「神戸から世界へ 神戸をアカペラの街に」桝田 和宏(高43)

みなさん、こんにちは。今度、星陵高校同窓会総会懇親会にゲスト出演させて頂く、Permanent FishリーダーKAZZこと桝田和宏(43回生)です。 よろしくお願い致します。
星陵の先輩方の素晴らしいコラムを拝見し、まだまだ若輩者である私が、コラムを担当させて頂くことに恐縮し、そして緊張しながらペンをとっております。
私、桝田和宏は、現在プロで音楽活動をさせて頂いております。Permanent Fish(パーマネントフィッシュ)という男性6人のボーカルアカペラグループを組み、口でドラムや太鼓の音でリズムを奏でる“ボイスパーカッション”というパートを担当しています。
20年前にアカペラ(楽器を使わず、声だけで音楽を作る形態)と出会い、そこからハーモニーの美しさ、そして声の可能性、魅力に心動かされ、今現在もアカペラ音楽の道を追求しております。今では、全国での活動、そして、韓国、アジアに拠点を広げ、韓国デビューを果たし、光栄にも韓国にて「大韓民国文化芸能大賞外国芸能人賞」を頂きました。

http://www.fantasia-kobe.jp/kazz/ Permanent FISH KAZZ HP

http://ja.wikipedia.org/wiki/Voice_Percussion_KAZZ KAZZ Wikipedia

「高校時代」
私が、星陵高校に通っていた時代は、2年生から3年生に進級する時、ちょうど校舎が建てかわろうとする時でした。3年生の時には、以前、隣にあった神戸商業大学(商大)を借りての授業だったことを覚えています。クラス数も多く、1学年11クラスありました。青バッジの世代でした。
星陵高校、私にとっては、この多感な時期、今の人格、性格が形成され、今の人生の道標にもなる素晴らしい仲間との出会いがあった時期でもありました。感謝してもしきれない時期です。
クラブ活動では、フェンシング部でキャプテンとしてインターハイ全国にも行かせて頂きました。校内での夏合宿、平安高校、他校との試合、トレーニング室で練習し、ダッキング、ファンデブを何度もし、常々筋肉痛で足がガクガクしていたのもいい思い出です。生徒会長もさせて頂き、生徒会仲間と共に体育祭など企画運営し、行事にも関わらせて頂きました。部活をやっていたこともあり、生徒会メンバーには本当によく助けてもらいました。当時のメンバーとは今でも会い、交流し、よく酒を酌み交わします。文化祭では、その生徒会でバンドを組み、運動場、体育館で発表しました。来る日も来る日も練習し、ステージを作り、そのステージで得た快感が「今の私を作っているのかもしれないな」そう思います。まさに「青春」と呼べる時期を高校生活では送らせて頂きました。音楽って素晴らしい!プロになれたら、、、という気持ちが芽生えていた時です。

「アカペラとの出会い」
大学に進学した私は、すぐさま、バンドを始め、ボーカルとしてオールディーズ(50年代、60年代)のロックグループを組みました。ロックが好きだったこともあり、プロで本気でやるには、まず、基本からとのことでオールディーズでした。そして、高校時代からクラシック、声楽にも興味を持っていたこともあり、勉強も始めていました。(高校時代、テノール歌手の先生を師事し、神戸市民音楽祭に出場、ソリストとして市民賞を頂きました)全く違うこの二つのジャンル、知らず知らずのうちに、自分の中で、声の出し方を使い分けていることに面白さがありました。そして、声ってスゴイ!声を使って何かできないか?!そう思っていいた時に運命のアカペラとの出会いがありました。仲のよかった中学校時代の友人から「高校時代の担任の先生がアカペラをやってるんやけど行かない?」とライブハウスに誘われたのがきっかけでした。最初は半信半疑。アカペラ?何?声だけの音楽?一人でもするの?どうするの?疑問もありましたが、当時はアカペラという名も世の中に浸透していなかったため、セミプロでやられているということを聞き、その「プロ」という言葉に惹かれ出向くことにしました。その時に、紹介された担任の先生が、星陵高校先輩である34回生前澤弘明さんでした。そして、ライブを拝見し、すぐ夢中になりました。当時、チキンガーリックステーキ(前澤さん所属グループ)はオールディーズをされドゥワップスタイルをクリスマスなどに歌うクラシカルな合唱スタイルもありました。
「これだ!この音楽だ!」以前から私が頭に描いていた形にしたかったモノがそこにはありました。声で作る音楽。私の中でピタリとパズルがはまりました。前澤さんの出会い、正に、“運命”というにふさわしい出会いだったと思います。この音楽にもっともっとノリを出したい!会場を沸かせたい!!この音楽にはまだまだ可能性がある、そして、そこに行き着いた形が私のボイスパーカッションです。正に、チキンさんと出会えたからこそ、チキンさんと違うグルーヴ、アプローチを考えていったからこその独自でのヴォイスパーカッションの開発、ノリを重視したグループ「Phew Phew LIVE」(一番最初に結成したグループ。関西で伝説のアカペラグループと言われています。)結成に繋がっていきます。チキンガーリックステーキさん、前澤さん、当時プロデューサー西村さん(星陵高校32回生)さんには、弟分として本当にかわいがって頂きました。プロとしての心構え、“いろは”を教えて頂きました。修行、スタッフ時代を含めたこの期間は、私のかけがえのない時でした。

「現在の活動(Permanent Fish)」
ここで少し、アカペラを紹介させてください。声だけで作るアカペラ、一人でもできますが、人が集まり、ハーモニーを作ると、音、声の魅力、質感までもが深まり、倍音が出て、鳥肌が立つほどの気持ちのいいサウンドになります。ハーモニーの性質上、人と人が優しくなり、思いやりを持てるようになります。和音を作って行く上で、音を重奏させることは、一人の音が上がれば、全員で上がり、下がれば全員で下がるというように気持ちの面での調和、そして、協調性がなければ、美しいハーモニー、人を感動させるものにはなりません。そういう意味でも、繊細で、人間味あふれる音楽と言われることも多いです。そして、その声の芸術とも言うべき、アカペラサウンドが聴衆のクラップ(手拍子)気持ちのうねりとブレンドされると、そこにしかないライブ感になり、一体感を産み出します。それが、アカペラの醍醐味であり、原始的は形態でありつつも、常に新たな感情がそこに投影されるという、そこでしかできない唯一無二な音楽となります。(私は、その儚さ、愛しさに魅かれているのかもしれません)そして、そこで起きた感動、声のチカラは、必ず世界に通ずる、世界をつなぐ、アカペラは世界共通の言葉を超えた言語になりうる、それ程の可能性を秘めた音楽であると私は考えます。


(阪神淡路大震災)
私は、長田区出身で阪神淡路大震災を経験しました。
そこで家をなくし、友を亡くし、繋がりまでも失いました。当時、街は荒み、沈んでいました。出口、光の見えない暗い戦い、そして、一言では表せない“やるせない”思いの渦。人生観、時間軸、私の内面がシャッフルされました。そこで、私は、自分自身の生き方、考え方が変わりました。生かされた命、自分で自分達でやるしかない、精一杯生きよう!「街を起こすんだ!元気づけよう!」
当時はボランティアで「元気食堂」という仮設屋台村で歌い、個人的にもボランティアに従事しました。
そして、当時所属していた事務所から独立させて頂き、「Baby Boo」というグループを興しました。全国にこの気持ちの輪を広げて行きたい、その想いが原点となり、メジャーデビューへの道に続いていったのかもしれません。


2005年、私は、アカペラ、この想いを世界に拡げたいとPermanent Fishを結成しました。当時、メジャーにいたBaby Booを脱退することは、自分が作ったグループだったことこともあり、かなりの葛藤もありましたが、元メンバーとは話し合い、事務所とも円満にラストまで全力で走り切りました。
最後の最後のライブで出た言葉、今でも覚えています。
「終わりはまたの始まりやから!」これはそこで見てくれた方達に送った言葉であり、自分にも言った言葉だったように思います。
東京から神戸に戻り、また1からのスタート、自分の信念の為、いや、ワガママの為、たくさんの方々に迷惑をかけたのは事実です。だからこそ、”引けない、やってやる!“という想いの一心で奔走しました。メンバー集めなどは一人自分の足で全国に出向き、オーディションをして回りました。一人一人の歌を聴き、話をし、夢を語りました。北は仙台、南は九州、沖縄の人まで会いました。「神戸から世界へ」世界へ通ずる人達、ボーカリストと巡り合いたい”絶対にやる!グループをつくる“一心に動きました。その時にずっと待って応援してくれたのは、私を信じてくれた人達、ファンの方々でした。「僕は一人じゃないんだ!」どれほど勇気づけられたことか。感謝の気持ちでいっぱいです。その気持ちをカタチにして返したい。今でもそう思います。
「Permanent Fish」は私が付けました。永遠に泳ぎ続ける魚という意を持ち、造語です。世界の音の海を自由度高く右にも左にも上にも下にも泳いで行きたい。その想いが込められています。私が今まできた音楽人生の真意でもあります。人は生きていく上で積み上げて行くだけでは答えが出ない場合もある。だが流れている川、潮流に逆らい、時には身を任せ、すり抜け、「動き続けながら」大きく泳いで行くこと、成長していくことに意があるのではないか。そこに答えがあるのではないか。そういう想いが込められています。アカペラと真剣に向かい合い得た一つの私の中の形です。

Permanent Fishは「世界へ」という理念通り、まず一国目として韓国でデビューし、韓国のオフィスと提携し活動しています。最近では、「グデガシャララ」というCDをリリースしました。韓国でスタイルの違うMV(ミュージックビデオ)を撮影しました。とてもステキでクールにできた作品で満足しています。

“スタイルが違う”一体何が?それは文化的背景が大きく関係していると考えます。韓国はショー性が高く、国を挙げての音楽コンテンツ、ソフトにも力を入れています。有名なところで言えば、K-POPアーティスト「少女時代」「BIG BANG」など世界戦略としてのグループもたくさんあり、アーティスト育成システムも充実しています。大概、TVショー、ショーケースに出るアーティストは、2~3年、びっしり歌、ダンス、芝居等を学校で総合訓練、勉強してからのデビューとなります。狭き門で、過酷な訓練でもあり、韓国アーティストとの会話をすると遠征している僕らの気持ちもその刺激でビシッと閉まります。
街中には、ミリオレという常設されたプロ顔負けの大きなステージが24時間営業の商業施設(大型デパート)前、屋外の至る所にあります。プロのアーティストから、小、中、高の学生などの発表の場としても毎日使われている状態です。観客としてもクオリティーの高いショーが頻々に行われていることもあり、演者に対しての評価はシビアです。もちろん高い演技、パフォーマンスに対しては全身を使って声援を送ってくれますが、良くないと判断すると、例えば一番前に座っていたとしてもすっと立ち上がり、その場から居なくなります。
日本では周りを気にして、こういった行動には出れないと思います。このようなライブパフォーマンスが日常にあふれTVショーでもクオリティーの高いアーティストがいて、訓練された新しいアーティストが選出されてくる環境。正にアジアではトップクラスのシステムです。
そして、韓国アーティストに一番重要視されるであろう「ハート」「心持ち」にはいつも敬服します。特に徴兵制、そして、儒教国でもあり、縦の関係のスゴさ、厳しさを痛感します。私達、海外戦略しているグループも時間的にも経済的にもかなりの過酷さだと思うのですが、彼らのハングリーさを見ると“まだまだやれる!負けない!頑張ってやる!”という思いになります。ショーに対する妥協ない取り組み、それは容姿にも現れています。美しいのにどこか強いという印象、それはその現れであると思います。

そんな場所で、「日本のアカペラ」Permanent Fishのアカペラ、音楽が通用するのか?
通用する!と思います。
はっきりと良いものは良いとショーの世界で言える国だからこそ、“ホンモノ音楽”を届ければ心を動かしてくれます。そう、日本の遺伝子にも受け継がれるであろう“わびさび文化”日本の細やかに配慮された文化にキーがあると思います。
ハーモニーのハモリ方も韓国人と日本人では形態が少し異なっています。文面では表現しにくいですが、出した音を体の手前で絶妙に調整し、ハモリ前に出すのが日本的だとすると、韓国ではフィジカルなテクニックで遠く前の方で一点を目指し全員がハモリに行く。柔と剛の関係にも似た、そう、サッカーの試合とは違うものですが、パスをつないで戦略を緻密に組み立てたサッカーと個人を重視し、勢いうねりを作り出し攻めていくサッカー、、そういったものでしょうか。
韓国スタイル全てをカバーし合わせに行くのではなく、今ある、今までに作ってきた自分たちのスタイルに自信を持ち、体現し、そこで得たその国のエッセンスを自分達なりに消化し、ブレンドしていく。「郷は郷に従え」ではなく、あくまで対等として、、、うん友達の方が表現いいですね。友達と一緒に遊ぶ感覚ですか。国は違えど、文化は違えど、音を通して楽しむ姿勢。
Permanent Fishでのエッセンスとは韓国語でのMC(おしゃべり)であったり、韓国語の曲での表現です。
私達が世界に対して、これから届けて行かないといけないもの、それは正にMade in JAPANであり、Permanent FishというMade in KOBEのサウンドです。
そして、重要なもの。それはハート(心持ち)です。分かりやすいもので、観客に対して目の力、ハートで負けてしまうといくらいいサウンド、演奏をしてもライブは盛り上がりません。一体感を得ることはできません。熱です。情熱です。真剣な想いは言葉は通じなくても国を超え、必ず届きます。
私は必ず現地でこう言います。「神戸からアカペラを、声を、僕らの想いを届けに来ました!」と。
韓国での公演は、いつも勝負、戦いに行くという心持ちですが、この7年間で応援して頂けるファンの方々、たくさんの仲間ができました。もちろん、良い事ばかりの月日ではなく文化的違いから対立し、裏切られたりすることもありますが、一進一退を繰り返し、少しずつですが、ハーモニーのように人と人が溶け合ってきている。想いを共有できているなと感じています。

韓国スタッフ、そしてファンの皆様と一緒に得ることができた、先述の2009年大韓民国文化芸能大賞外国芸能人賞受賞は、国を超え、私たちが一つ一つやってきたことが評価された結果として、互いに抱き合って喜びました。他部分では田中麗菜さん、前年度はぺ・ヨンジュンさんも受賞されていました。
ライブイベントが終わり、“お疲れ”の打ち上げで乾杯し、酒を口に含む瞬間、これでよかったんだ!と思える最高に至福の時です。国と国とが交わることは、特に政治状態が取り上げられる国では簡単ではないと思われがちですが、勇気を持って進み、「国」としての単位ではなく、「人」にモノをココロを届けに行くと捉えればいいのではないかと考えます。
人が国を作る、正にそれだと思います。文化は違えど、人は人。すぐに合う人もいれば、徐々にうちとけあえる人もいる。それは日本にいても同じかなと思います。その人に対して歌う。シンプルだけど一番強く重要なことです。だから、一人一人に対してこれからも歌っていきたい、想いを届けたいと思います。アカペラはこれが一番適した音楽なのかなと。

私の想いの原点は阪神淡路大震災です。
たくさんの人に助けられ、応援され今まで歌ってきました。感謝の気持ちしかないです。だからその気持ちをこの身をもって表現し、恩返ししていきたいと考えています。ラジオ、テレビ、そして各種全国イベント、ライブに出演させて頂いています。たくさんに人に生の歌を通し、心の奮えを感じて頂けたらと思います。それが、少しの何かの「頑張ろう!」というきっかけになって頂ければと思います。
先日は東日本にも平松愛理さんと、KOBE MEETINGを通し歌を届けに行きました。聴いて頂いている皆さんの目の輝きを今でも忘れることはできません。
これからの長い継続的な応援も約束してきました。

東日本被災地に、神戸のみなさんの想いを綴った黄色いハンカチを、そして歌を届けにいきました

人は一人では何もできない。でも力を合わせれば少しずつでも動いていくと、、、必ず動くと。
よく学校公演で話をさせて頂くのですが、私は「夢を持ってください!」と小、中、高校生の皆さんにはっきり言います。「夢を持つこと自体に力はないかもしれませんが、今ある自分を後押ししてくれる力には必ずなってくれる!」と。夢を持つことで前に泳ぎだす力になると。この歳になってもまだまだ夢はあります。新たなアジア、世界を見たい、ボイスパーカッションをより磨きたい。そして、この神戸をアカペラの街にしたい。アカペラで溢れる街にし、ここをアジアへのアカペラの拠点にしたいと考え、夢みています。
宝塚が「歌劇」とイメージづけられるように、神戸と言えば「アカペラ」だよねと言われる街づくり。この音楽は、ジャンルでは終わらない可能性があります。心が穏やかに優しくなるという点からも医療の分野にも活かせる可能性もあります。もちろん学校教育の現場でも情操教育にも役立つのではないでしょうか。最近では、世界中から仲間が神戸に集まってくれるようになりました。他イベントも増えてきています。シーンは少しずつですが広がっています。これからも想い、願いを夢見続けたいと思います。そして、口に出し、発信していきたいと思います。そして、より多くの仲間と出会いたい。

日本最大アカペライベント、KAja2013にて (四天王寺前)

私の性格は、星陵高校で培われました。今でもあの頃のままだなと感じることも多いです。星陵高校、友達、先輩、恩師には感謝の気持ちでいっぱいです。あの時に見た夢。それは勘違いにも似た淡いストーリーですが、それがなければ動き出す力になっていない。今でも言われるんでしょうか?「星陵温泉」(笑)
でも、私にとっては夢をくれた可能性という名の泉でした。あの自由にさせて頂いた校風で心を開き、少し背伸びし女の子を意識し、バンド音楽を始めた。全ては勘違いと言えば勘違い。しかし、そのステージで、自分達で作ったステージで初めて感動を得た。音楽っていいな!心底思えた。これが原点の原点。だから今があります。

8月4日、皆さんの前で歌え、こういう形で恩返しができることは、アーティスト冥利に尽きます。喜びでいっぱいです。
精一杯メッセージを届けられたら、楽しんで頂けたらと思います。

「愛する星陵へ」
ありがとうございました。当日頑張ります!!

http://www.fantasia-kobe.jp/pf/ Permanent Fish HP