「阪神・淡路大震災20年〜私と川柳〜」門前 喜康(高23)

阪神・淡路大震災から20年が経ちました。6434人以上の尊い命が奪われました。
星陵高校ゆかりの皆さんは、何らかの形で震災の影を抱いていらっしゃると思います。
私にとっても震災の体験は、私の人生観・仕事観を大きく変えるものでした。

当時私は、報道の現場で記者をしていました。「メディア自体が被災する」という未曽有の状況で報道を続けていました。震災発生直後は、24時間勤務が続きました。そんな中、個人的に強烈な経験をします。私が、夜のデスク担当をしていた日のこと。県警からの広報文がFAXで流れてきました。「高砂で火事。夫妻が死亡」とあります。普段ならすぐにニュースにする事案ですが、当時、まだ震災による死亡者が増え続けている頃で、私はその広報文を保留扱いにしました。そして暫く経った頃、またFAXが流れてきました。そこには、こうありました。「高砂で焼死した夫妻は、神戸・東灘区で倒壊した家屋の下敷きになり九死に一生を得た夫妻で、夫人の実家に避難していて、火事になりご両親は助かり二階に寝ていた夫妻だけが亡くなった」というのです。何という理不尽。何という不条理。私は驚愕しました、不遜にも「神もこの震災の中で生と死のジャッジを間違えたか!」と思ってしまいました。そして「私は、生かされたのか・・・!?」そんな疑問が湧いてきました。

そんな思いに駆られている時、週刊文春誌上で、川柳作家でエッセイストの故 時実新子先生が、「震災川柳」を募集されていることを知りました。私は、川柳を詠むということは初めての経験でしたが、迷わず五七五の世界に飛び込んでいました。

『冬の雲仮設の窓にチマチョゴリ』

私が、初めて詠んだ句です。この句が、「震災川柳百句」に選ばれたことから、川柳に親しむようになりました。

『山に雪仮設にも雪春を待つ』

『被災地の夜景一粒ずつ増える』

『あの揺れを知ってる桜立っている』

『五時四十六分の針は動かない』

震災句を詠んでいるうち他の日常も詠むようになりました。

『影法師この頃ひとり旅をする』

『訳ありの男と黙し酒を飲む』

『メビウスの8の字歩き続けてる』

『辞令拝命シャンソンを聴く空は碧』

『軍艦の上にも同じ雨が降る』

『空襲を語る母また鬼になる』

『母校にて落書き見つけ夕陽待つ』

恋句もあります・・・

『紫陽花のインクで君に書く手紙』

『君が好きカプチーノまで好きになる』

『二百ミリレンズで君にキスをする』

川柳は、虚と実の狭間です。
川柳は、17音字で表現する小宇宙です。
我が師、故 時実新子は、「川柳は人物画、俳句は風景画」「川柳は、幸せ過ぎても悲し過ぎても詠めない」・・・様々な言葉を残しています。
川柳を始めて20年になりました。
詠んだ川柳は数千句になります。
その句を読み返すと自分史でもあります。

『あしたへのベルが鳴ります急ぎます 喜康』

これからも17音字に思いを込めて、川柳を詠んでいこうと思っています。

門前喜康川柳句集”揺振摺(ゆりふりすり)VIVRE 生きる1995-2015”
左右社刊(5月発売、税別¥1,111-)
<書店での取り寄せ、またはamazon.co.jpにて購入できます>
玉岡かおるさんによる帯コメントも是非ご一読ください!