平成24年度文化講座「クフ王の船と王の葬祭信仰」西村洋子(高31)

2月23日(土)星友館にて平成24年度第3回文化講座が行われました。
平成24年度最後の文化講座を締めくくって下さったのは奈良大学非常勤講師の西村洋子さん(31回生)です。演題は「クフ王の船と王の葬祭信仰」。西村さんには2年前にも「ギザ台地の歴史とスフィンクス信仰」というテーマで講演をして頂きました。私は2回とも聴講していますが、滔々と話す西村さんの講座はとても解りやすく、エジプトが身近に感じられ、ロマンもあり大好きです。埋葬船から考古学を深く読み解く同級生に敬意の眼差しを注いだのは私だけではありません。今回はお越し頂いた皆さんの中から33回生の加藤久美子さんに感想を頂きましたのでご紹介いたします。多数の専門用語を理解し、感想を寄せて下さった加藤さま、どうもありがとうございました。後で写真を見て気付きましたが、加藤さまはお着物の帯をエジプト文字らしき模様で合わされていらっしゃったのではなかったでしょうか?!お子供さんと一緒にいらしてる方もあり、皆さんとてもエジプトのお話を楽しみにされていたのが感じられました。第3回、第4回…とエジプトをテーマに講座が続くことを楽しみに次回を待っています。

エジプトの墓には、船の模型はけっこう埋められているが、実物の船が埋められているのは少ない。その一つがクフ王のピラミッドの南側の船2隻で、古代から完全な形で残っている唯一の船。ピラミッドの東側にも船のピットが2隻分あり、参道の北側に5番目のピットがある。

これらの船が何のために埋められたのか? 太陽神が毎日再生復活するために西へ、東へと移動するときに乗る「太陽の船」か。葬祭船か。それとも王の死後の交通手段を確保するためか。はたまた王の治世中に使われた船?王のミイラを運んだ船?

クフ王の船(ピラミッドの南側)は2隻とも西を向いている。「太陽の船」であれば東向きと西向きになるはずなのに何故? 船の目的は研究者によって諸説あり、戴冠式で使われた船であるとか、ホルス神としての王のための船とか、故王に移動手段を提供するためとか。アルテンミュラー氏は、故王が空を渡るための2隻1組の船団であるとし、貴族の墓の絵に現れるヘネト船(帆船)とシャベト船(漕ぎ船)の船団の動きから推測して、クフ王の「第一の船」は夜の船、「第二の船」は昼の船なんだけども、昼の旅をするときは昼の船が夜の船を先導するので2隻が同じ方向を向いている?

考古学に携わる方は船ひとつにしても、多くの事例を集め、共通項と差異を細かく洗いだし、その上に説を立てられるのだな。シロウトはわずかな事例から自由奔放に想像をはたらかせても構わないが、研究者はそうはいかない。こつこつと積み重ねてこられた成果を、一部であっても一時間半で語るのは難しかったと思う。

講演は予定時間を超過して熱心に行われたから、質問タイムはなかった。もし質問ができたら、実物の船より模型が多いのは経費の問題か、それとも墓と副葬品の準備に費やす時間と熱意の問題か、とお聞きしてみたかった。または、召使の殉死のかわりに人形を入れる感覚? 船は生きてないけど、使える船を埋めるのはもったいないから模型で済ませちゃえ、っていう感じ?

2003年に観光旅行に行ったときガイドに聞いた話だが、ピラミッドの表面はきれいに磨いた石でおおわれていたのに、次代の王がそれをはぎとって自分のピラミッドに使ったり、他の王の石像を名前だけ自分の名に書き換えてしまうなどのズルが結構あるとか。「何故そんなことをするの」と尋ねると、「そういうものを作るのは時間がかかるから、一から作っていて自分が死ぬまでに間に合わないと困る」という返答だった。カイロ大学で史学を学んだという若いガイドだったから、まったく嘘とも思えなかったけど。

星陵文化講座で西村氏が講演されたことは、前にもあったのだそう。また次回、その次と、お話を聞ける機会があるといいなと思う。

講師プロフィール
奈良大学史学科非常勤講師

加藤久美子(高33)