「シンガポールってこんなところ」加藤 知恵美(高31)

はじめまして、31回生の加藤知恵美(旧姓中谷)です。1960年生まれで31回生、1979年に星陵を卒業。短大卒業後、1981年に日本航空に客室乗務員として入社。30年間フライトを続け、夫の転職を機に2011年の10月末に退社。現在、夫の帯同としてシンガポールに住んでいます。

さて、突然コラムをお願いと言われて、何を書こうかなぁと考えました。シンガポールに住み始めて2年が経とうとしている今、この間に“なるほど~”とか、“なんで~?”とか、“なんでやねん!”とかいろいろ見たり聞いたり感じたりしたことがあります。そこでこのあたりをご紹介しようかと思っています。

シンガポール共和国は、イギリス連邦加盟国で建国48年という若い国です。国土は東京23区ぐらいの大きさで、高速道路を東から西まで40分も走るとマレーシアとの国境にあたります。人口は、約540万人。人口密度は世界第2位(1位はモナコらしい)。

シンガポールと言えば、SMAP出演の携帯CMで有名になったマリーナベイサンズホテルや、マーライオン、金融都市なんかが頭に浮かびますね。しかしこうした近代都市の内側は、なかなかディープな東南アジアの都市なんです。

この国には、大きく分けて4種類の人種が住んでいます。①中国系 ②マレー系 ③インド系 ④その他外国人。公用語も中国語・マレー語・タミル語・英語と4言語もあります。これらの内、中国系が75%強占めています。というわけで、中国文化が根強く残っています。

たとえば、お正月。日本では、1月1日がお正月ですが、シンガポールでは、1月末から2月初めにかけてのチャイニーズニューイヤー(春節)を祝います。よって、祝日も1月1日は1日だけなのに対し、チャイニーズニューイヤーは3日間休みとなります。実際は、2週間ほど続き、お正月ムードは2月10日ぐらいまで続きます。

このお正月週間には、魚生(イューシェン)と呼ばれる料理を、家族や友人たちといただく習慣があります。魚生(イューシェン)とは、刺身のけんのような野菜に刺身(白身かサーモン)とコーンフレークのようなものがのっている中国風サラダです。

魚生はシンガポール独特のお正月料理です。もともと広東州からこの料理がシンガポールにきたそうです(現在、この習慣は中国にはないそうです)。お正月の食卓の最初に出される料理で、『ローヘイ』(すくい上げるという意味)とも呼ばれています。テーブルについている者は立ち上がって、みんなで長い箸を使ってこのサラダをかき混ぜます。この時、みなそれぞれの願い事を大きな声で言います。そして山のように高くつみ上げた方が、願いがかなうと言われています。というわけで、お正月料理の始まりは実に賑やかです。

また、こちらにもお年玉のような習慣があります。日本では、大人が子供に渡しますが、シンガポールでは既婚者から独身者へ、また部下やマンションの守衛さんへ、ゴルフ場ではメンバーが従業員に、赤い封筒にS$10前後を入れて(この時入れるお金は偶数と決まっている)手渡します。これをアンパオ(紅包)と呼んでいます。私がメンバーになっているゴルフ場のフロントレディにアンパオを渡すと、いつもは無愛想なのにその時だけはすばらしい笑顔を返してきます。この豹変は、彼女に限ったことではなく、大半のシンガポール人に言えますが・・・

次にシングリッシュについて、お話しましょう。シングリッシュとは、英語とマレー語を混ぜて出来上がった言葉です。文法はいい加減で、単語を並べるといった感じのブロークンイングリッシュ。私のブロークンイングリッシュと似たところがあり、ここでの会話が容易になっています(笑)

代表的なもの

・『OKラー』、『NOラー』
語尾の“ラー”は中国語からきており、日本語の“ね”や“よ”のようなもの。

・『コレ―!』(Correct!)語尾のctは発音しない
『そのとおり!』といいたい時はThat’s right! ではなく、これを使う。

・『Can Can』(必ず二回繰り返す)
『可能です。』と言う時は、Yes,I can.ではなく、これを使う。タクシーの運転手にどこどこへ行ってもらえますか?と言うと、必ずCanCanと鳴きます。

さて、みなさんは、靴下を毎日履き替えますか?それとも・・・

シンガポールの友人から聞いた話なんですが、シンガポールの人は毎日靴下を履き替えないそうです。なので家に入る前に靴下を脱ぎ、それを靴の中に入れておき、翌日またその靴下を履きます。2~3日ほど履いて汚くなってきたら洗濯するそうです。これは、日本人には考えられないことですよね。私がその友人に、日本人は前の日に履いた靴下を次の日も履く気にはなれないから、靴下は毎日履き替えると言ったら、逆に驚かれてしまいました。一種のカルチャーショックでした。

最後にシンガポールの運転マナー?についてご紹介しましょう。シンガポールでは、運転するときウィンカー(方向指示器)を出さないドライバーが多いのです。また、ウィンカーを出しっぱなしで平気で直進する車や、右のウィンカーを出しながら左に曲がる車やその逆もしかり、もう無法地帯です。そのため接触事故が多発しています。これには、シンガポール人は他人に自分の考えていることを知られたくないところからきているとか、面倒臭がりが多いとか、自分さえ良ければいいと考える人が多いからとか、いろいろな説がありますが、この国で運転するには、相手の動きを推理する能力が必要のようです。

シンガポールに来て間もないころ、国立博物館を訪れてみました。そこには、シンガポール歴史ミュージアムが常設されています。恥ずかしながら私はシンガポールの歴史をほとんど知りませんでした(星陵の世界史の授業では、特に習わなかったような気がします??)。入口に日本語のガイドフォンがあります。いくらかと聞いたら無料というので、もちろん借りました(関西のおばちゃんはタダに弱い)。ここでは、ラッフルズ卿がシンガポールに上陸したあたりから現在までの歴史を、調度品や写真でわかりやすく展示しています。

ラッフルズ卿時代のシンガポールは、パイレーツオブカリビアンに出てきそうな港町で、このコーナーを見ているときは、まるで映画のワンシーンを見ているようでした。が、第二次世界大戦のコーナーでは、日本軍がイギリス艦隊を破りシンガポールを昭南島と呼び占領した当時に様子が、なまなまと展示されています。日本軍が南方戦線で勝利したことは何となく知っていましたが、ここまで詳しくは知りませんでした。これにはショックであり、知らなかったことがとても恥ずかしく思えました。この時代に苦労されたシンガポール人は、日本人をよく思っていないようですが、戦後に生まれた人たちは、経済発展を遂げた日本を尊敬していて、日本人を好きな人が多いようです。じっくり見るには2~3時間かかりますが、シンガポール観光に来られたら、是非訪れてみてほしいところの一つです。

とりとめもなく書き綴りましたが、シンガポールってこんなところなんだ~って思ってもらえたでしょうか? 近代的な建築物もあるなかで、昔からの風習が残る部分もあり、またアジアのいろいろな国の文化が融合されたシンガポール独特のものもある不思議な国。

毎日いろいろな不思議に出会えるシンガポールにぜひ遊びにいらしてください。