「ネパールヒマラヤ、アイランドピーク登頂記」三宅 史敏(高34)

34回生、山岳部の三宅史敏です。高校で登山を始めてから、ずっと登山を続けてきました。もう、10年も前の話で恐縮なのですが、ネパールヒマラヤまで登山に行ったときの事を書きたいと思います。

私は、2001/01/02に、ネパールのアイランドピーク(6189m)に登頂しました。

日程
12/23 >日本発
12/24 >バンコク発
12/25 >カトマンズ滞在
12/26 >カトマンズ発 → ルクラ → パグディン泊
12/27 >ナムチェ泊
12/28 >タンボチェ泊
12/29 >ディンボチェ泊
12/30 >チュクン泊
12/31 >チュクン泊(降雪のため、停滞)
10/01 >アイランドピークベースキャンプ泊
01/02 >アイランドピーク頂上往復、ベースキャンプ泊
01/03 >ディンボチェ泊
01/04 >ナムチェ泊
01/05 >パグディン泊
01/06 >ルクラ泊
01/07 >ルクラ発 → カトマンズ着
01/08 >カトマンズ滞在
01/09 >カトマンズ発
01/10 >日本着
19日間

*2001/01/02、登頂日の記録 *
メンバー:三宅史敏、ラハール・タマン(クライミング・シェルパ)
・韓国隊が、メンバー12名、シェルパ2名で、同時行動。

02:00、ベースキャンプ、5100m出発。
朝食は、ラーメンをコックが大量に作っていたが、食器に1杯だけ食べる。ヘッドランプをつけて、行動を始める。前々日の雪で、前から3番目ぐらいまでは、雪を踏んで足を置きやすくするステップ固めが辛い。 私は、前から3番目を歩く羽目になる。息が切れる。トップは、私のシェルパ。2番目は、韓国隊のシェルパが勤める。

03:30、5400m、草地の終了・岩場の始まり。
岩場では、バンド(岩場にある道状の段)を使って、とがった岩や大きな岩の間を縫うように高度を上げる。日本の剣岳頂上南壁を直登しないで巻きながら登っていく感じだった。薄くつもった雪の下が、氷になっていて、岩がすべる。ストックでは滑って使いにくいので、ピッケルに変えて登る。

05:00、5600m、ハイキャンプ地。
岩場を少し整地してある。氷が遠いので、水を作るのに苦労しそうな場所だった。通常は、ここで1泊してから頂上を目指す。今回は泊らなかった。冬なので、風邪を引く危険性が高かった。風邪を引くリスクよりは、一発勝負のリスクを取った。

06:30、5800m、岩場の終了、アイゼン着用。
雪面だが、かなり堅い。アイゼンの爪があまり深く刺さらない。雪のところもある。シュカブラ(風でできた雪の風紋)が波打っている。 50歩歩いたら、休もう。50歩を数えながら、休み休み進む。シェルパは、先行している。シェルパとは、ロープを結ばずに登る。クレバス(雪の亀裂)が、数カ所。急斜面の手前で、1つ、2m幅の段になっていた。
頂上直下、固定ロープ4本。通常は、2本(私が用意したのも、2本) シェルパが韓国隊のシェルパと共同で、設置した。ロープが4本の方が、長い距離に固定できるので、都合が良かったようだ。ユマール(ロープにつけると前進するが後退しない道具)を使って、登る。 息はゼイゼイ、ハアハア。4歩歩いては、休んで息を整える。いつしか、それが3歩ごとになり、2歩ごとになり、1歩ごとになり・・・。寒くて、しんどくて、息苦しくて、、、。でも、稜線に近づくと風がなくなり、少し暖かく感じだすと、猛烈に眠かった。

09:30、登頂。風強し。
固定ロープにセルフビレイをとって、写真・ビデオを撮る。最高地点は、もう少し高いが、風が強く危険なので、やめる。景色がすばらしく、満足できた。ローツェ南壁が巨大だった。

下山開始、時間不明。
シェルパは、固定ロープ回収のため、まだ上にいる。単独で、下山を開始する。荒れたまま凍った雪面に足を取られる。強風に進行の邪魔をされる。 5800mで、アイゼンをはずす。浮いた石に足をとられる。薄く積もった雪に滑らされる。寒さで、胸が痛い。ルートは、ケルン(小石をつんだ目印)が積んであるので判別できる。雪が積もっていたので、登りの足跡もよくわかる。5400m、なかなか下につかない。ヤッケのボタンが2つはずれたが、風が強くて止められない。 下が、遠い。肺の背中側も痛くなってきた。肺水腫の危険を感じる。

14:00、ベース着。
チャイ(インド式の甘いミルクティー)を2杯飲み、ビスケットを5枚ほど食べた。下着だけになって、シュラフ(寝袋)に潜り込む。泥のように、眠った。

ローツェとアイランドピーク(ディンボチェより)

同じ場所からのアイランドピークのアップ

5800m、アイゼン着用地点からの、雪の斜面

頂上稜線直下の急斜面

ラハール・タマン(クライミング・シェルパ)、頂上にて