「風に乗る」礒田 晴久(高24)

皆さんはウィンドサーフィン(WS)と言うマリンスポーツを知っていますか。聞いたことはあるけどあまり知らないなーと言う方が多いと思いますが、今回はこのスポーツについての楽しみなどを少し書いてみようと思います。

さて、このスポーツの始まりはそんなに古くありません南カリフォルニアの2人の青年によって1968年に作られました。当時のボードは3m以上の長さ重さはおそらく20キロ近くはあったように思います。当時1人で運ぶのは大変でした。
WSと僕との出会いは約35年前、ハワイはカウアイ島での事でした。その3、4年前から普通のサーフィンは始めていたのですが、目が悪いハンディーは大きく、メガネなしでは波のピークが分かりません。当時はカッコいいメガネハーネスなどなく、ゴム紐で止めるというなんとも不細工な事をしていました。どう見てもオシャレではないですよね。でも、それでやっていたのです。うまくない上にガラスレンズですぐ曇ってしまう、波にまかれてなくしてしまう、これではどうしようもないと言う事でさざ波ライダースから卒業出来ないままブラブラやっていました。でも、ボードに乗って海の上を滑る事への憧れは消えませんでした。その頃雑誌か何かでWSの事を知り、いよいよハワイで体験できることになったのです。勿論のことですが泳げないとダメと言う事で、幅30m位の少し流れのある川を往復泳げないと体験させてもらえませんでした。これが結構しんどかった。何人かは脱落していたように思います。今思えば歩くほどのスピードだったのだろうと思いますが、普通のサーフィンでは数秒しか乗れなかったボードの上で長い時間乗って水の上を滑る?歩く?ことは快感でした。でもWSは結構難しいスポーツでなかなか思うようには行きません。こけては重たいセイルを持ち上げる、この繰り返しでした。

当時僕は芦屋浜のマンションに住んでいて、そこから芦屋浜が見えていました。その浜でWSスクールが始まったのです。すぐに申し込みました。ご存知でしょうか。今でもこれが海?と言いたくなるほど汚いですが、その頃の海はもっと汚れていました。それは良しとして、いよいよ醤油色の海でWS Lifeの始まりです。

当時は結構のめりこんで、風の吹くところなら淀川、甲子園浜など怪我すれば膿みそうな恐ろしい所でやっていました。須磨もよく行ったのですが、冬の寒い時期にしか風がうまく入らないのですね。加古川河口も良かったです。特に台風が日本海側に抜けた天気の良い日は最高でした。そんな日々を過ごしていた僕にとって、大きな出来事。それはソフトコンタクトの出現でした。これはやっていたスポーツすべての僕のコンディションを変えました。こけても怖くない。これは大きい。よりアクティブにWSもサーフィンもスキーも突っ込んでいけるようになりました。当時のソフトコンタクトは取扱いが大変で、値段も高い。 失くしたり 破いてしまったり、又買わなければならない。当たり前ですがこれはイタイ!そうこうしている内に、1DAYアキュビュー使い捨てソフトコンタクトという凄いものが出現!今ではこれのおかげで、どれだけ楽しんでいることか。本当に感謝感激雨あられです。

さて話をWSに戻しましょう。WSのおかげで色々な方々と会う機会を得る事が出来ました。まずは今は亡きプロWS飯島夏樹氏。(1966-2005 1966年、東京都生まれ。日本人で唯一、8年間ワールドカップに出場し続けた世界的プロウィンドサーファー。マウイ、グアムを拠点に世界大会を転戦、年間約20戦に出場。世界戦で数々の入賞経験を持ち、国内大会での優勝も数多い。) 彼とはハワイ・マウイ島ホオキパビーチで初めて会いました。そこはWSの聖地と言われる所で、世界的な大会の行われるゲレンデで、相当な技術と体力が必要とされ、生半可なプレイヤーは受け入れてくれない場所でもありました。彼は風に乗り、波を切り、空中に舞いあがって素晴らしいパフォーマンスを繰り返していました。しばらくして浜に上がった彼に僕は近づき、たわいもない会話を交わして別れました。その後、彼がグアムのココス島においてマリンスポーツのショップを開いたことを知り、ココスを訪れて再会を果たしました。でも、彼は39歳と言う若さ逝きました。おそらくココスで再会した時、既に彼の体には癌がいたのでしょう。後で彼の手記を見てそのことを知りました。今でも彼がココスから家に帰るのにWSに乗って、背中に荷物を背負い海の上を帰って行った姿を思い出します。素敵な笑顔の偉大なサーファーであったに違いありません。

次に古谷英理氏。彼はプロサーファーでもあり、プロウィンドサーファーでもあり、色々な雑誌に載るサーフトリップのライターとして有名な方です。今から15、6年前の事です。彼とは知り合いの紹介でマウイでWSの個人レッスンで出会いました。野性味たっぷりの外見で年は幾つだったのでしょうか。当時僕が40過ぎでしたから、30代後半だったのではないかと思います。面白い方で、話が弾み、一緒にマウイのカナハで楽しくWSをしました。彼もゴルフが好きで、毎回昼過ぎまでWSをしてから彼の知っているローカルのゴルフクラブへ行き、夕方飯を食いに行くと言う贅沢な時間を過ごしていました。とても良い思い出です。その後、彼とは会う機会もなく、たまに雑誌に載っている姿を見て相変わらず自由な生き方をしているんだなと羨ましくも有り、懐かしくも有り、あの頃を思い出しています。なにか力が湧いてくる気持にもなります。

サイパン

その他にも、楽しく友人達と冬の寒い海で震えながらでもやった事、流されて大変だった事、いつかはハワイ、ホオキパで乗りたいと思った事(無理ですよ)色々ありました。特に想い出深い海は久米島の少し沖、はての浜と言う所です。引き潮の時間帯にしか現れないビーチです。CMなどでよく使われているそうですから皆さんもご存知かもしれませんね。そのビーチに2~300m四方の自然のプールのような海が現れ、その内でするWSはなんといえば表現できるのか分からないほどの美しさでした。最近は久米島へ行っていないのですが あの自然をずっと守っていきたいものです。

さて、今はと言うと、WSの道具の進化が覚ましく、ボードはぐっと短く2m50cm位重さは6Kg位セイルも軽くなり、風を受ける効率も上がって、セイルを付けたボードを1人でも運べるほどになりました。日本では残念なことにWSは非常にマイナーなスポーツです。その大きな要因が上手くコントロール出来るまでに時間がかかることや、WSに適した安全なゲレンデが少ないためせっかく始めても途中でやめてしまう方が多いことにあるようです。最近10年位はもっぱらサイパンでWSをしています。綺麗な海、そして何よりもリーフに囲まれた内海で出来るので安全です。これからWSを始めてみたい方には最適だと思います。

鳴門

軽いノリで始めたサーフィン、WSがいつの間にか健康でいる為、いつまでも若い気持ちを保つ為、いろんなことに前向な気持ちを保つ為、そして何よりも自然と共に生きてゆきたいと思える心を僕に教えてくれたように思います。今年還暦と呼ばれる年になります。

世界ではまだまだレジェンドサーファー達だけでなく、もう一つの僕の大好きなスポーツ ゴルフのレジェンド達が輝きをイッパイ放っています。さて、じゃあ皆で海に行きましょうか。夢見る心はいつまででも続きを見せてくれます。皆で素敵な続きを作りに行きましょう。

Heal The Earth
Love and Peace