「ラグビー:私が星陵高校で得た最高のツール」坂本 拓哉(高43)

43回生の坂本 拓哉と申します。このたびは39回生の兄の紹介にて、LINK星陵に寄稿させていただく機会をいただきました。学生時代ラグビー部に在籍していたこともあり、執筆のテーマとして「ラガーマンとして心が一番動いた瞬間」「高校時代の一番鮮明な思い出」について書いてもらえれば、とのご依頼をいただきました。あまり皆さんに馴染みの無いスポーツかもしれませんが、ラグビーを通した自分の経験について振り返ってみたいと思います。

1990年11月23日、和田岬近くにある神戸市立中央球技場で古いで私たちの高校時代最後のラグビーシーズンは終りを告げました。結果は9-20。前半は序盤の劣勢を跳ね返し勝って折り返したものの、後半途中で逆転され、そして最後には突き放されました。進学校が花園常連校に対して決勝戦で善戦したとは言えるでしょう。そんな結果に多少満足感も感じていましたが、その一方でどこかすっきりしない複雑な気持ちもありました。それでも、厳しい練習から解き放たれた開放感、そしてその日まで受験生らしい勉強を一切してこなかったという焦りもあり、勝負の余韻に浸ることもなく受験生活に突入しました。結果的には、ご多分に漏れず予備校生活を送ることになったのですが。

幸い、なんとか1年で浪人生活を脱出して筑波大学の体育専門学群に入学。そこでもラグビー部の門戸を叩きました。兵庫県の決勝までいったことに関しては内心誇りに思っていたので、少しくらいは星陵高校ラグビー部の名前を知っている人がいるのではないかと期待していました。しかし、そんなプライドはあっけなく打ち砕かれました。たとえ全国大会予選の決勝まで残ったとしても、県で二位のチームなど誰も知らなかったのです。当時の筑波大学は大学選手権の上位に進出するほどのチームで無かったものの、早稲田、明治と同じ対抗戦グループというリーグに所属していることもあり、高校日本代表経験者や全国大会に常に出場している強豪出身の選手が多くいました。そんな中で花園出場経験のない「兵庫県準優勝」の出身者など何者でもありませんでした。

同郷の先輩もおらず、部内での立ち振る舞いもわからず、そしてふてぶてしく見える風貌(本人は全くそう思ってませんが)もあり、入部早々先輩方から「生意気なやつだ」と目をつけられました。また、1年の間は怪我に泣かされ、まともに練習にも参加できませんでした。ようやく秋になって練習に復帰したもののまったくついていけず、しまいには上級生から「いらねぇよ。」と言われる始末。しかし、例え彼らにとっては無名高出身であっても高校時代の厳しい練習に耐えてきたという自負もあったので、一度たりとも部を辞めようとは思いませんでした。

幸いその後は大きな怪我もせず、3年時には控えではあるものの補欠としてジャージに袖を通すことができ、そして4年時にはレギュラーの座を獲得しました。そのシーズンの半ば、1995年11月12日、それまで対抗戦グループで50連勝と負け知らずだった明治大学と対戦し、我々は歴史的な勝利を飾ることができました。その後も大学選手権で前年度優勝の大東文化大学を退けるなど、当時の筑波大学としては過去最高の大学選手権のベスト8で最後のシーズンを終えることができました。しかし、この時も高校3年の時と同様に充実感を感じつつもどこかで満たされないものを感じていました。

大学時代

高校3年の決勝の前日のことです。 実は練習後に三宅先生からこんな檄を飛ばされました。「男だったら人生で一度は一番になれ」。結局、高校時代それは達成できませんでした。 そして大学時代も達成されることなく、ずっと心のどこかにひっかかっていたのだと思います。そしてそれから20年余りが経過した2010年12月、シンガポールに駐在していた時に参加した、アジアの日本人駐在員チーム同士で争われる10人制ラグビーの「アジアンカップ」。私の所属していた「シンガポールジャパニーズ・ラグビーフットボールクラブ」は見事に優勝を果たすことができました。その瞬間、長年の胸のつかえが取れ、思わず涙がこぼれました。

シンガポール時代

今振り返ってみれば三宅先生の言葉を実現できなかったことが学生時代に感じたもどかしさであったのだと思います。一方で、それは常に色々な物事に対する自分のモチベーションでもあり続けました。不惑目前にして、ラグビーにおいてはようやくそれは達成されましたが、今でも仕事で困難な状況を迎えた時には、「今がそれを乗り越える時だ」と思うようにしています。そのお陰かあるいは単にお気楽な性格のせいなのか、日々苦しみながらも楽しく仕事に向き合えていると感じています。

高校でラグビーを開始してからというもの、自分の人生はほとんど楕円球と共にありました。それは、純粋にラグビーが楽しいというのはもちろんではありますが、そのスポーツを愛する人間との出会いがいつまでも深く心に残り、そして出会いを広げてくれるからだと思います。高校時代、大学時代、そして社会人になってからと、その広がりは留まることを知らず、そして時間をかければかけるほど円熟味を増していきます。もちろん、星陵高校の仲間との繋がりが今でも続いているのは言うまでもありません。

三宅先生退官記念

ちなみに、ラグビー・フランス代表元主将、ジャン・ピエール・リーブは「ラグビーは少年をいち早く大人にし、大人にいつまでも少年の心を抱かせる」という言葉を残しています。 若い頃にはその意味を十分に理解できませんでしたが、この歳になり言い得て妙であると納得しています。