平成31年度人権学習「戦争体験談」

令和元年12月19日(木)、母校多目的ホールにて1年生を対象に人権学習講演会が行われ、星陵高校の前身である兵庫県立第四神戸中学校(四中)2回生柳ケ瀬康夫さんが戦争体験を語られました。戦争体験講演は平成27年度から行われており、今回で5回目。

昭和16年に開校した第四神戸中学校の校史は太平洋戦争とともに刻まれていきます。昭和18年には学徒勤労総動員の体制がしかれ、柳ケ瀬さんも川崎航空機明石工場に勤労奉仕に動員されました。その川崎航空機明石工場に悲劇が起こったのは昭和20年1月19日。作戦コード名「フルーツケーキ1号」 米軍機が来襲し、630発の爆弾を投下。動員学徒を含む300名が尊い命を落としました。その中には四中2回生3名も含まれていました。(京谷茂さん、後藤登志さん、中之武さん)

柳ケ瀬さんは落とされた爆弾により吹き上げられた何十キロにも及ぶ粘土の塊の直撃を受けて左足を骨折。さらには、爆風により片肺に穴があくという重傷を負いました。爆撃を受けた瞬間、例えようのない激痛の中で「お母ちゃんに会いたい」という言葉が文字となって頭の中を交錯したこと。命を落とした京谷さんと共に木の下に寝かされ、「やられたのか」「やられた」という短い会話を交わしたこと。京谷さんがそのうち何もしゃべらなくなってしまったこと。耐えられない激痛に何度も気を失ったこと。その激痛が『紫色』をしていたこと。その後も、転院の度に空襲を逃れてきたこと…
柳ケ瀬さんはまるで昨日のことのように語りました。

亡くなった同期生が3名もいた中で自分が助かったことについて、やがて柳ケ瀬さんは「自分が生かされている」と考えるようになったそうです。まだ生かされている、まだ何かやることがあると思って生きてきたことの意味を生徒達に強く訴えました。

『命』という字は「人は一度叩かれる」と書く。生きて、自分で開拓して、自分に自信をもって、日本を動かし、世界を動かしてほしい。戦争のない世の中にしてほしい。

柳ケ瀬さんはそう訴える一方で、「若い人達から元気をもらった」「学ばせてもらった」と笑顔で会場を後にされました。今回、聴講された柳ケ瀬さんの娘さんがこのような話をして下さいました。「父は家ではこういった話をまったくしません。私も初めて父の話を直接聞くことができました。」

動員学徒が命を落とすという悲惨な校史をもつ我が母校、星陵高校。体験者から直接話を聞くという貴重な経験が、生徒たちの将来に活かされることを願ってやみません。

 

同窓会副会長 山田祐子(高30)