コラム『星陵生をたずねて』「同窓会報『星友』編集の思い出」藤井 英明(高15)

母校講演会(2006年3月10日)での藤井英明さん(後列中央)
前列左より上中一雄校長、井上堯之さん(高11)、佐川満男さん、中尾清同窓会長(高15)

私が星陵同窓会の事務局に携わるようになったのが、1991年の創立50周年式典のお手伝いをさせて頂いた事から、橋本一豊会長(3回生)時代の1990年頃ではなかったかと思います。そのあと山田彰会長(4回生)時代に吉岡邦雄広報委員長(12回生)のもと「星友」の編集に携わるようになりました。私の記事が初めて掲載されたのは1995年発行の「星友」で、前年に開催された定例総会の報告記事でした。

「星友」小冊子は毎年卒業式に合わせて、卒業生にも配布するため2月に発行されていました。配布先は定例総会参加者、東京支部、学校教職員、PTA等で印刷部数も千部程度だったと思います。当時、小冊子版は同窓会員には郵送されていませんでした。その後1996年版からは、維持会費の導入により会費納入者へ郵送するようになりました。

私は1997年に吉岡昭一郎会長(7回生)のもと吉岡邦雄先輩から広報委員長を引き継ぐ事になりました。1998年発行の「星友」で初めて編集後記を書きました。写真はその時の「星友」表紙(9回生・平内安彦氏・明石海峡大橋)と就任あいさつ記事です。冊子の編集、構成、印刷に当たっては、以前から田中孝輔副会長(10回生)に大変お世話になっておりました。

 

平成10年2月発行の「星友」

翌1999年2月発行の「星友」は従来のB5版からA4版に拡大し、字体も大きくしました。そして表裏表紙にはカラーを取り入れ、表紙には現役美術部員の作品を、また裏表紙には多目的ホールの石阪春夫画伯(四中2回生)の陶版画を起用しました。(写真参照)。その年の7月には定例総会を周知するため総会案内のタブロイド版を全会員に発行しました。冊子版(維持会費納入者)と全会員にタブロイド版を発行するには費用が掛かる事から、初めて広告の掲載をお願いする事になりました。しかしながら、予算不足から2000年2月発行予定の「星友」冊子版は休刊せざるを得ませんでした。2000年は年2回タブロイド版を全会員に発行しました。2001年からは2月に冊子版、7月にタブロイド版を発行する体制になりました。2000年に校歌が制定されて50年を迎えたため2001年冊子版で、制定当時をご存知の先輩方々にお話を伺い特集記事を掲載しました。その翌年、逍遥歌についても2回生の桜井博先輩に寄稿をお願いしました。

編集方針として会長・学校長・PTA会長あいさつ、総会報告、学校近況、恩師近況「お元気ですか?」、同窓生近況「ヤア!コンニチワ」、WHO’S WHO、同期会だより、わが部!わがクラブ!そしてポートボウル開催を定番として原稿依頼を中心に作成してきました。さらに、依頼原稿だけではなく、自主的な取材をタイムリーに行う事や、同窓生や現役生の活躍等を探し出す事にも努力しました。

この間、60周年記念事業を始め、何といっても同窓会館「星友館」の竣工が大きな記事となった事には感激深いものがあります。

平成11年発行の「星友」表紙と裏表紙

編集後記には時代の状況を残すためにも、その年の流行語等を取り入れた小文を作成しました。いま読み返すと、その年々の時代状況が思い浮かびます。編集後記作成は時間を掛けましたが、始めだすと結構プレッシャーになりました。

2005年になり吉岡会長から15回生同期の中尾清会長にバトンタッチが行われ、私も副会長・事務局長に携わる事となり、広報委員長を24回生の吹田徹治さんを始め24回生の皆さんに引き継ぐ事になり、陰から応援する立場となりました。2007年からは従来の縦書き右開きから横書き左開きに変更され、現在の体裁となっています。

 

 

編集後記

その後、「星友」を全同窓生に発送される事になり喜ばしい限りです。ぜひ同窓生の絆としての「星友」を会報誌の枠を越えた編集を期待しております。また「星友」は同窓会の歴史の証人でもあり、重要な役割を果たしているとも言えます。熱い思いで今後とも編集に携わって頂きたいと応援しています。WEBが中心となっている昨今ですが、冊子「星友」が手元に届くことを楽しみにしています。

この8年間、広報委員長を務めさせて頂き、同窓生はじめ関係者の皆様に多大なるご協力を頂きました。改めて感謝申し上げますとともに「星友」のますますの充実、発展をお祈りしています。