「異文化との付き合い方」田口 雅博(高30)

高校卒業後は農学部に進学しましたが、現在はカンボジアはアンコールワットの街、シェムリアップにある米国系のホテルで総支配人(General Manager)を務めています。
ホテル業にはもう25年以上たずさわっていますがホテルマン人生を振り返るにつけ、星陵高校での3年間の楽しくキラキラした毎日とそこで知り合った沢山の友人達との付き合いが今の糧になっているとしみじみ思います。 

小学校・中学校から星陵に入学するまでは道路を渡ったらそこはもう明石という、神戸の西のはずれの団地町で育ちました。
いってみれば団地文化しか知らなかった私にとって、須磨や長田からきた同級生達はまるで異国人で彼らの異文化に触れるのがとても楽しく、彼らと一緒に楽しい時間を過ごすことと部活動の水泳が高校生活の全てであったと言えます。
高2の時に須磨の潮見台に引っ越しましたので、須磨・長田の人達との付き合いは更に深まっていきました。
垂水の団地だけが生活の場所だった私にとって、異文化に触れること、それを吸収すること、そして異なるバックグラウンドから来た人達と付き合う方法を身に着けることができた星陵高校時代は、その後の人生の大切な財産になりました。 

3年生の1学期の終わり頃、高校最後の夏休みは水泳と遊ぶことに集中しようとワクワクしているところに、英語のリーダーの小倉先生から呼び出しがありました。
私以外にも仲の良かった遊び友達が二人呼び出されましたが、奇しくも一人は須磨でもう一人は長田の人間でした。
小倉先生曰く「おまえら3人はこのままやったら卒業できひん。わしが夏休みの間鍛えたるからリーダーの教科書を1年の分から全部持って毎日通うて来い。」 その年の夏休みは朝プールに行って練習し、それから小倉先生を3人で囲んでリーダーの勉強、それからまたプールという日々を過ごしましたが、普段から仲のいい3人でしたからそれはそれで楽しい時間でした。
各学年の1組から3組くらいまでが入っていた淡路島が見える南側の校舎で、窓を開け放った教室の真ん中に4人で座って、我々3人が順番にリーダーを読んでその和訳を言っていきました。
ご経験がおありの方もおられるかもしれませんが、石造りの校舎の中は夏でも涼しく吹きぬけて行く風が気持ちよく、授業中はよく居眠りしたものでした。
我々が読み上げるリーダーの響きが耳に心地よかったのか、小倉先生も時々コックリコックリされて、それを見た我々はすかさず10ページほどすっ飛ばして、先生がお目覚めになった時には「先生、これが最後のページです」と言って速攻で終わらせて、また部活や遊びに戻っていきました。
結果的に我々3人は無事に卒業できましたので、できの悪い生徒3人にボランティアで毎日お付き合いいただいた小倉先生には本当に感謝しています。
お陰様で成績は悪かったのですが英語嫌いにもなりませんでした。 

高校3年の時点で英語の成績が学年で下から3番以内であった私が、今は外資系のホテルで総支配人をしております。
先に25年以上この仕事をしていると申しましたが、ホテル業に入るとっかかりにも星陵時代に培われた異文化に溶け込む能力は如何なく発揮されました。
農学部を卒業後は自分で農業をやってみたいと考えていたのですが、当時は農家の跡取りでなければ農業を自営することは難しく、団地っ子であった私には遠い夢でした。
インターネットなどない時代でしたが、風の噂でスペインでは農地を安く貸してくれるらしいということを聞きつけて、卒業後は日本で就職せずに実際に現地に行ってみることにしました。
初めて訪れたスペインで衝撃的だったのは、バルという酒場の壁にところ狭しと並ぶ豚の足、ハモンと呼ばれる生ハムでした。
大学では牛乳、卵や肉類の畜産製品に関した勉強をする学科におりましたので、しばらくスペインにいて生ハムの作り方をマスターして日本に帰ろう、くらいのことを漠然と考えていました。
しかし生活して行くためには何か仕事を探さなくてはなりません。
当初は南部のグラナダという街にいたのですが、スペイン語もできない日本人を雇ってくれるところなどなく、日系企業が何社か進出していた首都マドリッドに向かいました。
資金も底を尽きかけていたので、あきらめて日本に帰ろうと思い、日本行きの便を予約するために日系の旅行会社を訪れました。
順番待ちの合間にふと手に取った雑誌がワープロ打ちの如何にも現地で発行された体裁で、裏を見ると発行元はマドリッドにありました。
その雑誌をつかんですぐに発行元まで走り、駄目もとで何でもいいから仕事をください、と頼んでみました。
あにはからんや「日本人を探してるホテルがあるよ」とのお話、すぐに紹介してもらい履歴書もスペイン語で書いてもらって面接を受けることになりました。
しかし「ビールを下さい」程度のスペイン語しか知らない人間がスペイン語での面接に受かるのはどう考えても不可能です。
でもスペインに残るための最後の望みですから、どうしても面接を通らなければなりません。
そこで考えたのが想定問答を作ることでした。
面接で質問されそうなこと、例えば「あなたは何故スペインに住みたいのですか?」「あなたは何故このホテルで仕事をしたいのですか?」、そしてそれに対する回答をまず英語で用意しました。
それを書きつけた紙を持ってマドリッド市内の大学街まで夕方行って、バルにいる学生に「ビールおごるからこれスペイン語に翻訳して」とお願いして書いてもらい、あとは面接の日までひたすらそれを暗記しました。
スペイン語の発音はローマ字読みと同じで母音も日本語と同じ5つしかありませんから、意味はわからなくとも日本人が棒読みすればそれらしく聞こえ、スペイン人にも通じます。 

いよいよ迎えた面接当日、一張羅の背広にクラリーノの靴をはいて緊張で凝り固まっていた私に投げかけられたのは、ほとんどが想定問答で用意しておいた質問でした。
何を言われているのか分からない質問にはたいてい「シー」(スペイン語のイエスです)と答えて、相手が変な顔をしたら「あ、その質問は分かりません」と憶えておいたフレーズを口にします。
その結果第一次面接合格、安心のあまりその知らせを聞いた時には膝の力が抜けました。
二次面接は英語でしたので、しどろもどろながら何とか突破し、その後日本語の試験としてお客様へのお詫状を書かされました。
これは現地の日系旅行会社の日本人駐在員が審査したようです。
最後にもう一度スペイン語で面接があったのですが、これはいつから仕事に来れるか、給料はこんなもんだけどいいか、といった採用に向けてのものでした。
晴れてフロントに配属になり、そこでスペイン人の先輩たちから色々言葉をかけてもらったのですが、何を言っているのかまったく分かりません。
当然「あ、こいつスペイン語全然分かってへん」とばれてしまいました。ところがそこからがスペイン人の良いところで、スペイン語の話せない日本人が入ったことを面白がって、ベルボーイやウェイター等、みんながかわるがわるやって来てはスペイン語を教えようと色々話しかけてくれました。
仕事が終わったら、その日かせいだチップを持ってみんなで飲みに行き、私が理解できるレベルのスペイン語で一生懸命話してくれたりもしました。
そうやってスペイン人の同僚たちと楽しく仕事をして遊んでいるうちにいつしかスペイン語も話せるようになりました。
何も知らず飛び込み無我夢中で6年間勤めたホテルはHotel Ritz, Madridというスペインはおろかヨーロッパでも最高格式のホテルでした。
100年以上の歴史の中で引き継がれてきた伝統とサービス精神を、楽しいスペインのノリで学んでいくうちにホテルの仕事がとても楽しくなり、この道で生きて行こうと決めました。
ホテル業のいろはを学び、初めての海外生活の場所となったマドリッドは、今でも私の第二の故郷です。

その後、転勤や転職を繰り返し、ロンドンで4年、バンコクで5年、一度日本に戻って大阪・東京で合計6年色々なホテルに勤めた後、2008年にこのカンボジアに渡ってきました。
これまで様々な国で異なる文化のバックボーンを持った人達とともに働き、沢山の友人ができました。
どこに行っても物おじせずにすんなりと溶け込めていけたのは、垂水の団地っ子の私に沢山の楽しく素晴らしい異文化を教えてくれた須磨・長田出身の個性豊かな連中とめぐり合うことができた星陵高校での3年間があったからこそだと考えています。 

さて、最後に私がいるホテル業界について少しお話しさせてください。
私が勤めているルメリディアンアンコール(Le Meridien Angkor)というホテルは米国のスターウッド・ホテルズ&リゾーツ(Starwood Hotels & Resorts)という会社に所属しています。
スターウッドは傘下に9つの異なるホテルブランドを持ち、そこにはシェラトン(Sheraton)やウェスティン(Westin)といった皆様にもおなじみのブランドも含まれています。
かつてはホテルの土地・建物を所有する個人または会社が直接ホテルを運営するのが普通の営業形態でしたが、現在はオーナーと呼ばれる土地・建物の所有者とホテル運営会社が別になっているのが一般的です。
例えば不動産会社がビルを建てる場合、オフィスビル・商業施設・マンション等とともにホテルも選択肢の一つになり得ます。
不動産会社はホテルを建てることはできても、たいていは運営ノウハウを持っていません。そこでスターウッドのようなホテル運営に特化した会社が委託を受け、自社ブランドを使ってホテルのオーナーに利益が出るように運営して行きます。
従業員の給料も含めたホテルの運営資金もオーナーが負担し、ホテル運営会社はノウハウ提供の対価として運営手数料を受け取ります。
マリオット(Marriott)、ヒルトン(Hilton)、ハイアット(Hyatt)や私が勤めるスターウッド等のホテル運営会社は土地・建物等の資産(ハード)をもたず、運営ノウハウ(ソフト)を持ちこんで運営報酬を得るビジネスモデルで世界展開をしています。 

ホテルの総支配人という仕事はホテル会社の持つノウハウを実際に現場に落とし込み、会社の営業ネットワークやマーケティングのサポートを最大限に利用し、オーナーに利益が出るようにホテルを運営していくことが主任務です。
ホテルには宿泊部門、レストラン・バーの料飲部門、そして宴会部門という収益の柱がいくつかありますので、それら個々の専門知識もある程度は知っておく必要もあります。
しかし、お菓子の職人やソムリエがその道一筋のスペシャリストとすると、ホテルの総支配人というのは総合職で「はい、じゃあこのホテルお願いね」と配属されて、行く先々でそのホテルで何年・何十年と働いてきた人達と一緒に仕事をしなければなりません。

言葉・宗教・文化・人種など、全く異なるところに落下傘で降りていくようなものですから、環境の変化に適応できる柔軟性が求められます。
今はカンボジアにおりますが、次はどの国にある系列ホテルに異動することになるのかは全く分かりません。
それでもどんなところに行っても異文化に溶け込む術を身に着けた星陵高校時代の財産がありますから、次はどんなホテルに行けるんだろうかと今から楽しみにしています。 

改めて夏の英語の「猛」特訓をしてくださった小倉先生には心から感謝しております。