平成25年度同期会報告 23回生

『42年遅れの「仰げば尊し」』
 


昭和44年9月21日朝、星陵高校に怪電報が届いた。文面は「今から行くから会場を貸せ」というもの。反戦団体や過激派高校生が押し掛けるというウワサが学校内外で広がった。この騒ぎで前日から開かれていた文化祭は午前11時、中止となった。

星陵23回生が在学した3年間は日本中の大学、高校で封鎖騒ぎや学校紛争が蔓延した特異な時代。星陵高校にも靴と頭髪と制服の自由化を求める波が急速に押し寄せていた。そんな時代の昭和46年1月のことである。3年生の3学期は大学受験直前ということで学校は自由登校になっていた。1月のある日の放課後、二人の先生が3階の教室まで来られ言われた。 「卒業式の式次第に“仰げば尊し”は入れないでほしい」「僕たちは仰がれるような立派のことはしていない」と。 先生方の要望通り2月25日の卒業式で「仰げば尊し」が唄われることはなかった。

あれから42年が経った平成25年3月30日、111人の23回生がホテルに集まった。全員が60歳。還暦同窓会である。 会場は新神戸のANAクラウンプラザホテル神戸。ホテル10階のボールルームが宴会場である。エレガントに着飾った57人の女性たちは、厚い絨毯が敷かれた会場にうまく溶け込んでいた。しかし、54人の男たちは残念ながら、孔雀のように際立って輝いてはいなかった。これはいつもの光景であった。 みんな平等に年を取っていた。どんなに着飾っても、うまく化粧をしても全員が60歳。同窓会の会場では、年齢は誤魔化せない。

メインの企画は「あのころの唄」大合唱。星陵在学時に流行した10曲を全員で唄うというもの。昭和40年代に人気があった「うた声喫茶」を想像してもらったいい。伴奏はギターとパーカッション。3人のうた声コーラス隊が、23回生をリードして唄わせるという構想。同窓会までにスタジオ借り、音合わせを2回行った。だから自信をもって本番を迎えたはずだった。

仕方がないことだが、会場では久々にあった旧友との話し声が弾んでいた。歌よりお喋りである。ある程度は予想してはいたが…。会場に歌声はなかなか響かない。お喋りは続く。
「みんな立って歌って」

このひと言は魔法の言葉だった。たくさんの旧友が席を立ち唄い始めた。何回もマイクを通し流れた出た魔法の言葉は効果満点であった。10曲目を唄った時には、23回生の歌声は天井のシャンデリアを小さくであるが揺らせるまでになっていた。

卒業式で「仰げば尊し」を唄ってない23回生。卒業式の式次第から「仰げば尊し」を外した生徒が今回の同窓会の幹事だった。同窓会の進行メニューをあれこれ考えているうちに、先生の前で「仰げば尊し」を歌いたいーという思いがふつふつと湧いてきた。 メイン企画であったはずの「あのころの唄」は幹事の頭の中では、いつの間にか「仰げば尊し」にその地位を譲っていた。大きな声で「仰げば尊し」を唄うために「あのころの唄」10曲で声出しの練習をするのだと。 練習の成果もあって、111人の「仰げば尊し」は見事に会場いっぱいに響き渡った。そしてどの顔にも満足気な表情が弾けていた。 晴れ晴れとした111人の表情。それを見た幹事は、やり残した42年前の宿題をやっと終えることが出来たーとひとり感慨深げに思った。

織野 正(高23)