「ディスレクシアって素敵な個性」福田 貴子(高34)

ディスレクシアってご存知ですか?

トム・クルーズやスティーブン・スピルバーグがカミングアウトしているので、聞いたことのある方も大勢いることと思います。いわゆる、学習障害の中の読み書き障害と言われるものです。

私の娘は、中学一年生の時にディスレクシアであることがわかり、他の人よりほんの少し大変な思いもしましたが、今、楽しく大学に通っています。また、私はディスレクシアについて勉強したことを生かして、ディスレクシア支援のNPO法人で音声教材を作る仕事をしています。

私が、勉強したり、経験したりしたことを少しでも知っていただけたら嬉しいと思っています。

1,うちの子天才かも

生後4カ月でハイハイをし、5ヶ月でつかまり立ち、6ヶ月でつたい歩き、8ヶ月で歩き始めた娘。パズルやブロックが大好きで、2才になる頃には100ピースくらいのパズルなら、あっという間に仕上げていました。あんまり早く仕上げてしまうので、裏返しにして無地の面をそろえさせましたが、表向きの時とほとんど変わらないスピードで仕上げてしまいます。

3歳の頃には、折り紙の本を見ながら、なんでも折ってしまう子でした。また、5才くらいの時だったでしょうか、双六をするのにさいころが見つからないと言って画用紙にフリーハンドで展開図を書き、切り抜いてさいころを作ったりしていました。

この子は天才かもしれない。学校に行くようになったらどんなにお勉強ができるのかしら。とその頃は思っていました。

図形だけではなく、文字に関しての不安もありませんでした。読み書き障害と聞くと、全く読み書きができない人を想像する人が多いかもしれません。しかし、娘は1歳半の時に誰も教えていないのに勝手に数字を読み、2歳半の頃には、たどたどしいながらもひらがなを読んでいました。お友達と比べてもむしろ早い方でした。

でも、小学校に入っても相変わらずたどたどしく、一文字ずつしか読めませんでしたし、読み間違いもたくさんありました。それでも、先生のお話はよく理解できていましたし、何よりもゆとりの教育真っ只中でしたので、読み書きをするよりも調べて発表する勉強が中心でしたので、全く気になりませんでした。

漢字の書き取りは苦手で、字もいい加減な字ばかり書いていましたが、口頭で聞くとなんでも理解していましたので、サボってる、とか、ふざけているのだと思っていました。

【娘には普通の文章がこのように見えているそうです。これを読むときも普通の文字を読むときも同じだけ時間がかかります】

2,もしかして、読むのが苦手?

苦手さが、最初に気になったのは小学校三年生の夏休み。友達と一緒に塾の夏期講習に参加した時でした。

毎日、塾で習ったことを楽しく話してくれていましたし、宿題も私が問題を読んであげるとすらすらと解いていました。ですから、最後の日に受けたテストもほぼ満点が取れるものと思っていました。しかし、結果は悲惨なものでした。全国でほぼ最下位。入塾基準すら満たしていません。ビックリして手元にあったテスト問題をやらせてみると、満点を取ることができます。テスト中に寝てしまったのか、ふざけてちゃんと書かなかったのか、と思いました。

その後テストを何度か受けて、ギリギリ塾に入ることができましたが、テストの結果はいつも最下位争い。でも、家でやるとできているのです。

「どこがわからないの?」
と聞いても、
「特にわからないところはないけど、問題の意味がわからない」
と言います。

ある時、私が問題の意味がわからない時は先生に質問するように言いました。そして、次のテストで娘が質問をしてみたら、なんと成績上位者に名前が載るほどの点数がとれました。

「一体どういう質問をしたの?」
と聞きましたが、
「質問しようと思って手をあげたら先生が来てくれて、問題を声に出して読んでくれたから質問する前にわかったよ。だから、特に質問はしてない。」
と言います。

その時は、『この子は読むのを面倒くさがっているのかなあ。』と思っていました。用事もないのに先生を呼ばないように言われた娘は、その後テスト中に質問しなくなったので成績はまた元の最下位争いにも戻ってしまいました。

中学校に入り、英語の学習が始まりました。最初の宿題は教科書の初めの1ページをノートに書き写すことでした。

10分経ってもできません。20分経ってもできません。

「お母さん、宿題がわかんないから教えて。」
と、私もところに持ってきました。

書き写すだけの宿題です。私には何がわからないのかさっぱり分かりませんでした。

娘のノートを見ると、何度も書き直したのでしょう、涙と消しゴムの跡でよれよれになっていました。私は白い紙に大きくマジックで書き写しました。それを見ても、単語と単語の切れ目がわからないと言います。そこで、私が一つの単語を書くとそれを書き写す、ということを繰り返すことにしました。そうして、2時間以上もかかって中学1年生の英語の最初のページを書き写すことができたのです。

【娘が小学校3年生の終わりごろ描いたものです。文字を何度も書き直していることがわかります】

3,ディスレクシアと言われて

中学校一年生の二学期だったでしょうか。個人面談の時にディスレクシアではないか、と担任の先生から言われました。どこかでチラッと聞いたことはありましたが、『だからと言って何が変わるのか。』と思っていましたので、あまり意識したことはありませんでした。

しかし、担任の先生から、紙の色や字体を変えたり、フィルターのようなものをつけることによって読みやすくなることもあると聞かされ、調べてみることにしました。

調べてみたところ、娘の場合、紙は白、字体は丸ゴシック体が読みやすいようでした。一口にディスレクシアといっても、個々で有効なものが違います。また、それらを使っても同級生に比べるととても読みづらく、時間がかかります。定期テストの時間延長や別室受験なども提案してくれました。

しかし、思春期の娘はどれも受け入れることができませんでした。

【小さいころから体を動かすことが大好きで、卓上よりも体を使って色々な事を学びました】

4,大学受験のために

娘には、小さいときからの夢があります。建築家になる夢です。小さいころから形に対するこだわりが強く、立体感のとてもいい子供でした。後になって、ディスレクシアの人は空間認識力の高い人が多いことを知りました。

建築を学ぶためには大学に行く必要があります。しかし娘の学力で行ける大学があるのか、とても心配でした。そんな時に出会ったのがAO入試とそのための塾です。

塾では、個性を伸ばすことを学びました。ディスレクシアは個性の一つ、それは短所ではなく長所なのだと学び、自信をつけていきました。

元々、私自身、個性豊かな子育てを目指していましたので、ようやくわかってもらえたと娘を応援しました。

5,個性あふれる人に

少しさかのぼりますが、娘の描く絵は少し変わっています。

小学校一年生の時に学校で飼っている孔雀の絵を描きました。クラスの半分くらいの子は正面から綺麗に羽を広げている孔雀を描いています。残りの半分くらいの子は真横から見た尾がすーっと後ろに伸びている絵を描いていました。その中で一枚だけ、そのどちらでもない絵がありました。娘の絵です。まるで、串に刺さった団子の絵です。どう見たら孔雀に見えるのか頭をひねってしまいました。娘によると、それは孔雀を真上から見た絵なのだそうです。そう言われてみると見えなくもないのですが、やっぱり串に刺さった団子にしか見えません。でも、私はその絵がとても気に入りました。誰かのまねではなく、自分の目で見たものを見えたように表現した絵をとてもいとおしく思えました。そしてそんな絵を描けたことを褒めました。

その後も、上手いわけではありませんが、他の子とはちょっと違う絵を自信を持って描いてくれました。

この、個性を大切にしようという感覚は星陵時代に培われたものだと思っています。

私は中学生の頃までは『みんなと同じようにしなければいけない。』という感覚がまだあったように思います。体育が苦手でしたので、『高校に入っても体育の授業でみんなについて行けないといやだなあ。』と思っていました。その苦手意識のため中学時代は、大きな声で発言することもできませんでした。

高校に入ると、『みんなしっかりと自分の意見が言えて大人っぽい人が多いなあ。』と思いました。でもよく観察していると、そのしっかりとした人たちの中に私と同じように体育が苦手な人や他の何かが苦手な人がいることに気付きました。みんな苦手な事があっても得意な事を生かしてキラキラと輝いていました。個性と個性がぶつかり合って、より一層個性を引き立てます。どんな個性も否定しない空気もありました。

おかげで、私は自信を持っていろいろなことにチャレンジすることができました。

このような高校時代を送ることができたおかげで、ディスレクシアという素晴らしい個性を持って生まれた我が娘を楽しく育てることができたのだと思っています。

ディスレクシアに限らず、生きていくのに不便だと思っている人はたくさんいるでしょう。でも、生きにくい分だけ素敵な個性を持っているのだと思います。その人たちが、少しでも自分の力を発揮しやすい世の中になって行きますように。