「いつまでも、英語屋。」仙木 佳奈子(高34)

星陵高校同窓生のみなさん、こんにちは。34回生の仙木佳奈子と申します。今回、こちらのコラムを書くよう依頼をいただいて、大変光栄に思っています。と同時に、こりゃえらいことになった、私に務まるだろうかと今さらながら不安でいっぱいです。つたない文章ですが、読んでいただけると嬉しいです。

1.国際教育としてのモンゴル異文化体験旅行

私は現在、神戸市内の中高一貫の学校で英語の教師をしています。今年は中学生を担任する傍ら、学内では、国際教育を担当する委員会に所属していて、国際交流や海外研修を企画・実施しています。今まで行った国際交流活動としては、アメリカのイェール大学のアカペラグループが来校した時に、コンサートや交流会を開いたり、オーストラリアからの留学生が本校に通うお世話をしたりというものがありました。また、海外研修としては、1年おきに夏休みに実施している異文化体験旅行で、昨年はモンゴルに生徒を引率しました。

これを読まれている同窓生の中で、モンゴルに行ったことのある方はどのくらいいらっしゃいますか。私ももちろんこの旅行の前は行ったことはなく、また正直行きたいとも思っていませんでした。私の中のモンゴルのイメージは、元寇、チンギス・ハーン、大相撲、小学校の国語の教科書に載っていた『スーホの白い馬』くらいでした。

生徒の中から希望を募り、80余名が集まりました。4泊5日のうち、ツーリストキャンプのゲルに2泊、ウランバートル市内のホテルに2泊しました。ツーリストキャンプには食事棟、シャワー棟があり、中に4人が宿泊できるゲルが20戸ほど並んでいます。ゲルの中は、中央に小さなテーブルと薪ストーブがあり、その周りを取り囲むように4つのベッドがあります。行ったのは8月下旬、日本では連日30℃を超える残暑でしたが、ウランバートルの空港に着くと12℃!また、ゲルでは寝る前にスタッフが薪をくべてくれるのですが、その火が消えると、寒くて寝ていられないくらいでした。

「モンゴルでは9月に雪が降ります。それから長い冬が始まります。その冬をいかに生き抜くかを考えて、モンゴル人は代々生きてきたのです。」

モンゴル人のガイドさんの言葉です。

4泊5日という短い期間でしたが、生徒たちは、希望して行ったということもあり、生き生きと何にでも興味を示してモンゴルの滞在を楽しんでいました。食事は必ずしも口に合うものばかりではありませんでしたが、出されたものは何でも食べてみようと挑戦する子たち、草原での乗馬体験で、最初はこわごわ手綱を持っていたのに、実際トレッキングが始まると、冗談を言う余裕が出てきて、あちこちで笑い声が響いたこと、日本語を学ぶモンゴル人の大学生や高校生がお手伝いに来てくれて、年の近い彼らと「恋バナ」で盛り上がっていたことなど、生徒たちがこの旅行でたくさんの楽しい思い出を作っていく様子を目の当たりにしました。

左の写真は宿泊したツーリストキャンプのゲル、右は競馬のために集まったモンゴルの子供たち。

日本にいると、当たり前に便利な生活が約束されています。暑いとエアコンを入れ、おなかが空けば冷蔵庫に何かある、もしくはお金を出せばコンビニで何でも買える。家の中に虫が入って来ることなどほとんどないし、スイッチひとつで風呂も沸けば、シャワーも使える。夜でも眠らない街は煌々と明るく、24時間電車や車が走っています。

モンゴル、特に郊外にあるツーリストキャンプでは、そのような生活とはかけ離れていました。シャワー棟で何度停電したことか。また、お湯が足りなくなって途中から水のシャワーを浴びなければならなかった子もいました。(ちなみに私たち引率教諭は、2日間ともシャワーを我慢しました。)ゲルの中に虫が入ってきて、その虫は耳の穴に入るので、ティシュを詰めて寝るよう現地スタッフから助言がありました!まさに不便のオンパレードですね。

でも、漆黒の夜空に輝く満点の星、目を輝かせて馬を乗りこなす現地の子供たち、建物が何もない大草原に沈む太陽など、便利さと引き換えに日本が失ってしまったかもしれないものをたくさん見ることができました。特に、平成生まれの生徒たちにとって、当然あるべきものを我慢しなければならないというだけでも大きな経験だと思います。観光旅行ではまず行かないモンゴルを訪れ、日本と全く違った環境の中で生きる人々を身近に感じることができた生徒たちの心に、この思い出がどんな形で残るのでしょう。これからの成長が楽しみです。

2.高校・大学時代のこと

学生時代の話を書こうと思います。星陵に入学した私は、生徒数の少ない小さな中学から来たため、同じ中学出身のクラスメートは男子1人だけでした。入学当初は知らない子ばかりで緊張し、気おくれがして、中学時代が恋しくてたまらず、殻に閉じこもった何だか暗い子だったと思います。でも、1年1組のみんなは優しくて、楽しいクラスの中でだんだん友達も出来てきました。今でもあの懐かしいクラスの友達に出会えてよかったと感謝しています。

星陵時代の思い出と言えば、修学旅行や星陵祭など、楽しかった行事がすぐに浮かんできますが、それと同じくらい大切なのが、何気ない毎日の思い出です。薄暗い1階の職員室前の廊下、装飾の多いどっしりした校舎、日当たりのよい1組の教室、自習時間に友達と遊んだ中庭、いつもすぐに売り切れた食堂のプリンパン、暑い日に買って食べたアイス、購買部で売っていた可愛いノートなど。そして、そこで語らう星陵生、出席簿を抱えて廊下を歩かれる先生方。あの校舎はもうなくなってしまったけれど、記憶は色褪せることがありません。

私の英語好きは中学の頃からです。当時は今のようにどの学校にもALTがいるという恵まれた環境ではなく、私も大学に入るまではnative speakerから英語を教わったことはありませんでした。中学の英語の授業は楽しくて、英語の先生は20代の男の先生でした。先生は美しいアメリカ英語を話され、いつか私も先生のように、英語が使える人になりたいと一生懸命その発音を真似したものです。

私が生徒だったころの星陵の英語は、確か1週にReader 3単位、Grammar 2単位、Composition 1単位の6単位授業だったと思います。さすがに高校の英語は無邪気に楽しんで受けられるものではなく、特に、覚えることばかりのGrammarの授業がいやでした。無味乾燥な文法事項、やたら出てくる構文に、練習問題がまた難解!下の写真が当時使っていた教科書です。

教師の目で見ると、これはレベルの高い、非常によい教科書で、当時星陵の先生方がいかに生徒に期待していたかよくわかります。中の例文も格調高い名文が多いです。いくつか紹介します。

In talking with people, don’t begin by discussing the things on which you differ.

――他人と話をするときは、自分と違ったところを論じることから始めてはいけない。

Love is the feeling that you feel when you are going to feel a feeling that you never felt before.

――恋とは、それまで感じたことのなかった感情をこれから感じるだろうという時に感じる感情だ。

Love is blind. People close their eyes when they shouldn’t.

――恋は盲目である。人は、目を閉じてはいけないところで閉じてしまう。

It would be a great mistake to suppose that we are always guided by reason.

――我々は常に理性によって導かれていると考えるのは大きな誤りであろう。

いかがですか?まだまだありますが、これくらいにしておきます。当時は難しくて音を上げていましたが、今読み返すとなかなか面白いです。

下の写真は、今の中学の教科書です。カラフルだし、登場人物の国籍も、日本、アメリカ、インド、中国、イギリス、オーストラリアと国際的です。

星陵を卒業してから、大学の文学部に入学しました。うちの大学は、全学部、全学年共通の科目として、ITC(Intensive Training Course)という英語の科目がありました。これは選択科目で、進級の単位にはならなかったのですが、イギリス人の英語の先生から、週3日間、毎日5時限にみっちり英語の特訓を受けるというものでした。何か楽しそうやし、英語うまくなりたいし~、くらいの気持ちで2回生から受講したのですが、毎回ひとつのテーマに添って英語で討論したり、スピーチをしたりと結構ハードでした。でも、おかげで物おじせずに英語を使えるようになった気がします。また、いろんな学部の、院生を含む他学年の人たちと交流できる楽しさがありました。授業が終わってから、先生のお宅にお邪魔して持ち寄りパーティをしたり、医学部の中国人留学生の琳さんの下宿に行き、彼女お手製の北京料理をご馳走になったりと、今でも楽しく思い出します。この授業は、自分が院生になってからも受講し続けました。身を削るように論文を読み、書いていた忙しい院生生活の中で、この授業は一服の清涼剤のような存在でした。なお、タイトルの「英語屋」という言葉は、院生だった時代によく自分たちのことを、自嘲を込めて呼ぶときに使ったものです。でも、私たちはこの呼び名が好きでした。「英語やってます。なかなか大変な商売やけど。そうそう、英語屋でござ~い!」みたいな。

四回生の時には、かねてからの希望だった星陵での教育実習が実現しました。受け入れて下さった星陵の先生方には本当に感謝しています。実習中、自分では必死でしたが、結果的にはたくさんヘマをしていました。教案通り進まずあわてたこと、黒板を書く順番がばらばらになって、見にくい書き方になって生徒に迷惑かけたこと、朝に通用門に立って遅刻者を捕まえてこいと言われたのに、結局「おはよう。」と声を掛けることしかできず、叱られたこと。

たった二週間でしたが、指導教官の先生をはじめ、英語科の先生方の熱心なご指導の下、HRクラスの1年2組と、授業に出させていただいた40回生の皆さんと共にとても充実した期間を過ごすことができました。最後のHRでは、クラスみんなで花束をプレゼントしてくれて、思いがけないサプライズに、ただ涙、涙でした。また、クラス全員の寄せ書きがあるノートを後日もらいました。「先生になって星陵に帰ってきてください。」という嬉しいコメントも…。みんなのおかげで、今の私があります。星陵には帰らなかったけど、がんばって教師していますよ。

教師になりたての頃の写真。左は、前列の白い服を着ているのが私です。クラスの子たちと。右は遠足の時の写真。前列右から2番目です。生徒と同化しているとよく言われました…。

3.英語教育に携わる者として

英語教師として、自分の役割は何だろうとよく考えます。もちろん、生徒が希望する大学に合格できるだけの力をつけてやるということが大きな目標ではありますが、それだけじゃつまらない。まずは「英語ができるってかっこいいやん!英語って楽しいやん!」と思わせるきっかけを作ることだと考えています。つまり、生徒と英語との間を取り持つ「仲人」のような役割です。確かに、今の日本では、英語ができなくても普通に生活ができます。でも、英語を使えることによって、手に入れられる情報は日本語だけの時よりも飛躍的に多くなるし、こちらから発信できる情報量も多くなります。いろんな可能性が広がるのです。英語を学ぶ動機なんて何でもいいのです。海外に住みたいとか、英語を話す友達がほしいとか、好きな洋楽の歌詞の意味を知りたいとか、字幕なしで洋画を見たいとか。私なんか今でも、旅先などで知らない人と英語でしゃべる機会があれば、ワクワクします。英語を使いたくてしょうがないのは、中学生の頃からちっとも変わっていません。

外国のニュースがインターネットでいつでも見られる時代です。どうせ将来英語なんか使わへんし~といって内向きに暮らすんじゃなくて、広い世界に目を向ける若者を育てたい。そのためにも、これからもひとりの英語屋として、生徒が英語とうまく出会う方法を探し続けますね。