四中2回生「人権学習講演会」にて今年も講師を務める

『戦争体験について』
~せっかくの命、志を豊かにして戦争のない社会に~

12月8日、1年生(71回生)を対象に「人権学習講演会」が母校多目的ホールで開催され、昨年に引き続き星陵高校の前身である兵庫県立第四神戸中学校(四中)を卒業された大先輩おふたりが講師を務められました。

太平洋戦争勃発の年に産声をあげた兵庫県立第四神戸中学校。時代は学徒動員を余儀なく実施し、四中も1回生と2回生が「国家総動員法」によって川崎航空機㈱明石工場に配属され、最新式戦闘機「飛燕」のエンジン生産に従事していました。昭和20年1月19日、午後2時50分頃、その明石工場が標的となりB29爆撃機63機が襲撃。610発もの爆弾を投下し、工場内だけで死者は263人にも上りました。動員中の四中2回生3名も尊い命を落とし、数名が重傷を負いました。そんな痛ましい歴史が我が校にもあったのです。

三木公輔さん(四中2回生)は爆撃時、上官の命令により工場の外で防空壕掘りの作業中でした。山の方に向かって必死に逃げ、防空壕に飛び込んで命拾いをされたそうです。三木さんは戦闘機・防空壕・爆弾で出来たクレーター・鉄骨だけになった工場の画像や、爆撃機から投下する爆弾のフィルムなどたくさんの資料を準備して来られ、臨場感が伝わるようプロジェクターでひとつひとつ丁寧に紹介しながら「恐怖の34分間」を生徒たちに説明されていました。

爆撃によって自らも重傷を負った柳ケ瀬康夫さん(四中2回生)は、「運命の開拓者になれ」という恩師の言葉を胸に刻み、心的外傷後ストレス障害と戦いながら、何か大きな力によって生かされていると感じながら今日まで歩んでこられたそうです。重傷を負って戸板で運ばれた先で、小学校から一緒だった友達と偶然並んで寝かされ「やられたんか」「やられた…」そんな短い会話を交わしたこと、数分後にはその友達が静かに息を引きとったこと、片肺に穴があき呼吸が出来ない苦しさの中でただひたすら「お母ちゃんに会いたい」と思ったこと、骨折した大腿部を伸ばす激痛が“紫色”をしていたことなど、15歳で経験した惨い体験の数々を語って下さいました。


立って話をされる先輩方の姿をじっと食い入るように見つめて話を聞く生徒たちの真剣な表情が印象的でした。感想文から抜粋して、いくつか生徒たちの声をご紹介します。
「二度と戦争が起こらないようしっかりと学習し、次の世代に伝えていく責任があると思った」
「戦争は簡単に人の命を奪う、無慈悲なことだとわかった」
「当時の音、映像が目に焼きついた」
「実際に体験された方のお話を聞くことが出来たことは大変貴重であったと思う」
「逃げ込んだ防空壕によって生死の運命が決まってしまうことに恐ろしさを感じた」
「寒い中、私たちのために聞かせて下さって本当にありがたかった」
「これまで戦争の話は聞かないようにしてきたが、日本人として知るべきではないかと思うようになった」
「爆撃後の工場に行ったら鉄骨に服と肉片が引っかかっていたという話は怖くて鳥肌がたった」
「選挙権を持ち、これからの日本を支えていくので二度と戦争が起こらないようにしたい」

  

 

 

 

 

 

生を受けた命を大切にし、志をもって前向きに生きる努力をすること、そして戦争のない世の中にすることを切実に訴えたふたりの大先輩の話を心に留め、71回生が今後の日本を担うべく成長していかれることを切に祈ります。

同窓会事務局長 山田祐子