「50歳を目前にして近頃思うこと〜わが半生と社会を眺めて…」内藤 二郎(高36)

36回生の内藤です。LINK星陵へのコラム執筆の機会をいただきありがとうございます。どんなことを書けばいいかな?と頭を悩ませてきました。タイトルは少々大袈裟ですが、折角頂いた貴重な機会に改めて高校時代から現在までを簡単に振り返ること、そして50歳を迎える節目の年に、社会科学を研究する者として思うこと等々…を少しまとめてみることにしました。

◆◆プロフィールを駆け足で◆◆

高校時代と言えばやはり柔道部での稽古の毎日が一番に思い出されます。3年の神戸市総体でベスト4、県総体でベスト8に入れたのがいい思い出です(しかしいずれの大会でも毎回一年下の同じ選手に負け続けたのが今でも心残りです)。

星陵卒業後…同志社大学経済学部へ。学生時代はとにかく外国への興味が強く、在学中に1年休学してワーキングホリデーでオーストラリアへ、そして卒業後にはアメリカ・ミネソタ州へ留学(遊学?)、その間にバックパックを背負ってベルリンの壁崩壊直後のヨーロッパへも。バブル景気の余韻が残る90年代初め、本当に怖いものなしであれこれやっておりました。

帰国後は灘の酒粕屋さんの丁稚をしたり英会話講師をしたり…紆余曲折を経て…一念発起して1995年に神戸商科大学(現兵庫県立大学)大学院に入学しました。折しも阪神淡路大震災、そして地下鉄サリン事件の年、日本は一種の混乱状態であったことが記憶に新しいです。

大学院では財政学を専攻しました。指導教授との話し合いで学部時代にゼミで勉強した中国を研究対象として中国の財政問題についての研究を始めました。そして修士を終え博士後期課程に進学した2年目にチャンスをいただき、中国の広東省にある在広州日本国総領事館に専門調査員として2年間の任期で赴任しました。中国研究を本格化させる大きな契機となり、本当に貴重な機会となりました。しかし…任期を終えて大学院に戻ってからが大変でした。大学や研究機関への就職は予想外に厳しく「祈られる」ばかりの毎日でした(注:「祈られる」とは就職活動用語で「断られる」ことを意味します。不採用通知の最後に「貴殿の今後のご発展をお祈り致します」などと書かれていることが多いため、祈られる=不採用ということのようです。若者言葉はいつの時代も面白いですね)。この間に指導教授の勧めもあって、博士論文の執筆に取り組むことになりました。博士論文の執筆それ自体が大仕事ですが、ポストが決まらない悶々とした気分のなかで精神的にもかなり厳しく、それだけに山積みの文献と向かい合いながら論文を書く毎日は、本当に暗~いものでした。それでも幸せなことに、指導教授をはじめとし周囲の方のご指導・ご協力のおかげで2002年に博士の学位を頂くことができました。面白いものですね、何か一つ事が好転すると流れが大きく変わるもので…。ある応募先から届いた通知には「祈られる」文面はありませんでした。そして2002年秋に大学への正式な採用通知を頂きました。それが現在奉職している大東文化大学・経済学部です(この文章を書きつつ、当時を思うと改めて感謝の気持ちが沸き上がってきました)。

◆◆現在の仕事について少々…◆◆

大学では、専門である中国経済論のほか、経済学関連の科目を中心に講義を担当してきました。そして、中国のマクロ経済政策や財政問題、政府間関係などについて研究を続けています。また、地域政策の実践として、環境問題や地域コミュニティー再生のための取組みも始めました。(以下で概要を紹介します)。同時に、学外の研究会などへの参加や様々な共同研究の機会もいただき、これまでのところ、本当に恵まれた環境で教育、研究生活を続けられていることは、とても幸せなことだと感じています。

そして…これは自分でも全く予期せぬ事態でしたが…2014年4月から副学長に就任することになり、約1年が経過しました。細かいことは省略しますが、現在は色々な意味で、日々本当にいい勉強をさせていただいていると思っています。ただ、講義の機会が減って学生と関わる時間が本当に少なくなってしまったこと、そして中国へ調査研究に出かける機会が激減したことをはじめ、研究の時間が十分に確保できない状態は少々残念ではありますが。まあ、これも頂いた一つの役割と理解し、今しばらくは仕方ないな、と思っています。

◆◆これまでの研究から-ある事例を通して思うこと◆◆

さて、これまでの私の研究の一つをご紹介します。それは、数年前に中国からの留学生と知り合ったことをきっかけに始めた、地域の環境問題や地域コミュニティー再生の取組みです。その留学生は中国の内モンゴル自治区の出身です(朝青龍や白鵬の出身国ではなく中華人民共和国の少数民族自治区(日本の都道府県レベル)の一つ。現在、日本にいる中国からの留学生の中には、内モンゴル出身の学生も結構多くなっている)。

ほんの小さな事例ではありますが、あまり表にでない中国の現実を知っていただければと思います。併せて、これは決して他人事ではなく、我々日本人も色々と考えるべきことがあるのではないかと感じています。こうした事例を通して、皆さまが色々なことを感じ、考えていただくヒントになればうれしいです。

中国・内モンゴル自治区における地域環境整備の取組み
(埼玉新聞・2013年1月31日掲載記事:一部修正・写真追加)

1,深刻化する砂漠化
これまで大きな経済成長を続けてきた中国。しかし高度経済成長が終焉し、「新常態」と呼ばれる安定成長への移行を模索している。経済の安定化、効率化とともに、格差の是正や不正腐敗の撲滅、少子高齢化への対応など、様々な課題が山積している。環境悪化も深刻な課題の一つである。ここでは砂漠化に伴う地域環境問題について考えてみたい。中華人民共和国・内モンゴル自治区は豊富な天然資源を有しており、近年、大規模開発を進めることにより急成長を遂げている。その裏で負の影響として自然破壊による砂漠化拡大や地域コミュニティーの崩壊という地域環境の悪化が急拡大している。資源採掘によって草原が荒らされ、そのまま放置されることで砂漠化が進み砂嵐をもたらす。また、開発は家畜の放牧地の隣接地で行われているため、家畜が誤って石油池に落ちたり、牧草とともに石油や重金属を摂取して汚染されるケースも後を絶たない。一方、砂漠化の他の要因として過放牧による牧草地の荒廃がある。改革・開放後の農業の小規模化および個別農家化政策は牧畜にも影響を与え、それまで主として遊牧生活をしていた牧民が定住を迫られ、家畜の個人所有が進められた。牧草地は集団所有とされたため、餌場は共有、家畜は個人所有という状況が生まれた。そこで家畜を増やせば経済的利益が上がるというインセンティブが高まり、家畜の増加競争が生じた。その結果、牧草地は荒廃し草原が減少していった。いわゆる「共有地の悲劇」である。

<澄んだ青空と羊と…砂漠化が進んで緑がない草原>

<草原での大規模石炭開発。草原の緑との無残なコントラスト>

<石油にまみれたタイヤ痕で傷ついた草原>

<油の池に落ちて息絶えた羊>

2,地域コミュニティーの崩壊

「共有地の悲劇」の結果生じたもう一つの弊害は、地域コミュニティーの崩壊であった。遊牧を行っていたころには、地域住民がお互いに協力し合うことによって地域コミュニティーが有機的に結びつき、牧畜を中心に地元の経済にも有益な効果をもたらしていた。ところが、砂漠化によって自らの資産を防衛する意識が高まり、牧民間の信頼関係や助け合いの精神が崩壊し、コミュニティーが機能不全に陥るケースが拡大している。

3,地域環境整備の取り組み

砂漠化への対応として、地元政府による家畜の頭数制限や放牧制限などの規制が強化されている。こうなると牧民は羊や牛を肥育しなければならなくなる。残念ながら彼らにそのノウハウはない。そこで、数年前から現地で地域環境整備活動として、羊や牛の肥育、牧草栽培、飼料の製造・販売システムの構築などの実験を開始した。牧畜と農業、それに伴うサービス業の複合経営のモデル作りである。併せて、緑化促進に向けた植林も進めている。現地の特性を生かした牧畜と農業の効率化の測定、地元政府との交渉や地域住民への指導や説得には多くの困難を伴う。また、植林はそれ自体が重労働であることに加え、樹木の成長の維持、管理が極めて難しく失敗も少なくない。試行錯誤を重ねながら徐々に活動を進め、数年前から、我々研究者に加え、NGOとある日系企業の協力が得られ、地元政府領導、住民とともに必要なプレーヤーが揃った。各主体がそれぞれ有する資源を活用し、協働することが何よりも重要であり、こうした取り組みの継続が良い結果をもたらすものと期待している。今後は有機的な協働の体制をさらに進めていけるものと大いに期待を膨らませている。

4,共生をめざして

内モンゴルでの取り組みは、地域の風土に合った暮らしや自然との共生の大切さを教えてくれる。われわれ自身も、日本の風土、歴史、伝統文化、自然をじっくりと見直し、共生を考えていかなければならないと、あらためて感じている。

<住民協力に向けた地域の若手と我々研究者との意見交換>

<砂漠化対策の植林>

◆おまけ①~モンゴル相撲に参戦(右端が私、無謀にも隣の巨漢力士と対戦)…もろくも10秒で敗退)

*独り言
内モンゴルの人は大人げないなぁ。組んだとたんに押さえつけられて一気に地面に叩き付けられた!
日本のお相撲さんなら素人とやる時は、微笑みながらかわしたり、すかしたりしながら、土俵際まで下がってくれたり…で最終的には優しく釣り出す、ってな感じで少しは楽しませてくれるやろうに…痛かったなぁ~!!!)

◆おまけ②~恐る恐る乗馬に挑戦~結構満足!

◆◆むすびにかえて◆◆
いかがですか、少しは現地の様子を感じていただけたでしょうか。
内モンゴルではその後もさらに砂漠化が進み、家畜の頭数制限や禁牧政策が実施されるなど、状況は厳しくなっています。そのため、畜舎を建設して家畜を肥育しなければならず、畜舎の建設・維持費、飼料代などの経費が支弁できず家畜を手放す牧民もでています。また、多くの家畜を畜舎で肥育するため、口蹄疫をはじめとする病気が発生することも多くなり、そのワクチンなどの費用が必要となるほか、化学物質を使用することによる食肉の安全性の問題も高まっています。また、砂漠化は単なる自然現象ではなく、牧畜と農業のアンバランスが影響しており、政策的要因も見逃せません。我々が取り組みを進めている地域でも、以上のような様々な問題が複雑化しています。政府に頼るだけでは問題はほとんど解決できず、地域住民、我々研究者、ボランティア・NPOなどの協力者、そして企業等との協働が不可欠であり、状況を少しずつでも改善できるよう今後も地道な取り組みを続けていきたいと考えています。
国や文化を越えた人と人との共生、そして人と自然との共生は、世界規模の重要な課題です。21世紀を迎えた現在も様々な地域で戦争や紛争が絶えず、多くの人が命を落としている悲しい現状があります。人間の弱さ、愚かさを痛感します。また、世界各地で未曾有の大災害が発生し、甚大な被害がもたらされています。特に日本は20年前の阪神淡路大震災、4年前の東日本大震災、半年前の御嶽山の噴火、その他にも地震や台風、竜巻、豪雨、豪雪など、様々な自然現象に伴う災害に見舞われています。自然に対する恐れを感じると同時に、これは我々に対する何かのメッセージとしてとらえるべきではないかと強く感じます。我々人間が「少し生き方を見直すべきではないですか」と言われているかのようです。特に近頃の日本の政治や社会の状況をみていると、こうした思いが強くなります。かの司馬遼太郎先生も『二十一世紀に生きる君たちへ』という子供に向けた小エッセイの中で、「人間は--くり返すようだが--自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。人間こそ、いちばんえらい存在だ。という、思いあがった考えが頭をもたげた。二十世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といっていい」とおっしゃっています。また「二十一世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が、科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。」とも。これは日常生活についても言えることでしょう。世の中が便利になる一方で、例えばICTやエネルギー、医療技術などが大きく進化しているように見えても、実はそれらを人間がコントロールすることすらできないという一種歪んだ状況に陥っています。今こそ基本に戻り、原点に返って我々の生き方を考えないといけないなぁ、という思いが私の中で年々強くなっていくのを感じます。今年は50歳という節目の年齢を迎えるだけに、尚更こうした気持ちになるのかも分かりません。
何やら長々と取り留めのない話になってしまい恐縮です。本題から逸れて平気でどんどん脱線していくこと、しかもその話が長い事については、大学教員の右に出る者はいないでしょう…失礼致しました。ただ、このコラムをお読みいただいて、それぞれの年齢やお立場で、今の世界や日本について、そして周囲の方々やご自身の人生について、ちょこっとだけでも考えていただく機会にしていただければ幸いです。

ありがとうございました。