「++++Harris Tweedってご存知ですか?++++」黒木 康徳(高34)

リレーコラムのお話をいただいた時に、さて何を書けばよいかな?と足りない頭を絞って考えてみました。高校時代の思い出?同窓会総会*懇親会への意気込み?etc?
で最終的に今の仕事について書かせていただく事に決めました、少し長くなりますがお付き合いください。

高校時代まったくと言っていいほど勉強をしていなかった僕は家庭の事情もあり、専門学校みたいな所(今は短大ですが)を出て二十歳で神戸の海運貨物を取り扱う会社へ就職しました。この会社が伊藤忠商事系であったため1年目から駐在として大阪の伊藤忠商事本社、輸入繊維部紳士服地課で社会人生活をスタートしました。ここでの5年間が繊維に関わる入り口であり、社会人の基礎を学んだ場所です。

その後、イギリスで半年間英語の勉強を会社の経費でさせてあげるから。。。と言う甘い言葉に簡単に飛び乗り転職しました。

それが今の仕事、輸入生地販売代理店、通称エージェントです。

みなさんHarris Tweed(ハリスツィード)ってご存知ですか?

キングオブツィードと呼ばれ、数あるツィード生地とは違った認知度で世界中に多くの愛好家を持っています。現在この生地の販売が僕の主な仕事となっています。

Harris tweed Hebrides

ハリスツィードが他のツイードと全く違っている点は2つあります、
*1つ目は明確な定義がある*
アウターヘブリディーズ諸島内で染色、紡績されたピュアヴァージンウールを使用する事。
島民の家で島民の手によって織られている事。

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ハリス島、ルイス島、ベンベクラ島、サウスウスト島、バラ島で仕上げる事。

以上の基準をみたすもののみハリスツィードと呼ばれ、そのすべてにハリスツィード協会認定の証としてオーブ&クロスのタグが付きます。2010年にはトレードマークが制定されて100年が経ち、記念として2011年生産の生地には記念ラベルがつけられました。

*2つ目は法律で保護されている*
1990年代、漁業以外に産業のなかった島の住民の暮らしは貧しかった。
このことが国会で取り上げられ<ハリスツィード産業を守る事こそ島の人々にとって有益な事>という考えのもと、ハリスツィードを国が保護することが議論されました。

この特別扱いに当然ながら他のテキスタイルメーカーから抗議が出ましたが、
1993年には<ハリスツィード条例>が可決され現在もその法の元庇護を受けています。

ハリスツィードの歴史を簡単に説明しましょう、発祥は18世紀にまで遡る。
荒漠としたアウターヘブリディーズ諸島に暮らす女性の仕事は、その島で産出された羊毛を糸にすることだった。男性は漁師が主であった、しかし時化などで海に出られないときには、その糸を手作業で織り上げ、漁のための作業着を作っていた。

これがハリスツィードのルーツである。
今でこそ世界中で親しまれているが、19世紀中頃までは主に家庭で使う為、または地元の市場のために生産されていたという。が、1846年、その技術と品質に魅せられたハリス島の領主夫人であったダンモア伯爵夫人は、時間と労力を費やし製造工程の改良に着手し、それをイギリスの貴族社会に広めたのです。タフで防寒にも富むその機能的な生地は、ハンティングやフィッシングを嗜む特権階級の人々にすぐに受け入れられた。
しかし、こうして広く知られるようになった反面、この地域以外で作ったツィードまでもがハリスツィードとして出回るようになっていく。これを見兼ねたメーリー・シー・ホース夫人は1909年、ハリスツィード協会を設立。それまで各島名を冠していたツィードの名称が、ハリスツィードひとつへと統一されたのである。同時にダンモア伯爵夫人の功績を讃え、ダンモア伯爵家の家紋であるマルチーズクロスと球形を組み合わせたオーブ&クロスのマークが考案される。

翌年にはこれを登録商標し(英国で最古の登録商標である)、さらに翌年にはアウターヘブリディース諸島で産されたツィードであることの保障と品質管理を目的に、お馴染みのラベルが付けられるようになった。
現在も昔ながらの生産方法は守られ、ハリスツィード協会の品質管理のもと世界のマーケットに生地を供給しています。

私の勤めている会社はハリスツィード以外にも、イタリア製のプリント生地、シャツ地、などなど全部で14社ほどの欧州生地メーカーと取引をしていますが、伝統のあるハリスツィードに対しては思い入れがあるお客様が大勢いらっしゃいます。そんな方達とツィード談義?ではないですが、昔はこうだったとかいろいろと話をする事は楽しいものです。昨年だったか、日経新聞の<私の履歴書>というコーナーに、東京藝術大学大学院文化財保存学保存修復彫刻研究室教授、薮内佐斗司さん[せんとくんの生みの親]が投稿されており、その中に、昔に買ったハリスツィードのジャケットが窮屈になったとありましたので、私は会社にあって渋めの生地に手紙を添えて送らせていただきました。
すると後日、せんとくんシールや仏像修復についての貴重な年報など身に余るほどのお返しをいただきました。

私が担当しているハリスツィードの会社が世界シェア90%という事もあり、英国大使館、スコットランド国際開発庁へハリスツィードの問い合わせが来た場合必ずと言っていいほど私の連絡先を伝えてくださいます。そんなこともあり昨年初めて英国大使館の公館で行われたレセプションへ招待をいただきました、大使館内は今まで3度ほど訪問させていただいた事はあるのですが、事務を行う別棟だけで公館へ入ったことがなかったので嬉しくて緊張した事を覚えています。

この職業へ転職して今年で25年目になります、日本国内に限らず、海外でもいろいろな人達と巡り合い親交を深めてきた結果が今に至ると本当にしみじみ思います。
ここ3年ほどハリスツィードの商売はおかげさまで好調です、2年連続でドイツを抜いて日本が世界一のマーケットになっています、どこまで継続が出来るか分かりませんが頑張っていきたいです、ハリスツィードの商売は私のライフワークだと思っています。

最後になりますが、今年の8月4日の総会・懇親会へ向けて34回生はラストスパートに入り全員一丸となって取り組んでおります。おととしの11月に初めて集まった時はたった4、5人だった仲間も当日お手伝いをしてくださる方を入れて40人以上になりました。

30年後の再会、巡り合いを皆それぞれ噛みしめながら、次の世代へ良い形で同窓会活動が継承出来ればと思っております。同窓生の皆様へおかれましては総会・懇親会へ何卒足を運んでいただければ幸いです。

平成25年度同窓会総会・懇親会 実行委員長 黒木康徳