「これからも、ずっと・・・〜Link星陵〜」小松尚彦(高34)

「以上をもちまして、平成25年度兵庫県立星陵高等学校同窓会懇親会“Link星陵~世代を超えてつながろう”を閉会いたします。」

僕の目の前で凛とした姿で閉会宣言をする司会担当の山藤さんによるこのセリフとともに、たくさんの仲間たちと共にこの日のために長い長い時間をかけて準備をしてきた「長くて短かかった1日」が定刻通りに無事に終わりを告げた。そして司会・進行係のリーダーとしての僕の役目も終わり、その瞬間に頭の中が真っ白になって目の奥が熱くなり、次に僕はいったい何をすればいいのか考えられなくなって、しばらくの間その場に茫然と立ち尽くしていた・・・。

こんにちは。34回生の小松尚彦と申します。母校、星陵高校の本コラムへ投稿させていただく機会をいただき大変光栄に思います。先日行われた「平成25年度星陵高等学校同窓会」では幹事学年として「司会・進行係」のリーダーを務めさせていただきました。

大変拙い文章で恐縮ではありますが、暫くの間お付き合い下さい。

私は星陵高校時代は卓球部に所属して「クラブもそれなりに一生懸命」「勉強もそれなりに一生懸命」「でも星陵祭には燃える」という当時の典型的な(?)星陵生としての3年間を過ごしました。

星陵高校を卒業後は大学に進学し、その後ある電機メーカーに就職してから今までずっと営業マンとして現場の最前線で仕事をしています。電機メーカーの営業マンと言っても特殊な機器の専門メーカーですので、大手メーカーであればいわゆる「SE」といった部署の人がやるような仕事もしたりして、自他ともに認める(?)「現場主義の営業マン」として仕事に立ち向かう日々を送っています。

長野を振り出しに、栃木、秋田と転勤を繰り返す中で、子どもも2人授かり、ますますバタバタしたと10年程を過ごし、ようやく地元の神戸に戻ってきてからも相変わらずバタバタしながら神戸、大阪と勤務地が変わり10数年経ちますが、そのような忙しい日々を過ごしている間に、星陵高校での3年間は私の記憶の中でいつしか「ふとした時に思い出す、なんとなく甘酸っぱくて、懐かしくて、遠い遠い風景のひとつ」になっていました。私は中学生の頃から今に至るまでビートルズが大好きなのですが、彼らの名作アルバム「Abbey Road」のジャケット写真がなぜか星陵高校に通っていた当時の空気や雰囲気、風景と重なってしまい、あれほど好きだったはずのこのアルバムからもいつの間にか遠ざかってしまっていたのです。そして、星陵高校からすぐ近くの星ヶ丘にある実家に帰省する時も、なぜだか星陵高校には近づこうとはしないようになっていました。

昨年8月に行われた同期会にも、本当に「ただ何となく」参加してみたのですが、そこでの旧友たちとの再会はまったく想像しなかった衝撃的な出来事でした。みんな、30年の間には色々なことがあったはずなのに、ただ「星陵高校の34回生」という唯一の共通点だけで、何の躊躇いもなく星陵生の時の自分に戻って自然に話ができる。これは本当にすごい事だと思ったのです。社会的地位や肩書、人間関係のしがらみ・・・。社会人なら誰もが避けて通れない「仮面」を付ける必要もなく、本当に30年前のあの頃のままで自然体で話ができるなんて全く想像もしていなかったのです。

その後、私も実行委員のメンバーの1人に加えていただき、毎月1回の実行委員会に参加するようになりました。委員会での役割分担は、芸達者な人はそれを生かしてイベント企画で力を発揮し、仕事などで会計を得意としている人はその専門知識を生かして緻密な会計作業を淡々とこなしていく、秘書等の仕事をしていて来客への対応のノウハウが豊かな人は来賓・受付を担当する・・・。という具合に実行委員会内での役割分担は決まっていきました。この時は「星陵はホンマに人材の宝庫やなあ」と感心しました。

そんな中、さて私はどうしようかと考えたところ、何の芸も専門知識もなく、「現場主義の営業マン」という何とも形の見えづらいよくわからない特徴しかないくせに「どうせ参加するのなら当事者で!」という鼻息だけは人知れず荒く、その結果「司会・進行係」のリーダーをさせていただくことになりました。「この役割は20数年間の営業現場で培った「なんとなくその場を収めてしまう調整力」と「土壇場でピンチを切り抜ける馬力」を生かせるかもしれんなあ。しめしめ。」と1人ほくそ笑んでいました。

さて、リーダーになった当初は会議で「進行表」をできるだけ早く作成、公開して、実行委員会や同期生のみんなが同じ視点で「同窓会の形」を共有して、無理なく作り上げていけるように心がけました。その時に「調整力」が少しは役立ったかもしれません。

そして準備活動が本格化しだしてくると、いつも会議に参加できるメンバーだけではなく、仕事や家庭の事情でなかなか会議に参加できない人も、あるいは居住地が遠くて当日しか参加できない人も、Facebookやメーリングリスト、サークルスクエアといったツールを活用して情報発信や情報交換をしたりといった、皆がそれぞれのやり方で参加していくうちに「同窓会を成功させたい」という「我々34回生の思いのベクトル」がどんどん明確になっていくのを肌で感じるようになってきたのです。

星陵高校卒業後にそれぞれが過ごしてきたこの30年もの長い時間が嘘のように、まるで「星友館」という星陵高校の教室で実行委員会のメンバーをはじめとするたくさんの同じクラスの仲間たちと「星陵祭」の準備をしているような気持ちになる、本当に楽しくて心躍る日々でした。そして、我々にとって8月の同窓会のための予行演習も兼ねた2月3日の「50歳の星陵祭」が大成功に終わった時、「これはいける!」と確信を持つようになりました。

その後も実行委員会を力強く引っ張る黒木君、前澤君、川村さんという最強の正副委員長トリオが提唱する「いつもワイワイと楽しみながら」「できる人ができる事を無理せずやる」というムードに乗って、本当に楽しく同窓会の準備活動はできたのですが、それでもやはりお互いにこの年齢になってくると、それぞれの人生経験や体験等による「思い」や「譲れない信念」が顔を出してくる事もあり、時には議論の応酬で会議が袋小路に入ってしまうこともあったり、意見調整にとても時間がかかったり・・・。挙句の果てには本当の土壇場で私自身が大チョンボをして皆に迷惑をかけてしまって本当に途方に暮れてしまうという場面もありました。

それでも、仲間の皆さんの本当に暖かい支援と、やっぱり役に立った(?)「ピンチを切り抜ける馬力」とで何とかリカバリーをすることができて、そして本番直前の1週間はいよいよ全員がそれぞれの得意分野や能力を生かして、ひとつの目標に向かって励まし合いながら最後までみんなで力を合わせていく熱気が本当にビシビシと伝わってきました。あのころのメーリングリストやFacebookメールのやり取りは本当に物凄い数でした。でも、正直に言って、まさかここまで熱中できることがこの年齢になって見つかるなんて・・・と驚きと感激で胸が一杯になったりもしました。私自身も、最後には仕事も家庭も放り投げて(少々大げさですが)寝ても覚めても「同窓会を何としても成功させたい!」という一念の追い込みの1週間でした。

そして迎えた当日。機材搬入からスタートして朝礼や各リーダーさんやホテルの方、音響スタッフさんたちとの調整・・・。自分の役割を何とかこなしながら、いよいよ開会・・・。それからの事は本当にアッという間の出来事の様で、気が付けば本コラムの冒頭のシーンになっていたのです。「司会・進行係」のリーダーとして、途中に色々なことが起きて時間が押して冷や汗をかいても、演目を削る事無く、最終的にピシッ!と定刻通りに終わることができた事に本当に感激しました。これも全員の思いと努力の結晶だと本当に胸が熱くなりました。

そして全てが終了して機材搬出のために集合してくれた65回生の皆さんの姿を見て、再び現実に戻りました。搬出以外にも様々な役割で我々34回生のお手伝いに来てくれたたくさんの65回生の皆さんは私たちの子どもの世代です。目の前で機材搬出を快く手伝ってくれる彼らを見ていると「ああ、これもLink星陵なんだ」とまた違った思いで感激しました。

その後、34回生の同期会会場に入った瞬間に再び気持ちが弾けました。「この会場の雰囲気はまさにあの頃の星陵高校そのものだ。」と思った瞬間、星陵生の自分に戻ってしまったのです。懐かしいクラスの面々の集まるテーブルで「乾杯!!」と口にしたビールがこんなにも美味いものだとは!そしてみんなの笑顔!笑顔!笑顔!

朝からほとんど飲まず食わずだったこともあり、あっという間に酔っぱらってしまいました。その後の2次会、3次会にも参加したのですが、恥ずかしながら記憶がところどころ(ほとんどかも?)抜けています。もしかしたらとんでもない醜態もさらしてしまったかもしれません。でも最後の最後までずっと「ニコニコしっ放し」だったことだけは間違いなく覚えています。本当に本当に美酒でした。

こうして「同窓会に熱中した」1年は終わりました。振り返ると、この1年の間に34回生の同期のみんなだけではなく、先輩や後輩の皆さんとの思いがけない繋がりもできて、これが我々34回生の仲間から出てきたテーマ「Link星陵」そのものなんだと心から感じました。

そして、同窓会の成功は当然ながら我々34回生だけの力ではなく、同窓会執行部の方々や事務局の方々、協力学年である24回生、44回生の方々、お手伝いを頑張ってくださった65回生の皆さん他星陵高校に関わるたくさんの方々のパワーがまさに「Link」したからだと思っています。

今思えば、本当に偶然に星陵高校に入学して出会った34回生の同期の仲間たち。もしかしたら本当は必然なのかもしれないこの出会いを大切にして、これからもずっと、34回生の仲間たちと、そして星陵高校と「Link」し続けていきたいと思っています。