことを私は講演で話しています。私の考えを読んだり、聞いたりしている人の中には「所詮、お天気は会話の中の挨拶みたいなものなのに、そんなに理論的に考えるなんて、お前は変わり者だね」と思われている人もいると思いまし、私も時々そのように思います。ただ、日本では、「こんにちは。今日は暑いですね。お元気ですか。」とか、「最近は雨が降らず困りますね」とか、挨拶に天気のことが話題になります。これは日本において天気が生活に密着した情報になっているからだと私は思います。言い換えれば、「天気は日本の文化の一部」になっています。「大学時代をだらだらと過ごし、なんとなく気象関連の民間企業に就職しました。」と先ほど書きましたように、私はたまたま気象の世界に入っただけですが、「日本の文化の一部になっている天気」に関わる仕事を続けることができて本当に幸せです。日本の季節ごとに変わる気象とこれからも深く付き合い、私の経験を生かしながら社会貢献していきたいと思っています。また、その反面自然は、大雨、洪水、風、地震、津波、火山などの災害をもたらします、その恐ろしさも私は十分に知っているつもりです。自然災害を直接防止することは難しいですが、正しい知識があれば、少しでも災害から逃れられることができます。私は正しい知識を一般の人々に多く伝えられるよう今後も活動を続けたいと思っています。