「アウトサイダーであること」井上 烈(高51)

このお話を戴いた時、星陵の伝統がFacebook上でも脈々と息づいていたことに驚きました。このような場に寄稿する機会を与えてくださった恩師高橋勝先生に感謝いたします。

51回生の井上 烈(いのうえ たけし)と申します。高校時代はアーチェリーに明け暮れる日々でした。勉強の方はからっきしダメでしたので、諸先輩方のように文武両道とは参りませんでした。しかし、お世辞にも活況とは言えない弱小部であったアーチェリー部の中で、1人目標を決め、練習をし、結果的に近畿大会まで出場できたことは、人生の糧となっています。と書くと非常にポジティブに聞こえますが、明け暮れざるを得なかったという側面もあったと思います。星陵といえば神戸市内でも有名な進学校、ほぼ全員が中学校までに学力で躓いたことはなく、自信がある者がほとんどでしょう。そんな中1年生初っ端の課題テスト、自分なりにはしっかりと準備をして臨んだにも関わらず、結果は最下位から片手で数えられるような順位で、相当なショックを受けたことを覚えています。本来であれば「なにくそ!」と一念発起するべきなのでしょうが、「勉強は中学校までに散々頑張ったからいいや。今まで称賛を受けたことのない体育会系部活動で頑張ろう」とねじれた合理化を受け入れることとなるのです。なので、なぜアーチェリーだったのかと言われればたいした理由はなく、「競技人口が少なく、がんばれば他の競技よりも報われやすい」という短絡的な理由であったように思います。ですが、本気でオリンピックを目指して頑張っていました。ルサンチマン渦巻く若かりし頃の自己肯定感を得るための葛藤も今となっては良い思い出です。

私は現在(正確に言えば2015年4月1日から)、愛知の某大学の専任講師として教職課程の運営を担当しております。専門は教育社会学で、主に不登校やフリースクールについて研究をしています。人は社会(職業)生活の中でどのように感情と向き合っているのかを捉えた「感情管理」や「感情労働」という感情社会学領域の理論を援用しながら、問題テーマにアプローチしています。

不登校は1980年代ごろから社会問題としてクローズアップされてきました。その事柄に対する価値判断は様々あると思われますが、問題の根底にはマジョリティとマイノリティの問題が潜んでいるように思います。社会的マイノリティがいかに自身の生き方への自己肯定感を得ていこうとするのか、それは非常に難解な問題なのです。

私は2001年に初めてフリースクール(不登校生の居場所)という場に、ボランティアで訪れたのですが、その時の衝撃は私の研究への志の原体験となっています。不登校がそのまま承認される雰囲気や運動理念が、今まで当たり前だと思っていた価値観を突き崩し、一種のカタルシスを呼び起こしたように思います。前述の高校時代の感情経験があったからこそ、心に響いたのかもしれません。当事者に寄り添えるような研究をしたいという現在のモチベーションの出発点です。

当時は浪人し、不本意入学した大学で、ただなんとなく過ごす毎日でした。フリースクールでの体験で自分の人生の方向性を得た気がしました。その後は一念発起し、大阪大学に編入学し、京都大学大学院に進学し、現在に至ります。

アウトサイダーであることが私を動かしてきたように思います。決して好き好んでそうあるわけではありませんが、それが私のアイデンティティでもあると今となっては思えます。そういった立ち位置から、視野が広い教員を養成していきたいと思いますし、研究も行っていきたいと思います。そして、それを語る時、星陵高校時代という人生の一時期は無くてはならないものだとも感じています。