「工業デザイナーという仕事」金澤 秀晃(高32)

皆さん、こんにちは。32回生の金澤秀晃です。
この度、リレーコラム「LINK星陵」に参加させて頂くこととなりました。
よろしければ、最後までお付き合い下さい。

【子供の頃の夢】

皆さんは子供の頃…将来の仕事について、どのくらい夢や希望をお持ちだったでしょうか?或いは、いつ頃から今の仕事に就く具体的なイメージを持ち始めたでしょうか?
私は、芸術大学という…つぶしの利き辛い方向に進路を決心した後も尚、将来の仕事については具体的なイメージを持つ事が出来ずにいました。子供の頃から絵を描くことが好き…と言うだけで、イラストレーターとデザイナーの違いさえ知らず、漠然と絵を描いていることが出来れば幸せと感じ、表現活動をする意味さえ真剣に考えたことは無かったと思います。

純粋に表現の対象を自分の中に求める芸術と、ビジネスとしての成果物を社会に供するデザインとはまるで違う表現活動であることも、芸大に方向を決めた受験勉強中にようやく理解しました。

1年間の浪人を経て芸術大学のビジュアルデザイン科(グラフィックデザイン)に入学したことを、中学生時代にお世話になった美術の先生に報告に行った時にも、絵を描くことが好きだった私が、美術ではなくデザインに進んだことに随分驚かれたことを良く覚えています。

しかし驚きながらも、その時の喜んで下さった恩師の顔を見ながら、将来のことなど何もイメージ出来ていなかった自分に「教師になりたい」という想いが芽生えたと思っています。
人に何かを教えるなんて大変なことに違いない…と思いながらも、ひとつの目標ができたことで教職課程も取り…少しずつですが仕事に対するイメージを固め始めることが出来ました。

【人の縁とは不思議なもので…】

通常、デザイン科の学生は3回生の終わりに企業実習に参加し実質上の採用査定を受けますが、私はグラフィックデザイン専攻でしたので、製造業のプロダクトデザイナーになるつもりも道筋も無く、教員を目指し市の採用試験に向け勉強をしていました。ところが…人の縁とは不思議なもので、三菱自動車からの募集に対し、同級のプロダクトデザイン科の学生には応募する者がいなかった…大学としては来年度以降も継続的に企業から募集を掛けてもらいたい事情もあったかと思いますが、プロダクトデザインの教授から「お前はプロダクトをやってみろ」「現場を覗いてくるのも面白いぞ」とのおだてと口車に乗せられ企業実習に参加致しました。

担当時代のエクステリアスケッチ

当然、車どころか工業製品のスケッチを描いたことも、工業デザインのコンセプトワークをしたことも無く、実習で他校の学生達がマーカーとチョークで生き生きと描く車のレンダリングを尻目に…今で言うナビシステムのG.U.I.(グラフィック・ユーザー・インターフェース)のビジュアル表現をポスターカラーと筆で描いたのです。
何がどう良かったのか判らないまま、内定の連絡をもらった時も、教授には「教員になりたいのでお断りしたい」と…就職氷河期の学生が聞いたら殺されそうな相談をしました。今思うと…実習に参加する人間は就職の意思を持ち、内定が来れば当然それを受ける訳で…ここからは、プロダクトの教授は(おそらく)全力で、この非常識な学生を説得せねば…と思ったことでしょう。

「教育は、デザインの現場を見てからでも遅くない。教育の道に進めば、デザインの現場に行くのは難しい…せっかくデザインの勉強をしたのなら一度でいいから現場を経験しろ…」そんな意味の言葉だったと思います。
私もようやく先生の立場も含めて自分の状況を理解し、グラフィック出身の工業デザイナーという「?」な人生を踏み出すことになりました。但し「デザインの現場で自分なりに成果が出せたと思えたら、教育関係の仕事に変わります」と先生と約束致しました。

担当時代のインテリアスケッチ(ギャラン’96)

【車のデザインという仕事】
以来、30年近い時間を「車のデザイン」という仕事に費やすこととなりました。
機種にもよりますが、最近の車には1台で3万点近い部品があり、他の工業製品に比べると開発期間も長く決して1人では実現し得ない規模のデザイン作業が必要です。何十億、何百億という投資を何年も掛けて回収する様な工業製品もあまり類が無いと思います。
それだけに担当する機種への愛着や思い入れは深く、企画部門や設計部門、生産部門や営業部門の担当者と、時には激しい議論に臨むことも少なくありません。「まあいいや」と思ってしまえば、発売後に街中でそのモデルを見る度に後悔しなければなりません。

RVR取材にて(’09)

デザイナーという仕事は、テレビなどで紹介されているのを見ると、感性と信念を武器に颯爽とカッコいいスケッチを描き、市場に流行と感動を与えるスマートな世界をイメージされる方もいらっしゃるかも知れません。いつも、そう在りたいと思ってはいるのですが、実際のデザイナーの仕事は半分以上が「喋ること」だと感じています。
企画の人間と商品フレームについて散々協議し、部内に戻ればデザイン担当者とスタイルコンセプトについて話し、やっと描いたスケッチやモデルを部内・社内で通していく為に理論武装を行い、設計部隊の担当者とは1/100ミリ単位で設計要件との折り合いを見つけ、モデル完成後には営業の人間や代理店の担当者と商品のプロモーションについて延々議論を尽くします。一貫した考え方を持ち続けることと競合他社の状況や変化に対応する柔軟さやバランスも、事業性を成立させる為の目標コストに収める工夫にも、年々厳しくなる安全基準への対応も仕向地毎に変わる法規やトレンドも、材料技術や生産技術にマッチする形状のディテールにも…果ては、現場のセールスマンからユーザーに届けて欲しい営業トークやカタログ紙面のレイアウトに至るまで、デザイナーは関与します。伝えたい想いやイメージが膨らめば膨らむほど、デザインは単なる「スタイリング」から「商品デザイン」に成長するのだと思います。

お客様感謝祭でのスケッチ実演(’09)

【表現者として】

30年近く工業デザイナーという仕事を続けて来て感じるのは、本来、美術やデザイン、音楽といった感性表現を志す人間には、適性な資質が必要と考える様になったことです。いずれも、ユニークな発想で問題解決や問題提起すべき点を発見し、表現することの価値や意義を理解し、そのユニークな発想や行動で社会を豊かで楽しいものに変える仕事です。
工業デザイナーという仕事を続ければ続ける程、この仕事が決して情報をベースに「発想」や「表現」といった自己の内面の世界を高めるだけでは通用せず、「交渉力」や「ネットワーク構築力」「コミュニケーション力」或いは「プレゼンテーション力」や「信頼」といった外の世界との「コネクション力」や、「持久力」「忍耐力」「応用力」「集中力」「打算力」「判断力」「瞬発力」などの「精神力」、ビジネスとしての「経済観念」、更には「正しい理性」や「ブレない軸」などの「人間力」との総合的なバランスが求められていることを実感します。とてもハードルが高くて私にはとても到達出来ない力量が必要な世界だと痛感することにもなりました。デザイナー的感覚を養うことは、生き方を構築するひとつの方法とさえ考える様になりました。

チーフデザイナー時代 チームRVR(2009年発売)

若者の車離れと言われて久しいですが、最近はカーデザイナーを志す若者も減っていると聞きます。街中を走ることで自分の価値観やライフスタイルを誇示しながら社会と関わる車というプロダクトは、作り手にとっても使い手にとっても特別な工業製品かも知れません。オーナーがその工業製品を満足げに使用している場面を作り手が日常で目にすることができる点は、車の開発に携わる者の特権だと思います。担当したモデルを街中で見る度に反省点も目に付きますが、その喜びは何物にも代え難いものです。カーデザイナーを志す若い世代が増えて欲しいと願っています。

チーフデザイナー時代 チームOUTLANDER(2012年発売)

この春、29年間勤めた自動車メーカーを辞め、大学教育の現場に飛び込むことにしました。先生との約束から30年も経ってしまい、先生には生前に報告出来なかったことが悔やまれますが、この歳になって新しいことを学ぶ幸せを感じながら、若い世代と一緒に私自身も成長したいと考えています。

OUTLANDER – PHEV(2013年発売)

P.S.

そうそう…高校との繋がりでしたね…この度赴任した名古屋にある芸術大学の学長は、なんと星陵の先輩だったのです。
「LINK星陵」の第65回に登場された小林亮介氏です。
この歳になってからの転職は、年齢とともにハードルも高くなり…内定通知を頂いた後でさえ、これ迄の生活基盤や経済的理由など早計に決断できない事情も増え、少なからず慎重に…そして大いに迷いました。
しかしながら…今改めて考えると最終的な決心に至った経緯の中で、この小林先輩の存在は大きかったと感じています。
在学中には面識さえありませんでしたが、その人柄は魅力的で・・心の何処かで勇気を得た直感の背景には「星陵」というブランドへの信頼と、かつて同じ場所で大切な時間を過ごした共通の経験を持つ…同志の様な繋がりを感じていたからではないかと思います。事実、美術は同じ西沢先生に教わったことも判明し、これが御縁で先日初めて星陵高校同窓会東海支部総会なるイベントにも出席致しました。

ゲストには音楽の田村嘉崇先生が神戸から駆け付けて下さいました。75歳とは思えない張りと声量のある歌声で数曲披露して下さった後、先生の指揮で35年振りに校歌を歌った時に、何とも言えない…当時が懐かしくも愛おしい気持ちになり、今は新しく立て直された立派な校舎だそうですが、当時通っていた大正ロマン様式の校舎にもう一度会いたくなりました。

同窓会東海支部総会(2014.04.27)にて田村先生と