「浜松でフリーアナウンサーをしています」白井 康子(高28)

静岡県に住んでいると、東京支部からも東海支部からも同窓会の案内を頂きます。正直申しあげて、そんな支部が「あるんや」と驚き、せっかくお誘い頂いても「誰も知らんし」行くことはないと思ってました。
ですが、平成26年、初めて名古屋での東海支部同窓会に参加しました。
その『集合写真』と『もう~田村先生、私のこと覚えてへんでしょ!』

3年生の担任は音楽の田村先生。NHK大阪放送局 ラジオ第1放送の「こんにちは きんき」リポーターに採用された時、新聞発表を見て電話を下さいました。ほとんど勉強しなかった私のことを「個性的」と、暖かく見守ってくださった貴重な先生です。
「そやのに、なんで覚えてへんの!」「そやったかいなぁ」、の写真です。それがまた楽しいひと時でした。
フェイスブックで、先輩が東海支部のOBOGを探そう運動(たぶん)で見つけて下さったのが「東海支部同窓会」出席のきっかけです。25回生の小林亮介氏です。(コラム65回執筆)
それがなければ、このコラムの仲間にしていただくこともなかったと思います。出席してみたら、めっちゃ楽しかったです。肩を組んで校歌を歌う?そんなん、ありえへんと思ってました。が、ありえることになり、昨年、平成27年の東海支部総会は司会を承ることになりました。
28回生が幹事年の時に、卒業して初めて同窓会に出席しました。それから、来し方を思い起こしつつはあったのですが、この東海支部の皆様が「星陵」を鮮明にして下さった気がしてます。

星陵での三年間、授業中のほとんどは「明石の瀬戸の潮満ちる」海を眺めて時を過ごしました。
私の暮らす浜松の遠州灘は、ほぼ全域遊泳禁止。昔の東映の始まりの映像みたいな波に、ビックリしました。内海だから「海は凪ぎたり」だったことに、初めて気づくわけです。
あの年齢に内海を眺め続けると、既成概念をあっさり取り払ってくれて「かまへんよ、ずっと見てても」と、猶予をもらったような気になり、それは後々の思考傾向に大きく影響した、かもしれません。

今、私は静岡県浜松市で、フリーアナウンサーをしています。
女優になりたいと思った時期がありました。芝居も少し経験したのですが、自分のやりたいことは、身体表現ではなく音声表現である、そういうことに徐々に気づくわけです。
前述のように勉強はしなかったけれど、アナウンススクールに通ってました。まず、標準語を話せるようになること、その次に、やりたいことが見えてくる気がしたので。
とりあえず入った短大卒業後、確か地方局を、ふたつ受けたと記憶してます。が、アナウンサー試験なんて落ちるものですから、アナウンススクール直結の事務所に所属して、フリーアナウンサーになりました。
あらためて数えてみると、ごく小さな番組も含めたら12局の放送局で、仕事をしたことに気づきました。サンテレビから始まって、ラジオ関西、読売テレビ、NHK神戸、大阪、京都、静岡FM放送、コミュニティラジオの創世記の浜松FM放送など。
この浜松FM放送で今、金曜の夜、7時半くらいから朗読「週末の文学」 また、月二回水曜 午前11時15分から、出演、脚本、制作、、ラジオドラマ「おはなしラジオはお昼前」を放送中。
インターネットのアプリ「tunein Radio」でお聞きいただけます。
ラジオドラマの方は、「週末の文学」は純文学の朗読ですが、ラジオドラマの方は、「めっちゃおもしろい」に特化した童話や民話です。

サンテレビの最初のレギュラーの青年ディレクターが、23回生 門前喜康氏です。(コラム112回)
神戸博覧会「ポートピア81」で、NHK神戸放送局のリポーターをつとめていた時のこと、その日、ストップウオッチを忘れたことに気づきました。大阪放送局からの呼びかけはありますが、ポートアイランドからのワンマンの生放送です。気づいたのが「ポートアイランドにはサンテレビがある!」
「門前ディレクター、ストップウオッチ貸して!」と泣きついたら
「よう気がついたなぁ、よかった、よかった」そんな風におっしゃって、快く貸してくださいました。
お忘れかと思いますが、私にとっては忘れがたい思い出です。
フリーアナウンサーって、どんなことしてんのん?
もし、そう思ったら、お暇な時に「はままつアナウンス倶楽部」を検索して下さい。

平成25年12月 浜松市内の結婚式場で開催した「朗読劇」ディナーショーです。
岸田国士「秘密の代償」と「徳川家康 浜松出世城物語」。
28回生の須藤(松本)紀子さんが友情出演でヴァイオリンを演奏してくれました。千葉県在住。彼女に朗読会の演奏をお願いするのは二度目です。その須藤さんが、スリリングな体験だったと、と話してくれました。若手ピアニストの伊藤浩史君が伴奏してくれたけれど、ヴァイオリン1本は、スリリングよね。
写真は「浜松出世城物語」 稀代の悪女「築山殿」を「そんなことないのよ」にした「築山」です。
平成27年度は、家康公が亡くなって四百年「徳川家康公顕彰四百年」 そのプレ事業です。
朗読劇ではありますが、少し殺陣のシーンを織り込みたいと思いました。
指導して下さる、俳優で殺陣師の楠見彰太郎氏のおかげで、殺陣シーンが本格的になりました。
薙刀を手にするのは、徳川家康の初恋の女性「お田鶴の方」。今育てつつある「遊佐ちえみ 22歳」です。
私は事務所の代表でもあるので、こんな子もいます。また、武田信玄、服部半蔵は、岡崎演劇塾の友情出演です。
会場の出雲殿浜松から豪華絢爛な打掛はじめ、衣装・ヘアメイクの協力を頂きましたが、武田信玄の兜、陣羽織、手甲脚絆なんかを、母の協力も得て、作ることになりました。信玄の「ヤクの毛」を使った兜が1,500円くらいの予算で、すごくウマく出来て「天才かもしれん」と思いながら、脚本書いて、BGMを決めて、SEを作って、動画のロケに行って、モロモロそんなことしてると、自分のせりふが後回しになり、ものすごく余裕がなくて、写真見ると浮き足立ってます。
須藤さんには、無理を言って、殺陣のシーンで「池辺晋一郎」風「無伴奏」をお願いしました。それなのにゲネプロ終わって、しばらくして、ヴァイオリンの演奏がなかったことに気づきました。
「あれ、今、弾かへんかったよね」「うん、殺陣のシーンは、ヴァイオリンいらんわ。」「そやね。」
そんなことが言えるのが、学生時代からの友人です。
次回は従弟の娘 マリンバ奏者「八重崎 渚」(コラム40回)に親戚出演をお願いするつもりです。

「星陵の卒業生って、なんでこんなに、みんなイイ人なんやろ」同窓会に出席して、そう思いました。
目下のところ「星陵」と書かれた壺を、法外な値で買わないように気をつけているところです。