「JAPANブランド『製缶』・『溶接』」吉荒 智之(高35)

皆様こんにちは。35回生の吉荒(よしあら)と申します。

私は、今物創りに携わっています。

物創りって言っても、色んな種類の物創りがあります。
私は、鉄鋼業に携わっています。
私達の会社は、いわゆる町工場です。
でもその小さな工場には、三十数年培ってきた心や埃が(誇りではなくて埃です)あります。
心の蓄積と埃の蓄積が、歴史と技術の足跡なんです。本当は埃は余分です。埃は除去しておくのがいいです。

鉄鋼業と言っても、それぞれ異なったところで生きていて色んな物を創っている鉄鋼業があります。
私達は、産業機械の部品を創っています。

産業機械って何?? て思われる方もいらっしゃるかと思います。

産業機械というのは私達が使う物を創る機械を総称してそう呼びます。
例えば、ビルを造る、道路を造る、橋を造る、電力を造る、自動車を造る、鉄を造る、、、、、などなど

私達の物創りの大きな流れは、
① 材料である鉄を切断し
② 鉄を張り合わせ
③ 鉄を溶かしてくっつけて
④ 鉄を削ったり、穴を明ける

こんな手順で流れていきます。

特に①から③を『製缶』、④を『機械加工』と呼んでいます。

私達の会社では、これら総ての工程を行っています。
中でもこの①②③の工程を私達は創業当初から携わっていて、いわば私達の会社を育ててくれたところです。
この①②③の工程を総称して『製缶』と呼んでいます。製缶屋です。

製缶の中にも実は『製缶』『溶接』という工程があり、業界ではそれぞれを『鍛冶屋』『電気屋』と呼びます。
鍛冶屋とは正に村の鍛冶屋と同じで火を使い、金槌でカンカン叩き、曲げて、の仕事です。
電気屋は溶接が電気を使って鉄を溶かし、それで鉄同士をひっつけるところからそう呼んでいます。

製缶とは、その字のごとく缶を造るというイメージです。その昔産業革命があり、その主役が蒸気機関。
この蒸気をつくる機器がボイラ。ボイラは缶状のものなのでこういうボイラを造る仕事を昔は『製缶』『製罐』『製凾』って呼んでいました。

正に缶を造るです。これが語源です。今ではこのように鉄の材料同士を組み上げ、仮に取付る仕事を総称して製缶と呼ぶようになりました。

鉄を切り、鉄を曲げ、鉄を組み付ける。

溶接は一言でいいますと、鉄同士を溶かしてひっつける事。ひっつけたい鉄(母材と呼ぶ)と溶材と呼ばれるいわば接着剤の間に高い電流を発生させその熱で母材、溶材を溶かして溶材を介して母材同士をくっつける事です。
溶接の技術は様々な工業製品に使われている技術で、日本の溶接機や溶接の技術は世界でもNo.1だと私は自負しています。

私は、高校卒業後、大学そして大学院を修了後川崎重工業に入社し、貯槽を設計する部署に配属になりました。

貯槽なんてまた聞きなれない言葉で、平たく言いますとガスタンクや石油タンク、LNGタンクを造る部署でした。
タンクは、内容物が漏れては大事故・大惨事になりかねないものですので溶接に関しては厳しい基準をクリアする必要のあるものでした。
タンクの溶接基準、検査基準は厳しいものでそれらを扱える会社も限られています。
貯槽はかなり成熟した業種で、その製造方法は『消防法』『労働安全衛生法』や『ガス事業法』といった法律の中で厳しく規程されていました。

関わった業務で思い出に残るものがあります。数年に一度この法律を見直す時期があり、私の上司がその委員になっていましたので、私はその上司のカバン持ちをしながら委員会に出席。各社各界の偉い先生ばかりの委員会に出席させていただき、またその法規の見直しで毎晩遅くまでLPGタンクの強度解析をしていました。毎夜毎夜結果がおかしい結果が合わんと上司と言い合いながら、その結果がどうして起こるかの議論を重ねて最終報告書をまとめていったことを思い出します。

私はこの影響か、今でもコンビナートの風景が好きです。コンビナートの夜景って意外と美しいものです。

大阪の堺辺りの臨海工業地帯のコンビナートや神戸空港へ侵入する時に上空を通過する加古川の神戸製鋼所の製鉄所、羽田空港に降りる時に見える、JFEの京浜製鉄所やその横にある石油化学コンビナートなどの夜景はなかなか綺麗なものです。

JR新長田の駅前にある鉄人28号の像は鉄製で、製缶業界では有名な大阪の会社が製作したものです。

あの像も高い製缶技術と溶接技術が成し得たものです。鉄は熱を加えると伸び縮みしますし、鉄には自重っていう物があるので鉄人像のように大きくなればなるほど、それをビルドアップしていく技術には高いものが要求されます。

大きい鉄の構造物と言えば、船や橋を想像されるでしょうか。

船も今や一隻の船を各ブロックに分けて組み上げ、最終的にそれを全体組立てする方法で造っているので、それをつなぎ合わせて大きな船を造ることは難しいものです。

また、橋でいいますと間近にあります明石海峡大橋なども鉄の構造物。全長何キロにわたってその誤差が数センチとかに収めるとなるとそれは高い技術が必要となります。

明石海峡大橋のタワーは高さが約300mあり、そのタワーの倒れは、300mあって僅か3cm。1m当りの倒れが0.0001mのオーダーってことになります。

あのタワーは、ブロックを積み重ねる方法で製作しているので、各ブロック毎の製作精度が凄く要求されているということになります。

私はこのように物を組み上げて行く仕事が好きです。
物が組み上がっていく姿をみると何だかワクワク、ドキドキします。
形状が三次元的な立体であればあるほど、その組み上がりの姿を想像すると楽しい気持ちになっていきます。

この『製缶』『溶接』技術は日本らしさの一つであると私は感じています。
世界にアピールできるJAPANブランドの内の一つであると。
私の夢は、このJAPANブランドの『製缶』『溶接』を世界に売り込むことです。
世界のためにこのJAPANの『製缶』『溶接』を役に立てたいと感じています。

そんな鉄の物創りと星陵高校の関わり。

丁度私の父親が独立して今の会社を興したのが昭和57年。
私が高校二年の時。
創業時と高校時代が重なっているので、何かしら縁を感じます。

何もないとことろから始めて、そんな中で高校そして大学、また大学院まで進学させてくれた両親。私は感謝しています。

そして今こうして星陵高校に再び出会い、同期生や同窓生の方々と出会い、高校そして同期生や同窓生の方々を愛する素晴らしさを教えてくれたのは星陵高校です。

星陵高校には感謝しています。こうして皆と出会えたのことに。