四中2回生 初めて母校で戦争体験を語る

 

 

 

 

 

 

 

星陵高校の前身である兵庫県立第四神戸中学校の2回生、小坂修氏、柳ヶ瀬康夫氏による講演会「勤労動員がもたらしたもの」が、昨年12月18日、星陵高校1年生を対象に行われました。1年生は今年沖縄への修学旅行が予定されており、事前の平和学習の一環として行われたものです。
原爆記念日も知らない、終戦記念日も知らない生徒たちにぜひ戦争の悲惨さを教えたい、体験した先輩から直に話を聞く機会を与えたいとの声が先生方からあがり、戦後70周年を迎えた平成27年に、星陵高校の歴史上初めての戦争体験講義が実現しました。
 
兵庫県立第四神戸中学校が開校したのは昭和16年、奇しくも太平洋戦争が始まった年でした。昭和18年には学徒勤労総動員の体制がとられ、四中1・2回生約500名も勤労奉仕に動員されました。昭和20年1月19日午後3時頃、米軍機63機の飛来により、630発の爆弾が、四中生の動員先である川崎航空機西明石工場に投下されました。これにより従業員、動員学徒ら約300名が死亡し、四中2回生3名の尊い命が奪われました。
1人目の講演者である小坂修氏は爆弾の落ちたすぐそばにいながら助かり、その体験と神戸の空襲の様子を自筆のイラストや写真を投影しながら語られました。

 

 

 

 

 

 

 

 「旋盤の仕事中に空襲警報が鳴り、私たちは工場から離れた畑の畔道に逃げました。爆撃はかなり正確に飛行機や工場を爆撃していきます。その中の1発だけが流れ弾となって私たちがいる畑に落ちたのです。畑には大きな穴があき、土の塊が十数メートル吹き上げられ、何十キロもの重さとなって落ちてきた。当たると即死、圧死です。爆弾が落ちるときは音でわかり、それで地面に伏せるのですが、落ちた瞬間の音というか響きは想像を絶するものでした。この世の地獄と思うような中で、落ちた爆弾のすぐそば、穴のきわにいた自分は無傷で助かり、少し離れたところにいた人たちが亡くなったり、重傷を負ったりしたのです」

その少し離れた場所で重傷を負い、奇跡的に一命をとりとめたのが2人目の講演者、柳ヶ瀬康夫氏です。
「吹きあがった粘土状の土の塊の直撃で左足を骨折し、爆風により片肺に穴があきました。爆撃を受けたとき、目の前は一瞬にして真っ暗になり、“お母ちゃんに会いたい”という言葉が光の文字として交差しました。空襲の後、戸板で運ばれながら、真っ青な空に建物の鉄骨だけが残りところどころ人間の肉片がひっかかっているのを見ていました」

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

運ばれた先では柳ヶ瀬氏と短い会話をした同級生が直後に隣で息を引き取り、さらに転院のたびにわずかなタイミングで空襲を逃れるといった命の瀬戸際をくぐりぬけるような体験が続きました。
その後も後遺症や蘇る恐怖と闘ってきたこと、例えば小さな飛行機の音にも震えがきたり、阪神大震災のあと突然小さな字が書けなくなる症状が2年も続くといった状況でありながら、生かされた自分がこれからどう生きるかを考えて実践していった日々を静かに語られました。一心に耳を傾ける生徒たちがその姿をしっかりと見上げていました。「こうして今日みなさんに会えた。生きていて良かった。みなさんが私の話で得ることが少しでもあればと思います。自分の命を大事にしてください。お願いします」

 講演を終えた両氏に生徒、先生方から大きな拍手が送られました。

 

 

 

 

 

 

当日は他に四中2回生が2名出席されました。
日ごろから回生のまとめ役であり、講演会準備でも窓口を務められた横山昌司氏。
「戦後70年目のこの年に母校の依頼で講演会が開かれ、初めて後輩のみなさんに戦争体験をお話できたのは歴史的な出来事であり、何よりの喜びです」

もうひとりの出席者、三木公輔氏は工場近くの山で作業中に空襲にあい、必死で横穴壕に飛び込んだところ、その隣の壕が爆撃で全滅するという体験をされました。「今日は止むに止まれぬ気持ちで出席しました。戦争体験を伝えることは我々の使命であり、若い人に自分で考え判断出来る力を持ってほしい」

後列左より 中西正和教頭、三木公輔氏、芦田光巨学校長、横山昌司氏 前列左より 小坂修氏、柳ケ瀬康夫氏

 

 

 

 

 

 

 

 

 

開戦直前に開校した四中ではすべての生徒が戦争のさなかに学校生活を送りました。行軍訓練や勤労奉仕、校舎の移転などで授業もままならず、昭和20年に入ると神戸市及び周辺は100回以上の空襲に見舞われるという過酷な日々を過ごしたのです。そこから70年の時が過ぎ、この日先輩お二人の講演を聞いた生徒たちから後日感想文が届けられました。
講演に対する感謝の言葉とともにそれぞれが感じ、考えたことが書かれていました。

「はっきりと情景が浮かび聞き入っていた。今自分が生きているのは本当にありがたく素晴らしいこと」
「今後の日本がどういう国になるかは自分たちにかかってるんだということを改めて感じた」
70年前のことが聞けて本当に良かった。これをずっと伝えていかなければ」

 兵庫県立第四神戸中学校の歴史と四中生たちの体験を、同窓会からも同窓生に伝え続けることの大切さを強く感じました。

取材・撮影・記事構成
同窓会副会長 山田祐子
   理 事 仲田宮子 金澤悦子