「ラグビーを通した人間形成(ラグビー最高!!)」下寶 洋二(高38)

初めまして、38回生の下寳洋二(しもほう ようじ)と申します。
在学中はラグビー部に所属しておりました。

この度、同級生の吉丸君から執筆の依頼がありまして、信頼のおける同級生から「星陵愛で引き受けてくれへんやろか…?」と言われ、元ラガーマンとしては断れる訳がありません(笑)

『ラグビーの魅力』と『高校時代の一番鮮明な思い出』について
高校時代~社会人時代と、私のラグビー人生の中で感じたことをお話できればと思います。

■ラグビーとの出会い

幼い頃からスポーツが大好きな少年で、小学校では野球を中心にサッカーや陸上・水泳・バレーボールなどの大会にも出場していました。
中学校の部活動は野球部を選び、毎日遅くまで練習していました。
足が速かったので、トップバッターとして活躍してたかな?
普通であればこのまま高校に行っても野球部だと思うのですが、身長(当時165cm)が低く体格的に限界を感じていました。
その頃、兄(35回生)が星陵ラグビー部に所属しており、競技の面白さを聞かされていたので、『ラグビー』へ転向することを決めました。

ここで少し体格についてふれておきたいのですが、ラグビーには15のポジションがあり、どんな体格の人にも見合った役割があります。
簡単に言うと、大柄(太)な人はボールを奪い合うフォワード(FW)、足が速い・キックが上手い人はバックス(BK)を担います。
私は足の速さを活かしてバックス(BK)で勝負したいと思ったのです。

■ラグビー漬の高校生活

受験勉強を必死に頑張ったお陰で、星陵への入学が決まりました。

実際は定員割れでしたが…(笑)

兄が所属していた関係で、春休みからラグビー部の練習に参加しました。

今思えば馬鹿でした(笑)折角の休みなのに…なんであんなにシンドイ事に自ら進んで行ったのか。。。
当時、ラグビー部の練習はハードな事で有名で、我々の同級生や先輩達の多くが途中で退部していく状況でした。
練習内容はボールを持った練習以外にも時間を費やします。

1,FWであればスクラム練習(私は経験がないが苦しいもの・痛い)。

2,タックル練習は、マシンだけでなく生身の体同士でぶつかる(とにかく痛い)。

3,坂道ダッシュ、グランド周回、舞子墓苑走=ひたすら走る(しんどい)。

4,タイヤ押し・引き、重たいトンボ引き=負荷をかけて更に走る(超しんどい)。

当時の顧問である三宅先生は、部員から『鬼』と言われてました。

ここで、この厳しい練習の意味を解説しておきます。

ラグビーは、他のどのスポーツよりもフィットネスが重要です。
ただ走るだけのスポーツではなくコンタクトプレーも必要な為、一種の格闘技とも言われています。
激しいプレーをする為には体を鍛えてパワーアップし、スピードを維持しながら80分間走り続ける体力も必要です。
試合で十分なパフォーマンスを発揮する為には、日々の厳しいトレーニングが必要不可欠なのです。
こんな練習を日々繰り返しているので、勉強なんか出来る訳がありません。
とにかくラグビー優先の生活で、授業は集中して聞かない(寝てた?)
宿題は一切しない…本当にとんでもない生徒でした。
ご迷惑をおかけした先生方に心よりお詫び申し上げます。

■結果が出なかった悔しさと、真の仲間達に出会えた高校時代

上級生の部員数が少なく、1年生からレギュラーとして活躍したメンバーが多く残った3年生時には、星陵ラグビー部史上最強と言われた。

皆で真剣に花園(全国大会)出場を目指しました。
県新人戦では、決勝戦で10対11と惜敗し近畿大会出場を逃した。
県民体育大会は、準決勝で3対20と報徳に敗れ第3位だった。
全国で上位進出を狙える相手に、ほぼ互角の戦いで自信を持つことが出来た。
そして最後の冬(花園予選)に向けて、3年生の15名全員が残りました。

部員一丸となって厳しい練習に耐え、花園予選に向けて順調に仕上げていきたかったのだが…逆にチーム状態は悪化。
主力選手の怪我もあり、準々決勝で敗退してしまいました。
本当にショックで、声を上げて泣いたのを鮮明に覚えています。
悔しい思い出が残る中、仲間には恵まれたと思う。
私を含めて個性の強い人間ばかりでよく喧嘩もしたが、言いたい事を真剣に言い合える、真の仲間達に出会えた。

ラグビーは15名でチーム構成され、団体球技の中では人数が一番多いスポーツです。

One For All , All For Oneと言われるように、チームプレー【組織論】が非常に重要であり、今の社会人としての生活にも大いに活かされています。
私の原点は星陵ラグビー部の仲間と共に歩んだ日々と言えます。
一つの目標に向かって、ブレずに皆で取り組む事を学びました。

■ラグビーと仕事を両立をさせた社会人時代

高校3年生の夏に、アパレル会社のワールドからラグビー枠での入社を勧誘された。
家族からの反対もあったが、ラグビーを続けたい意志を優先し、大学には進学せずに入社する事を決意した。
ワールドラグビー部は当時創部3年目の若いチームで、社員の団結力を高める目的で作られた。
現在のラグビー界は、プロ化されてプロ契約選手が大半を占めるが、私が現役の頃はアマチュアリズムのラグビーだった。
毎日17:30まで仕事をしてから18:30~21:00頃まで練習をし、その後夕食を取ってから会社に戻り、残業する日も多くあった。
監督さんの厳しい指導方針で、どんなに仕事が忙しくても練習には必ず参加するのがルールだった。
それが守れない選手は試合にも使ってもらえなかった。
そんな中、同じ部署の方々には仕事面ではサポートして頂き、試合の時には、全社一丸となって大応援団で駆けつけてくれました。
選手とファンが一体になれるのも、ラグビーの大きな魅力だと思う。
ワールドでの現役生活は本当に苦しいものだった。
大学出身の有名選手が多数いる中で、高卒選手が試合に出るのは容易な事では無かった。しかし、星陵ラグビー部で培った経験は社会人の厳しい環境にも耐えられる程の物だった。
高校時代の仲間達も常に叱咤激励してくれて、私が出場する試合にはいつも応援に来てくれた。
このように『星陵ラグビー部』の繋がりは強固な物であった。

■ラグビーを通じたコミュニケーション

20歳の時には、ニュージーランドへのラグビー留学を経験した。
その当時で創立125周年という、名門クライストチャーチクラブとワールドが姉妹提携を結ぶことになった為だ。
ニュージーランドの国技はラグビーで、オールブラックスというチーム名で有名な世界最強の国である。

ニュージーランドでは、3歳ぐらいから40歳代までの複数のチームで構成される大所帯のクラブチームが、各地に多数存在しているほどラグビーが盛んだ。
シーズン中には毎週土曜日に試合が行われます。
ラグビーではNO SIDEの精神と良く言われますが、その日の夜には敵味方関係なく皆がクラブハウスに集まり、各チームの試合結果発表を聞きながら酒を酌み交わす。
彼らは試合中には本当に激しく獰猛だが、試合が終わると本当に気さくで良い人ばかりです。
その繋がりは今も途切れることなく続いており、2013年にはクライストチャーチクラブ創立150周年のパーティーに招待されて、素晴らしい時を過ごしました。
ラグビーという競技のお陰で、人との繋がりを大切にする事を学びました。
ニュージーランド最高!!

長々と書きましたが、この執筆で過去を振り返る事が出来、本当に沢山の方々にお世話になったと感謝しております。
ラグビーを通じて得たたくさんの貴重な経験は私の財産であり、これからも大事にしていきたいです。ラグビー最高!!

最後に宣伝ですが、6月14日にユニバー記念球技場で開催される兵庫県ラグビーフェスティバルの中で、ワールドOBチーム対神戸製鋼OBチームの試合が行われます。
今では見る事が出来ない懐かしの「神戸ダービー」です。
星陵高校卒業生として一生懸命頑張りますので、お時間ございます方は是非とも会場に足をお運びください。