「人生悔いなし」箱木 功(高36)

星陵高校、何を思い浮かべるかというと、授業中にふと窓の外を見ると、親子連れが、校舎の前を商大の方へのんびりと通り抜けていく光景があったりし、なんとなくのどかな雰囲気が漂っていて、がむしゃらではなく、心にゆとりを持っていた。それは今の自分にも通じるところがあります。

2001年夏、妻と小学2年を筆頭に3人の子供と、縁もゆかりもない鳥取県東伯町(現 琴浦町)に引っ越してきました。
–  梨をつくる為に  –

大学卒業後は、茨木市内の病院で事務の仕事につきました。1990年結婚しました。妻の実家は広島で和牛を肥育する畜産農家で、地域でも指折りの優れた農家でした。非農家出身の私ですが、妻の実家へ行くことは、なんとなく心地いい感じで年に数回は行っていました。子供が生まれると、ますます行く回数が増えてきました。
妻の実家へ行き、農業はその人の目が利き、腕がよければ充分に生活ができる仕事なんだと、またその為には人より手をかけないといけないと思いました。病院での仕事は、任されるものが多くなり2時間かけて出勤し、帰ってくるのは午前様が当たり前になってきました。仕事はやりがいのあるもので、職場の環境にも恵まれておりましたが、子供も3人となり、今のままでいいのかな?そんなおり妻の実家へ行き、妻の両親の働く姿をみながら、自分も簡単な手伝いをしていくうちに、子供たちに親の背中をみて育ってほしいという思いが、こみ上げてきました。妻も、同じような思いをもっており、「農業ができればいいね。」と、自然と話が進んでいきました。

さて、農業をするにはどうしたらいいのか。まずは本や雑誌等を見て情報収集から始めました。少しでも知識を習得したいと考え、富田林の就農準備校に半年ずつ夫婦交代で通いました。また、神戸や大阪で開催された就農フェアーの各県ブースを回り情報を収集しました。その結果、移住地を鳥取県に決めました。その後、鳥取県の担当者の方と話を煮詰めていき、私の鳥取県のイメージが二十世紀梨であり、何より私が二十世紀梨が好きということもあり、担当者の方からは「梨つくりは大変ですよ。」と言われましたが、梨を栽培する方向で話を進めることになりました。

2000年7月に夫婦で名和町(現 大山町)、11月に私一人で東伯町(現 琴浦町)での宿泊を伴う就農体験ツアーに参加し、梨農家・町・農協の方の声も聞くことができました。そして、東伯農協(現 鳥取中央農協)のモデル梨園事業と県・町の支援事業により、ソフト(1年間の費用助成・研修体制)・ハード(梨園・スピードスプレヤー(防除用機械)・トラクター等の必要機械のリース、就農者住宅等)の充実と風光明媚なところが決め手となり、東伯町で就農することにふみきりました。

2001年5月、前記の事業をうけるとっとり田舎暮らし体験事業の面接審査に合格し、8月家族5人で東伯町に I ターンしました。まず、1年間は事業で、その後の4年間は農協の臨時職員として、入植予定のモデル園の植栽からその後の管理を通して栽培の研修をしました。

2006年5月、いよいよ独立、80aが我が家の梨園です。就農1年目は、天候の具合で、あまり梨の実が大きくならない小玉年で出荷できないものも多くあり、収入も少なく散々な年で、どん底からの出発となりました。
梨家の1年は、終わってみればあっという間。剪定、誘引・・・いつの間にか春がきて、我が家の梨園も花が満開で花見気分(そんな余裕はないですが)すぐさま、交配、摘果(1か所に8個の花が咲き実となるので、厳選して1個にする)、小袋かけ(二十世紀は病気と肌の汚れを防ぐために、果実に大小2種類の袋をかける)、大袋かけで一休みと思いきや、夏枝誘引、マルチ用のソルゴーの刈り取り、畑入れ、気づけばもう収穫。いかに段取りよく早く作業をすすめていくかですが、我が家は、まだまだ作業が遅く後手後手になりがちです。とにかく、こつこつ根気よく、たまには梨の樹の声も聴きながら、大変だけど梨が答えてくれるので。

「うまい梨」をつくる。我が家の基本ですが、その為には、手間をかけなければなりません。夫婦二人で作業をするのが基本なので作業分散をしたいのですが、上手いことに最近は、おいしい新品種が育種され、品種により交配、摘果、収穫等の時期が違ったりもするので、積極的においしい新品種を取り入れています。その結果、我が家では、収穫順に7月下旬の「早優利(さゆり)」、8月下旬の「秋栄(あきばえ)」「二十世紀」、9月に入ると「新甘泉(しんかんせん)」「秋甘泉(あきかんせん)」「かおり」「あきづき」、10月上旬の「爽甘(そうかん)」、11月の「王秋(おうしゅう)」、12月の「愛宕(あたご)」「シルバーベル」の計11品種を栽培しています。みなさんも、是非とも「うまい梨」を食べてくださいね。

7年前に8a、2年前に55a、新たに梨園を借り入れ、現在143aの梨園で「うまい梨」を栽培しています。また、我が家が所属する鳥取中央農協 琴浦梨生産部(約200人の梨生産者で構成)で指導員を任されており、みんなが、「うまい梨」をつくれるように取り組んでいます。
2012年には、鳥取県梨コンクール王秋の部において優秀賞をいただきました。ここまで来ることができたのも周りの方々や友人の助けはもちろんではありますが、やはり家族のおかげだと痛感します。まだまだこれからも、子供たちにしっかりと背中を見せて「うまい梨」をつくります。

人生悔いなし