「全く予測しなかった今」上田崇順(高47)

星陵高校同窓会からこのような原稿の依頼を頂きまして大変恐縮しておりますと同時に、嬉しく思っています。ありがとうございます。毎日放送という放送局で大阪でアナウンサーをしております上田と申します。
ひょっとしたら見たことある人、声を聴いたことがあるという方がいらっしゃるかもしれません。いらしたらありがとうございます。そうでない方もこれを機会にお見知りおき頂ければと思っています。ラジオを中心に仕事をしております。
高校時代の思い出と今の仕事の話をということで頂いたので、少し長くなりますが、お付き合いください。

中学時代水泳部だった私は中学3年時の競技成績がそこそこ良かったのをいいことに調子に乗りまして、当時、第三学区内でも図抜けた練習の量と質を誇るという星陵高校を選びました。2個上の先輩に声をかけて貰ったのが大きかったですね。誘われるというのは大変ありがたいことです。スイミングスクールの選手コースに所属していたことはなかったんですけどね。中学の部の顧問や練習の仕方が合ってたんでしょう。ラッキーでした。

星陵の同期には中学時代に好成績を残していたメンバーが揃いました。1年の時は速い先輩がいてリレーのメンバーにはなれませんでしたが、2年からはこの同期のメンバーで400mの自由形のリレーを組めたのが大変面白かったですね。良い成績が出せまして、3年時には、出場こそできなかったのですがインターハイの標準記録を切ることができました。よい思い出です。佐々木、佐伯両顧問と仲間に感謝しています。

更に調子に乗りまして、大学は体育会水泳部を目指して筑波大学を選びました。そこで日本のトップレベルの選手たちに混じってこってり揉まれているうちにスポーツに携われる職業に就きたいと思うようになり、動画のカメラマンを目指すようになりました。

ところが、なんの因果か紆余曲折あってアナウンサーになってしまいました。
今でも大学の先輩で「アナウンサーの試験も受けなさい」といってくれた人に感謝している次第です。撮る側を目指していたのに撮られる側になったのです。

本当に、人生なにがあるかさっぱりわかりませんね。

入社してからは野球の実況などスポーツの仕事を5年ほどやって、その後、少し柔らかい情報番組をまた5年ほど担当するなどしました。スポーツの仕事を離れるなんて思ってませんでしたので、これまた不思議です。そして、柔らかい仕事で生きていくのかなと思っていたところ…、今度は、ラジオ報道部から「新番組に協力して」と声をかけられました。2009年の秋のことです。「たね蒔きジャーナル」という番組でした。残念ながら3年で終わってしまいましたが…。これまた、青天の霹靂でしたが、お声かけ頂けるんだったら一生懸命やろう!と思って報道の世界に飛び込みました。

ぼくは工学部出身で機材関係を扱うことに抵抗感がなくパソコンに対しても苦手意識がありませんでしたので、取材のネタ探し、取材先へのアポイント取り、インタビュー収録、原稿作成、素材送受信、音声データの編集からそしてリポートをするところまで、全部一人ですることを学びました。皆さんがイメージしているアナウンサーとはだいぶ違う仕事内容かもしれませんね。

これがこれまでの仕事なかで一番自分にハマったようでした。自分の視点を生かして自分ででき、評価も自分に全部返ってきます。時に厳しく言われることもありましたが、いい放送があった時にはしっかりと良かったと言ってもらえたのが良かったです。楽しく継続していけました。思えば競泳もそうでした。自分の能力が数字でしっかりと返ってくる。いい時は褒めてもらえる。ストレートで分かりやすいものが好きなのかもしれませんね。

そうこうしているうちに番組開始1年半が経とうとしていた2011年3月に東日本大震災が起こりました。2011年の4月に宮城県石巻市を取材。その後、震災から1年の区切りの番組の中で福島第一原発で働く作業員の声を直接聴きたいと企画を出したところ通りまして、原発作業員取材をスタートしました。

最初は全く原発作業員とコンタクトが取れなくて苦労し、完全に一度は諦めたのですが、運良く周辺取材をきっかけに接触できるようになっていきました。テレビと違って、ラジオは生の証言を積み上げていくことでオンエアに繋げます。複数の作業員の声を集めていきました。作業員は緘口令が出されていて証言をすること事体にリスクがあるのですが、そのリスクを負って語る証言の内容は凄まじく、作業員の労働条件は過酷を極めることがわかり、収録中はマイクを持つ手が幾度も震えました。

お陰でオンエアは反響が大きく、その後継続取材になりました。特別番組の一つは近畿の民放連のラジオ部門の最優秀賞を受賞し震災2年の区切りの特別番組は放送批評懇談会、というところが行なっているギャラクシー賞という賞のラジオ部門の優秀賞という大変大きな賞を頂くことになりました。大変驚いています。

番組作りもリレーと同じで、取材内容は持ち帰ってスタッフに聴いてもらい、ディレクターが入魂の原稿を書き、音響効果さんは素晴らしいBGMをつけました。音声素材をみんなで吟味し、それぞれの技術を駆使して完成させました。少しでもお聴きいただいた方がいたら嬉しく思います。

よくテレビに出る仕事しているアナウンサーのほうが皆様の酒の肴には良いと思いますが、残念ながら、大変地味な仕事をしておりまして、申し訳ありません。今頃ラジオって言われてもとか、古いメディアとお感じの方も大勢いらっしゃると思います。一方で、チャンスがあれば、いろんなことが簡単にできるメディアですので、なにかありましたら、是非、ご協力ください。こんな仕事をしている人間が卒業生にいることを覚えて頂ければ幸いです。ここに書けない話も何かの機会に直接お聴きいただければお話しますので(笑)。

生きているといろんなことがあって思うように行かないことも多いですが、一方で不思議な流れに乗っていると知らないうちに思いもよらぬラッキーなことがあったり素晴らしい出会いに助けられることが多くあります。高校時代の私が今の自分を全く想像できないだろうなぁと常に感じています。

今後もこんな調子でマイペースでやっていきますので、どうぞよろしくお願いします。

長々と失礼致しました。最後までお読みいただいた方、ありがとうございます。