「サックス、ときどきフィリピン?」田所 美幸(高39)

みなさん、こんにちは!39回生の田所美幸と申します。

今回「LINK星陵」のリレーコラムを書かせていただくことになりました。

拙い文章ですがよろしくお願いします。

私は子供の頃から音楽が大好きで、神戸まつりのパレードでは吹奏楽の演奏が来る度にワクワクしながら観ていました。

中学では迷う事なく吹奏楽部に入部し、最初はフルート希望でしたが希望者が多かったので、幼なじみで星陵高校でも1つ上の先輩でもある阿波倫子(旧姓:相馬)さんと同じサックスを始めました。

中学時代は顧問の先生や先輩方の熱心なご指導のお陰で吹奏楽コンクールで関西大会まで出場させてもらえたのですが、練習は大変厳しいものでした。高校受験の時には、楽しく楽器が吹きたい思っていたのと、自由な校風に憧れて星陵を選びました。

当時の星陵吹奏楽部は生徒が中心になって自主的に部活を運営していました。だからといって練習をテキトーにするいう感じではなく、平日だけではなく、土曜日の放課後や日曜日も弁当持参で毎日楽しく練習をしていました。

そんな中、1年生の春休みに、明石市民会館大ホールで第10回定期演奏会を開催させていただく機会がありました。第9回までは学校の講堂で演奏会をしていたので吹奏楽部にとっては本当に大きな飛躍でした。

私たちが運営の中心となる2年生になってからは星陵祭やコンクール以外にも体育祭でマーチングをしたり、校内アンサンブルコンテストを開いてアンサンブルコンテストに出場するパートを選抜したりと新しい事にも色々と挑戦させてもらいました(特にアンサンブルは絶対にしたいという強い気持ちから、かなり突っ走ったので巻き込んだ周りのメンバーには迷惑をかけたと思います…)。

震災でホールが使えず、体育館で定期演奏会をした時期や、一時的に途絶えた活動もありましたが、代々引き継がれて、さらに進化しているのを観て、とても嬉しく思っています。

そんな部活中心の高校時代を過ごしていたので、勉強は全くしていませんでした(笑)が、3年生時の担任で、現在鳴門教育大学教授の小西正雄先生の地理が楽しく、先生が世界各地を回って撮ったスライドを観られる授業がいつも楽しみで、その頃からアジアに興味を持つ様になりました(小西先生も私たちが3年生の秋に突然高知大学の助教授の仕事に転職するという、大変マイペースな先生(笑)でしたが、意外と混乱も無くみんな進路を決めていった様に思います)。

大学ではアジアの事を知りたいと思っていたので東洋史を専攻し、中国の養蚕農家の生活について調べていました。大学は2部(夜間部)でしたが、2部の吹奏楽部に入り、昼間は当時大阪にあったP&Gの研究所でアルバイト、夜は授業に部活にと忙しい日々を送りました。就職活動の時期になり、当時はバブル絶頂期で友人は次々と就職先を決めていく中、私自身はアジアをもっと見てみたいという思いがあり、その時に偶然募集があった青年海外協力隊の養蚕隊員に応募しました。ボランティアとはいえ、実務経験が必要でしたが、運良く合格し、卒業後に愛媛県で約8か月間養蚕の勉強をさせてもらい、その研修中に希望国だった中国に別の経験者が派遣される事になり、私の派遣先はフィリピンに決まりました。

当時のフィリピンは派遣前年にピナトゥボ火山の噴火があり、治安もまだまだ悪く、不安な面もありましたが、先輩・同期・後輩隊員や職場のカウンターパートやスタッフ、ホストファミリーなどに本当に仲良く親切にしてもらい、楽しく3年間(1992年4月~1995年6月)を過ごす事ができました。

職場はマニラから北へ250キロ離れたベンゲット州の州都、ラ・トリニダッドにあるベンゲット州立大学内の、できたばかりの養蚕プロジェクトです。フィリピンには協力隊派遣が始まった1960年代から養蚕隊員がThe Philippine Textile Research Institute(フィリピン繊維研究所)に代々派遣されており、ある程度の養蚕技術は持っていましたが、私の仕事は大学スタッフや学生への殆どイチからの指導が中心でした。プロジェクトを効率よく運営していき、成果をあげるには専門的な技術をもっと身につけてから行くべきだった思いますが、職場のカウンターパートやスタッフは本当に協力的で、むしろ私の方が助けてもらった事が多かったです。

遊んでますが(笑)収繭(しゅうけん)後の毛羽取り風景です。蚕が繭を作る為の蔟(まぶし)と毛羽取り機を隊員支援経費で日本製のものを購入させてもらい、収繭時の効率が上がりました。

職場は電気はかろうじて通ってましたが当時停電は日常茶飯事でした。昼食やお茶は毎日薪で作ってました。

日本でも、最近「ホスピタリティ」という言葉がよく聞かれる様になりましたが、以前からフィリピン人の国民性といえば「ホスピタリティ」が当てはまります。それが特に感じられるのが結婚式で、自宅で開催するパーティーでは料理を来客に振る舞うのですが、その来客というのが親族・友人だけではなく、近所の住人や、友人の友人まで、だれでもOKで、私も友人や友人の友人としてよく招待していただきました。また、「ご飯を食べにおいで」や「泊まりにおいで」と呼んでいただいた事も数知れません。私が外国人だからというわけではなく、家族・親戚や友人に何か困った事があった時も、すぐに手を差しのべる優しさを見てきました。

「おもてなし」をキーワードに東京オリンピック開催を決めた日本ですが、フィリピン人の国民性に見習うところも多くあるのではと思います。

帰国からすでに20年近い月日が経ちましたが、現在は某私立大学図書館で図書館司書として毎日本に囲まれてお仕事をさせていただいてます。

プライベートでは、協力隊帰国後すぐに垂水シンフォニックウインズという市民吹奏楽団に入団してサックスを再開し、2011年の夏からは団長職をさせていただいてます。団長になってからは、ヒラ団員の時には思いもよらない様な事が色々とあり、大変な面もありますが、団員の支えのおかげでここまでやってこられ、本当に感謝しています。あとは、私が何かあった時に決断の基準にしているのは「自分が楽しめるか?」で、これは星陵吹奏楽部で培ってきた原点であると思います。

詳しくは53回生の岡田君による第12回のコラムをご覧いただければと思いますが、2012年に引き続き、今年の9月15日に「星陵ウインドアンサンブル演奏会2014」を神戸文化ホール中ホールにて開催予定で、4月からは月2回のペースで本格的な練習が始ります(メイン曲はアルフレッド・リード作曲「アルメニアンダンス パート1」ですよ~☆)。色んな世代のOB/OGが集まって一つの音楽を創り上げて行くのは現役時代とはまた違う楽しさがあります♪参加したい時と思い立ったら回生やブランク関係無くいつでも参加OKですので、岡田君や私のコラムをご覧になって参加したいな~と思われたOB/OGの皆さまは、是非お気軽に↓へお問い合わせ下さい。

お問い合わせ先:seiryo_wind_ens@yahoo.co.jp(管理人:53回生 岡田嶺)

他の部活も同様だと思いますが、吹奏楽部も現役生との繋がりを大切にしていきたいという事からOBも現役生の主催するイベントに賛助という形で支援させていただいております。

直近では2月に多目的ホールでのウインター・ポップス・コンサートにOB単独ステージと現役生との合同演奏をさせていただく機会があり、有志のOBで楽しく演奏させていただき感謝しております。

吹奏楽部OBも2012年の演奏会で出演メンバーから集めた資金から一部を寄付したり、パートでお金を出し合ってで小物楽器を寄付してきましたが、現役生の楽器は特に個人で購入できない大型楽器などは私が現役時代から使ってた楽器では?という古いものが多く、資金的にまだまだ厳しい状況です。どんな形でも結構ですので現役生へのご支援をいただければ大変ありがたいです。

最後に、今は楽団の運営など、まだ音楽活動の方が忙しい状況ですが、そちらは若い人たちに任せて(笑)余裕ができたら、またフィリピンで現地の人たちと交流する機会や恩返しできる機会を作りたいと思っています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。